東院は聖徳太子を偲ぶため、太子が暮らしていた斑鳩宮後に創建された。
夢殿はその本堂として、太子信仰の象徴的存在だった。
しかし平安時代末期、いきさつは謎のままだが夢殿はその扉を固く閉ざしてしまった。
明治17年東洋美術家のA・F・フェノロサは岡倉天心らと共に、文部省の依頼で法隆寺
の調査をしていた。
彼らが最も関心をよせていたのは、800年近く閉ざされたままの夢殿だった。
当時僧侶達は祟りおそれ夢殿の開扉を拒んだ。寺宝保護の重要性を熱弁するフェノロサに
住職も折れ、扉が開かれた、その瞬間たまった埃がまいネズミや蛇が驚いて飛び出してきたという。
このとき450メートルもの白い布に包まれていた本尊・救世観音菩薩立像(国宝)が発見された。
救世観音は太子の等身大と伝えられ、4月11日から5月5日まで開扉されており金色に輝く姿を
拝む事が出来るます。
夢殿