北条政子産湯井戸
静岡県伊豆の国市寺家
尼将軍となり、鎌倉幕府を支えた北条政子は、伊豆の小豪族、北条時政の娘として伊豆半島中央を流れる狩野川に近い この地に1157年、保元2年に誕生しました。
政子は源頼朝の10歳下ですから、頼朝が平治の乱に敗れ、伊豆 蛭ヶ小島に流されるのは4歳の頃です。
成長して伊豆近郊の何処かの武家の嫁になっていったであろう政子の運命は、平家に敗れたとはいえ、源頼朝という源氏の嫡流という貴種がこの地に来たことで、大きく変わります。
時代は平家全盛期で、政子の住む伊豆はもとより、坂東と呼ばれた現在の関東地方も平家に組みし、近い者が甘い汁を吸うことで、坂東武者の間には不満が燻(くすぶ)る中、近郊に住んでいた源氏嫡流の源 頼朝が、監視役の伊東祐親の娘、八重と恋仲となり、子供まで儲けたことに祐親は激怒し、孫となる千鶴丸を殺し、頼朝も狙われるも寸前で逃れ、北条邸に匿われます。
ここで頼朝と間近で出会い、(頼朝は近郊の蛭ヶ小島に住んでいたことから、見かけたことはあったでしょう)政子は頼朝と恋に落ちます。
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