柳田 功ニュース

政治結社 皇嵐社の運営するブログです。
日本で今起きていることや歴史のことなどを独断と偏見で日々綴っています。

明暗

2006年10月18日 | Weblog
今日は二つの遭難事故のニュースが入った。一つは神奈川県の大山登山。もう一方は新潟県と群馬県の境、三国山での遭難。どちらもそれほど険しい山ではない。三国山にしても県道から200メートルほど入ったところ。たしかに急峻な崖は有ったにしても気をつけていれば滑落するような場所ではなかったように思う。女性二人がどの程度の登山経験者であったかは知る由もないが、結果残念にお二人ともに命を落とされた。ご家族の心中察するに余りある。神奈川の大山では祖父・母・子の4人の家族が遭難し、今日4日ぶりに無事保護された。その映像を見たときには自分の様にホッとしたものだ。この4人が登った丹沢山系の大山だが、私も実は中学2年のときに沢登りを楽しんだ事がある。私はこのとき初めて沢登りを経験したのだが、まず驚いたのはその登り方であった。登り始めたのが民家の裏庭のようなところからで、いきなりなんでこんなところから?と思うほどで、道などまったくないところを草を掻き分け掻き分けて上っていく。途中休憩するのも生い茂る木に持たれかけてだったり、斜面にはいつくばって休んだりとまったく初心者には行き当たりばったりという感じであった。上へ上へと目指して上がっていくのだが、どこまで行っても山頂には着かず、本当に頂上があるのかとさへ思ったほどだった。山登りの経験のある人なら大山の沢登りなど登山のうちには入らないのかもしれないが、私はこのまま永久に登り続けなくてはいけないのかと悲観したものだった。ところが苦労して山頂に着いたときの嬉しさ、そしてかいた汗の清々しさを覚えたとき、なんとも言えぬ喜びが沸いてきて思わず笑っていた。当時山頂の茶屋ではただの水が一杯5円だったか10円だったかで売っており、普段水道の蛇口をひねると水はただで飲めるものだと思っていた私は、大きなカルチャーショックを受けたのだった。当時の大山は今のようにケーブルカーなど走っておらず、強力と呼ばれた男達が背中にしょって山頂まで運んだという。私はその話を聞いた時、この強力と呼ばれた男達に恐れにも似た感慨を持った。今でも私はこの大山に時々出かけては阿夫利神社にお参りをするが、今では自動販売機までが山頂に設置されている。思えば便利な世の中になったものである。便利になったこんな今でも登山愛好者にとって、山は登る対象であってみるものではない。この季節軽い気持ちで紅葉見物に登山をする人もいるだろう。しかしくれぐれも山を舐めてはいけない。ひとたび事故が起きれば大山でも、三国山でもその命を落とすことがあることを忘れずに。


  渋谷歌壇  明暗を わけし二山の 山登り  狂竜