今日で中越地震から年が経った。現地では追悼の集会が開かれ犠牲となった67名の方の慰霊が行われた。特に被害のひどかった山古志村の小中学校の復興もなったようだが、住人の住居がいまだ復興ならず2年経ったいまも仮設住宅での生活を余儀なくされているようだ。私がこの地震で深く心に残っているのが、土砂に埋もれた車の中から奇跡的に救助され九死に一生を得た当時2歳だった「雄大ちゃん」だった。雄大ちゃん救出のニュースを見たのは刑務所の食堂であった。レスキュー隊員の腕に抱かれて救出されたその姿を見たとき、その場にいた受刑者全員が拍手をして喜んだ。拍手や奇声を上げる事に普段厳しい刑務所の職員も、この拍手には何も言わなかった。恐らく日本中の人々がこのシーンには絶大なる拍手を送ったはずだ。その雄大君が今年で4歳を迎えた。大変元気で末はレスキュー隊員かウルトラマン何とかになって、世の中の為になりたい。こう言っているそうだ。ウルトラマンになれるかどうかは分からないが、少なくともレスキュー隊員にはなれるはず。実に頼もしい限りである。さて、一方京都では3歳になる男の子が継母と実父の手で餓死させられた。これほど痛ましい事件がこの社会的発展を遂げた現代に起こりうることが不思議でならない。この男の子の名は拓夢君という。夢を切り拓くと書いて拓夢。彼はたった3歳の人生でこの世から消されてしまった。拓夢君がどんな夢を持っていたのか?きっと新潟の雄大君のようにウルトラマンになりたかったのだろう。警察官にもなりたかったのだろう。ひょっとするとレスキュー隊員にもなりたかったのかもしれない。しかし救急隊員の腕に抱かれた拓夢君の体重は通常の3歳児の半分の7キロしかなかったという。拓夢君にはお姉ちゃんがいたという。今年6歳になるお姉ちゃんが。そのお姉ちゃんは今年の3月に虐待を受けたとして児童相談所に預けられている。また近隣の人々がいじめを受けていることを通報していると言う事実がある。それをここまで放置したのは監督責任のある児童相談所であろう。お姉ちゃんが相談所に預けられた時点で弟の存在は分かっていたはずだ、それをここまで放置した責任は重大である。児童相談所のコメントは虐待はなかったと認識していた、であった。ここにも一人お役所仕事の犠牲者が出た。近ごろ公務員が色々取りざたされている。その中で真面目にやっている方も大勢いるはずだが、こんなわずか一握りの連中のせいでその評価が決められてしまうのはかわいそうだ。しかし現実に京都で起きたこの拓夢君の虐待死は児童相談所がきちんとした対応さへしていたとすれば助かった確率は高かったはずだ。このニュースを拓夢君のお姉ちゃんが知ったらきっと悔しいだろうし、大人への不信感はPTSDとして生涯彼女の心に残るのであろう。この事件の被害者は拓夢君だけではないことを京都児童相談所は知るべきだし、また全国の児童相談所の職員も対岸の火事として見ずに、これからの監督強化に力をいれ再発に防止に励んでほしい。拓夢君の小さな魂の冥福を心から祈らずにはいられない。拓夢君安らかに眠ってください・・・
渋谷歌壇 幼子の 命の叫び とどきまじ
合掌を する手にはいる ちさき魂 狂竜
渋谷歌壇 幼子の 命の叫び とどきまじ
合掌を する手にはいる ちさき魂 狂竜