檀家を持たない、霊園も持たない真言律宗のお寺です。
この地は京都から奈良への交通の要所にあたる為、奈良へ討ち入るとき、しばし戦場と化した。
平安時代末期、平重衡の4万の兵による南都焼き討ち(平家物語)により東大寺、興福寺と共に伽藍が焼失した。
鎌倉時代に再興されたが、室町時代末期、戦国時代には松永久秀と三好三人衆との戦乱でまたも伽藍は焼失した。
江戸時代の復興、明治初年の廃仏毀釈と栄枯盛衰を経ながら現在に至っている。
高さ14メートルある十三重石塔(重要文化財)は東大寺復興の為、来日していた宋の石工の作で
鎌倉時代を代表する石塔である。
鎌倉時代に建立された二基の傘塔婆(重要文化財)は我が国最大の石燈婆である。
西国薬師第三番札所