昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

転載 縄文人の悠久なる旅14

2012-01-13 13:09:07 | 歴史・神秘
ヴァイキング船のルーツ
インドシナやインドネシアで出土する銅鼓(どうこ)の上に出てくる鳥舟の模様に、白鳥が太陽のシンボルであり、スカンジナビアの青銅器時代の人々が崇拝した太陽の船と関係が有るとされ、ギリシア神話に太陽神アポが北方の世界から白鳥の引く車で帰ってくる話がある。
このような鳥舟思想は日本の鳥舟信仰とも無縁ではないと考えられている。

造船構造から見て、舟の内側に弓形の支骨がはめ込まれ、舟を補強する技術はスカンジナビアにおいて、先史時代の舟からヴァイキングの舟まで綿々として続く技術であり、ユーラシア大陸を東西に連なる文化の路線がヨーロッパから極東におよぼし、気候の暖かな時代、もっと北辺のシベリアを経てアムール河水域あたりから太平洋に連なる東西文化の交流が活発に有り、ヨーロッパを震撼させたヴァイキング船の構造は、東アジアから伝わった。

東から西へ、縄文人の中央アジア大移動

ユーラシア大陸を東から西へ大移動した人たちがいたことは、最近の解剖学も示唆している。
シベリアのモンゴロイドは基本的に三つの集団から構成されているようだ。
その一つは極北の集団(エスキモー)、それに北東シベリアの人々(バイカル型の人)、そして内陸の集団(中央アジア型のモンゴル、ブリヤート、中国人、カザフ)の三つである。

バイカル新石器人が現在同じバイカル湖周辺に住むブリヤートなどの中央アジア型の集団よりもバイカル型であるアムール流域の集団に類似している。
内陸のブリヤート、モンゴルなどは、バイカル新石器時代人よりも中国からの遺伝的影響を受けた人々であると考えられ、ヒト白血球抗原(HLA)をもとにした分析でも、これらの集団に近い関係にあり、新石器時代より後に、東アジアからバイカル湖一帯、中央アジアへ人々の移動、拡散があったと推定される。
紀元以降にもモンゴロイド集団がモンゴル西半分へ大移動した事を示唆している。
日本列島の住民について大まかに見ると、現代日本人は中国人を含む内陸集団に近い。
しかし一方で、縄文人ないし北海道アイヌに類縁性を持つ新石器時代以降のシベリア、極東のモンゴロイドは存在しない、もしかすると日本の弥生時代における大陸からの渡来と、先の東アジアから中央アジアへの人々の移動は同じ時期に起こったのかもしれない。

大陸から弥生人と呼ばれるようになる人々が渡来したのと入れ替わりに、縄文人は遠く中央アジア方面へ移動したのではないかと言うのである。だから、中央アジアの人たちはすぐ近くのシベリアの人たちよりも日本人(縄文人)に似ている。
こうした「西への移動」が正倉院をはじめとする「日本文化」がユーラシア大陸シベリア横断線に点々と連なっていることが理解できる。

「羽衣伝説」も途切れる事が無くユーラシア大陸を下記のように連なり横断している。
イヌイット・チュクチ・ヤクート・アイヌ・日本・朝鮮・中国・モンゴル・サモイエード・南スマランド・ロシア・ラップ・スエーデン・ハンガリー・クロアチア・オーストリア・ポーランド・ドイツ・ビヘミア・英国・フランス・スペイン
東はイヌイット、西はスペインに至るまで同じ伝説が語られている。
  
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