昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

親日国トルコ5 日露戦争余話

2016-05-07 04:27:50 | 親日国
日露戦争は日本の大勝利に終ったのだが、とどめを刺したのは当時「世界最強」と言われていたロシア・バルチック艦隊に打ち勝った「日本海海戦」であり、日露戦争のハイライトである。
大国ロシアを小さな島国が(大方の予想に反して)破った事は世界中に衝撃を与えた。
トルコにとっても大きな出来事であったようだ。
*余談になるが、この日本海海戦では遺されている言葉や訓令文に記憶に残る銘文が多いと思う。
「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」
連合艦隊から大本営への打電文(打電文の最後の「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は秋山真之が書き加えた。)
「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」
各艦船への訓令。


当時のトルコ、オスマン帝国は、凍り付かない港を求め黒海、地中海を狙うロシア南下政策に悩まされていた。クリミア半島が占領され、1877年の露土戦争では、ロシアの勝利により、イスタンブルを失っている。
*イスタンブルはボスポラス海峡を挟んで アジア大陸とヨーロッパ大陸にまたがる珍しい都市。
つまり、トルコと日本の共通の敵は帝政ロシアであったのだ。
だから日露戦争時にもトルコは、ロシア黒海艦隊の足を止めるため、ボスポラス海峡封鎖などの協力をしている。

 
そんな状況であったから日露戦争での日本の勝利に、トルコ国内は自国のことのように熱狂し、その年に生まれた子供に、「トーゴー」や「ノギ」など日本軍人の名前をつけた。いまでも、トルコ国内に行くと、「トーゴー」などの文字があるのはこのためである。

トルコ共和国の国父ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Ataturk、1881年~1938年)もその熱狂を味わった一人で、

  「まず国の憲法を作らなければ
      近代国家とは言えない。
  日本には既に立派な憲法
     (大日本帝国憲法)がある。
    見習わなければならない。」


と明治憲法を意識し、日露戦争での「日本の勝利」に感化された。
 そして、トルコを共和制へと移行させ、初代大統領となり、トルコの近代化を推進。1934年には、父なるトルコ人(国父)という「アタテュルク」の称号を贈られた。

観戦武官のペルテヴ・パシャ大佐が戦記「日露戦争」と、講演録「日露戦争の物質的・精神的教訓と日本勝利の原因」を刊行し、「日本軍の勇敢さや国j明の一致団結を讃え、国家の命運は国民の自覚と愛国心で決するものであり、トルコの未来も日本を見習い近代化を進めるならば、決して悲観すべきではない。
国家の命運は国民にあり」と訴え、それが近代化を推進する青年党の運動、トルコ革命へと連なっていった。
トルコでは「トーゴー通り」があり、「ノギ」という大きな靴販売店があり、「トーゴー」や「ノギ」という男の子の名前がたくさんつけられたのは有名である。
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