昨日安倍総理大臣が国会で「過去の戦争の・・・」と言う民主党の鳩山議員の質問に対して「歴史は歴史家の手に委ねた方が良い」と答えた。まさにその通りである。世界の歴史の中で既に半世紀を越えた歴史上のことを、国会の本会議でいつまでも論じているのは日本だけである。先の大戦のことを未だに政争の道具にしているわが国の政治の貧困さは、まったく政治的に未熟な国であるといわざるを得ない。中国や韓国がこのことを駆け引きとしていつまでも持ち出してくる背景には、このように自国の中できちんと処理できていないということがある。彼らがこの問題を引き合いに出して何か得をすることがあるのか?と問われれば長期的展望に立ったとき決して私は得などあるはずもないし、かえってお互いの理解を阻む障壁になると考える。謝罪と言う面では過去二代に亘る天皇陛下も、歴代の総理大臣も、幾度となくその謝罪を繰り返してきた事だ。また、経済的支援や慰謝料など物質面でも謝罪はしてある。これ以上何を寄こせというのであろうか。私たちはこうした馬鹿な質問を繰り返す野党の大馬鹿者どもに、何らかの鉄槌を与えねばならないと考えるがいかがなものであろうか。さて、話は変わるが、今を遡ること16年前の今日、1,990年10月3日午前零時、私達はベルリンの壁が壊されていく光景をテレビの画面に釘付けになって見ていた。東西ドイツが45年ぶりに統一なった瞬間であった。この場合は東西ドイツ政府が歴史の歪みを政治手段で修正をしたわけだが、これはこれで自国の問題であって政治で決着をつけねばならない問題であったのだ。この場合と我が国を混同して語るわけには行かないが、やはり政治家が政治と言うものを認識していなければいつまで立ってもこの問題の解決を見ることはないだろうし、政治的に成熟した国家にはなり得ようもない。いつまで私たち国民がこの未熟な政治の犠牲にならなければいけないのか判らぬが、こればかりは私達が手をこまねいてみているわけにはゆかないはずで、そろそろ国民的規模での政治的未熟の改革に立ち上がるときが来ていると切に考える次第である。前にも書いたがアメリカが靖国参拝に口を挟むようになってきた今、どこかで楔を打っておかなければ米・中・韓の日本包囲網が張られる可能性は大である。早急にこの問題の国内世論の整備をする必要があり、国を挙げて日本包囲網の阻止に立ち上がらねばなるまい。 日本祖国!
渋谷歌壇 秋の風 散歩の足の 歩の進み 恐竜
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