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日本歴史紀行

歴史紀行 30 ‐ 21 高野山 総本山 金剛峯寺



高野山 総本山 金剛峯寺


和歌山県伊都郡 高野町


総本山 高野山 金剛峯寺は、弘法大師 空海が開創した当初、~金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経~
【こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう】
という経に基づいて名付けられた高野山 全山の総称です。

現在も真言宗 高野山の中心となる寺院で、全国の高野山 真言宗 3600の寺院、信徒約1000万の総本山で、金剛峯寺は宗務一切を司り、弘法大師 空海の教えを座主が管長となって守っています。



安土桃山文時代の1593年 文禄2年に豊臣秀吉が母親
、大政局の菩提を弔うため、住持 応其上人に命じて建立した 青巖寺と興山寺を合併し、寺院の総称として【 金剛峯寺 】と呼ぶようになったものです。

安土桃山時代以降は、豊臣秀吉が帰依したこともあり、武家や公卿の崇敬を集め、諸大名が伽藍や堂を寄進し、墓所を建立したりしました。

その後、豊臣秀吉と不仲となり関白職を辞した甥の豊臣秀次が謹慎の後、自害したのか青巌寺 柳の間でした。


高野山の伽藍諸堂が山上の建物のため、落雷による被害が度々あり、大規模なものでも7度に及び、衰退と廃絶の危機に瀕したこともありましたか、その度に多くの寄進により再興を遂げました。

また、現代の世になっても、弘法大師信仰の中心地として、真言密教の聖地として、一般人はもとより、政財界の人々にも崇敬を受けています。


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