PDF「第Ⅶ章 各部の納め1:屋根」4.化粧スレートまで A4版15枚 訂正済
(2022.11.14 21時 PDF9頁(123頁)、図「①準耐火45分」の図の軒先と野地板無垢材表記をはずしました。)
(2022.11.15 10時 PDF6頁(120頁) 表「防火地域」の階数・面積にミスがありました。「2≦階数、100㎡<延面積の場合」)
Ⅷ 各部の納め1:屋根
1.屋根の役割
木造軸組工法は、木造軸部の建て方終了後、直ちに屋根を架ける点に特徴がある。
これは、年間を通して多雨の日本に向いた工法である。
2×4工法、ログハウス、組積工法では、壁・床下地の施工が先行する。床下地の先行は、作業足場が確保できる点で、施工上軸組工法より有利ではあるが、屋根工事が最後になるため、その間の雨に対する養生が必要になる。
屋根の役割 1.降雨への対応(屋内への雨水の侵入防止、軒の出による外壁への雨の吹付け防止)
2.環境形成(視覚効果による建物まわりの環境形成:家並み・街並みの形成上、重要な役割を持つ)。なお、地域によっては、防火:延焼防止の対策が要求される。
1)降雨への対応
屋根設計の基本的な留意事項:水(雨水)の性質に逆らわないこと。
雨水の性質 1.上から下へ流れる、ただし、毛細管現象の生じる場所では上にも流れる。
2.風の強い所では、風圧で逆流し吹き上がる。
屋根形状、勾配、軒の出は、建設地の風雨の状況、建物用途、使用屋根葺き材によって異なる。
例1 瓦屋根の寺院建築では、当初(奈良時代)は、降雨量の少ない中国建築の緩い屋根勾配にならっていたが、順次わが国の降雨に見合う勾配に変わる。見えがかりの点も考慮されたようである。
唐招提寺 金堂(奈良市、奈良時代・八世紀後半創建) 鎌倉時代に、屋根勾配を変更したのではないかと推定されている。
当初推定建物正面図(左)と 現状(右) 図は共に奈良六大寺大観 唐招提寺一 浅野清氏(岩波書店)より
現在の唐招提寺 金堂 古建築入門(岩波書店)より
(奈良時代の緩い屋根勾配の事例:新薬師寺本堂 古建築入門(岩波書店)より
例2 茅葺き屋根は、材料の性質上、緩い勾配は不可能である。また、寄棟屋根が多い。寄棟屋根は、雨のあたる外壁面を少なくできる。
椎名家(茨城県かすみがうら市) 図は日本の民家1 農家Ⅰ( 学研)より 文字・着彩は編集によります。
例3 瓦や金属板が普及する以前、風の強い地域では、風下側の吹き上りを防ぐため、3寸5分程度の緩い勾配の板葺屋根が多い(釘が貴重品であったため、石を置いて葺き材を固定)。
渡邉家(新潟県岩船郡関川村) 正面図 日本の民家5 町屋Ⅰ、 同背面屋根・石置屋根詳細 日本の民家2 農家Ⅱ(学研)より
例4 土塗壁を表しにする場合、風雨から外壁を保護するために、軒の出を大きくし、深い軒を造る工夫がされる。
肘木、出組、二重垂木、出桁。 →時代が下ると、本来の目的をはなれて、格のシンボルとなる例が現れる。
〈寺院建築の「軒の出」の変遷〉 図は日本建築史図集1989年版(彰国社)より
a法隆寺東室(ひがしむろ):8世紀(奈良時代) 奈良県生駒郡斑鳩町いかるがちょう
組物がなく、(地)垂木だけの最も簡単な軒。一軒ひとのきと呼ぶ。
奈良六大寺大観 法隆寺1(岩波書店)より
b法隆寺伝法堂(でんぽうどう):8世紀(奈良時代)
地垂木(ぢだるき)先端に木負(きおい)を渡し、飛燕垂木(ひえんだるき)を掛ける。二軒(ふたのき)と呼ぶ。
奈良六大寺大観 法隆寺5(岩波書店)より
c法隆寺東院(とういん)礼堂(れいどう):1231年(鎌倉前期)
二軒(ふたのき)だが、外から見える地垂木・飛燕垂木は化粧材。桔木(はねぎ)上に束立で掛けた野垂木(のだるき)が屋根面を支える。二軒。 時代が下がると、化粧の地垂木・飛燕垂木は細身になる。 図中の文字「野垂木」は編集によります。 奈良六大寺大観 法隆寺5(岩波書店)より