天台宗の尼寺です。
健礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の皇后)は源平の戦いに敗れて遠く壇ノ浦で滅亡した
平家一門と、わが子安徳天皇の菩提を弔い終生この寺で過ごされた。
寂光院の前のお店
天台宗の尼寺です。
健礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の皇后)は源平の戦いに敗れて遠く壇ノ浦で滅亡した
平家一門と、わが子安徳天皇の菩提を弔い終生この寺で過ごされた。
寂光院の前のお店
奈良大和路なのになぜ京都? 番外編ということでお許しを・・・・・・・
蓮華寺、京都 私の好きなお寺の1つです。八瀬の手前のいつ行っても人の少ない静かなお寺です。
小学生、中学生、修学旅行生は入山禁止です。
奈良大和路なのになぜ京都? 番外編ということでお許しを・・・・・・・
大原の里は、古くは世俗を捨てた念仏行者の隠れ里あり、この地に建つ三千院は皇族や親王が住職を務めた門跡寺院の格式を伝え
境内の往生極楽院では、阿弥陀三尊が千年にわたり人々を迎えている。
往生極楽院は平安末期に建立したと伝えられている。この時代は仏法が衰退した末法(まっぽう)の世とされる、この時期、武士の台頭に
ともない、平安時代の貴族世界が崩れ去ろうとしていた。人々は不安を募らせ西方浄土を司る阿弥陀如来に極楽往生を祈る浄土信仰が
流行、各地で阿弥陀如来が祀られた。
今井町は戦国時代一向宗の門徒が御坊を開き、自衛上武力を養い堀をめぐらし、織田信長が上洛以来、本願寺は反信長の旗を立て
今井もそれに呼応し、寺を中心とた城郭都市の形態を整え抵抗したが信長上洛7年後、明智光秀、今井宗久を通じて信長に降伏し
事なきを得た。かくして大阪や堺などと交流がさかんになり、商業都市としての変貌をとげ江戸時代には南大和最大の在郷町となって
大いに栄えた. 平成5年重要伝統的建造物群保存地区に選定される。
現在も今井町の大半の民家が江戸時代以来の伝統様式を保っており、美しい民家が数多く建ち並び、町全体が戦国時代に出来た
寺内町の歴史の重さを感じさせている。
宇陀松山地区は戦国時代、秋山氏が築いた城の城下町として発展、2006年に重要伝統的建造物保存地区に
選定されました。