しかしテヘランには、600人を超えるトルコ人ビジネスマンがいた。当日、日本人救援の特別機の他に定期便がもう一機来ていたので、その便で100名程度のトルコ人が帰国した。
残る500名近くのトルコ人は、なんと陸路、つまり車で帰国したのである。テヘランからイスタンブルまでは、猛スピードで飛ばしても3日以上かかる。つまりトルコは自国民を遠路はるばる車で帰国させてまで、外国人である日本人に特別機を提供して救出したことになる。
「こんなこと、日本だったら許されるだろうか?」
森永さんはそう考えると、まず怖れたのはトルコのマスコミの反応であった。
「外国人である日本人を優遇し、自国民たるトルコ人を粗末に扱った」と報道しかねない。野党がスキャンダラスにこの件を取り上げ、オザル首相批判を行っても不思議ではない。ましてやトルコ人は熱狂的な愛国者である。
森永さんは固唾を呑んで事態の推移を見守った。しかし、それらは全くの杞憂(きゆう)であった。なんと、誰も問題視しなかったのである。トルコのマスコミ、そしてトルコ国民の度量の大きさに森永さんは感銘を受けた。
武勇で鳴らしたオスマントルコは、日本と同じサムライの国である。トルコ人は「あなたを独りにしておかない」という。困ったあなたを放ってはおかない、という意味である。「武士の情け」と同じ心だろう。
森永さんは「トルコ航空にかならず恩返しをしよう」と自分に誓った。やがてそのチャンスがやってきた。
トルコ航空が、エアバスの長距離大型機を2機購入したいというのだが、その資金がなく15年もの延べ払いが必要であった。
当時、トルコのカントリー・リスクは高く、長期の信用供与をしてくれる企業はなかった。森永さんは「私自身が担保となり、支払い遅延が発生したら必ず取り立てる」と言って、関係者を説得し、ついにトルコ航空とのファイナンス・リース契約にこぎ着けた。
また、トルコ航空はイスタンブル=成田間の就航を強く望んでいたが、成田の発着枠は満杯であり交渉は一向に進展しなかった。
森永さんは運輸省の高官に説いた。「日本人の為に、これまでに救援機など出してくれた国が、他にあったでしょうか?」「それでもトルコ航空の要望を、他の国の航空会社と同じ扱いになさるのですか?」
「そうだったね。そんな事件があったね」と答えて、その高官は政府関係者を説得して回った。
こうしてトルコ航空の希望通り、成田への乗り入れが決まった。そしてなんと森永さんが斡旋したエアバス2機がイスタンブル=成田線に就航したのである。 成田便は、トルコ航空のドル箱路線になった。心配されていた15年のリース契約についても、トルコ航空は1度たりとも支払い遅延を起こすことなく完済した。
平成18(2006)年1月、小泉首相はトルコ公式訪問の事前説明で、トルコ航空によるテヘラン在留邦人救出事件の話を聞いて感激した。
そして、その年5月17日にテヘランで、トルコ航空の元総裁、元パイロット、元乗務員たち11名の叙勲を行った。通常、日本政府が外国人に対して行う叙勲は20名程度だが、この年はそれに加えて、トルコ航空関係者11名の大量叙勲を行ったのである。また、オザル首相はすでに亡くなっていたので、未亡人に小泉首相の感謝状が贈られた。
日本とトルコは長く深い友好の歴史があるが、このトルコ航空による邦人救出は、その特筆すべき1頁である。
”トルコ世界一の親日国” 危機一髪!イラン在留日本人を救出したトルコ航空 森永堯著(伊藤忠)明成社発行 より転記いたしました。
残る500名近くのトルコ人は、なんと陸路、つまり車で帰国したのである。テヘランからイスタンブルまでは、猛スピードで飛ばしても3日以上かかる。つまりトルコは自国民を遠路はるばる車で帰国させてまで、外国人である日本人に特別機を提供して救出したことになる。
「こんなこと、日本だったら許されるだろうか?」
森永さんはそう考えると、まず怖れたのはトルコのマスコミの反応であった。
「外国人である日本人を優遇し、自国民たるトルコ人を粗末に扱った」と報道しかねない。野党がスキャンダラスにこの件を取り上げ、オザル首相批判を行っても不思議ではない。ましてやトルコ人は熱狂的な愛国者である。
森永さんは固唾を呑んで事態の推移を見守った。しかし、それらは全くの杞憂(きゆう)であった。なんと、誰も問題視しなかったのである。トルコのマスコミ、そしてトルコ国民の度量の大きさに森永さんは感銘を受けた。
武勇で鳴らしたオスマントルコは、日本と同じサムライの国である。トルコ人は「あなたを独りにしておかない」という。困ったあなたを放ってはおかない、という意味である。「武士の情け」と同じ心だろう。
森永さんは「トルコ航空にかならず恩返しをしよう」と自分に誓った。やがてそのチャンスがやってきた。
トルコ航空が、エアバスの長距離大型機を2機購入したいというのだが、その資金がなく15年もの延べ払いが必要であった。
当時、トルコのカントリー・リスクは高く、長期の信用供与をしてくれる企業はなかった。森永さんは「私自身が担保となり、支払い遅延が発生したら必ず取り立てる」と言って、関係者を説得し、ついにトルコ航空とのファイナンス・リース契約にこぎ着けた。
また、トルコ航空はイスタンブル=成田間の就航を強く望んでいたが、成田の発着枠は満杯であり交渉は一向に進展しなかった。
森永さんは運輸省の高官に説いた。「日本人の為に、これまでに救援機など出してくれた国が、他にあったでしょうか?」「それでもトルコ航空の要望を、他の国の航空会社と同じ扱いになさるのですか?」
「そうだったね。そんな事件があったね」と答えて、その高官は政府関係者を説得して回った。
こうしてトルコ航空の希望通り、成田への乗り入れが決まった。そしてなんと森永さんが斡旋したエアバス2機がイスタンブル=成田線に就航したのである。 成田便は、トルコ航空のドル箱路線になった。心配されていた15年のリース契約についても、トルコ航空は1度たりとも支払い遅延を起こすことなく完済した。
平成18(2006)年1月、小泉首相はトルコ公式訪問の事前説明で、トルコ航空によるテヘラン在留邦人救出事件の話を聞いて感激した。
そして、その年5月17日にテヘランで、トルコ航空の元総裁、元パイロット、元乗務員たち11名の叙勲を行った。通常、日本政府が外国人に対して行う叙勲は20名程度だが、この年はそれに加えて、トルコ航空関係者11名の大量叙勲を行ったのである。また、オザル首相はすでに亡くなっていたので、未亡人に小泉首相の感謝状が贈られた。
日本とトルコは長く深い友好の歴史があるが、このトルコ航空による邦人救出は、その特筆すべき1頁である。
”トルコ世界一の親日国” 危機一髪!イラン在留日本人を救出したトルコ航空 森永堯著(伊藤忠)明成社発行 より転記いたしました。
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