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日本歴史紀行

歴史紀行 30 ‐ 23 高野山 奥の院 中の橋



高野山 奥の院 中の橋


和歌山県伊都郡高野町 高野山


奥の院 【 中の橋 】は、一の橋と御廟の橋の間にあるので中の橋といい、正式には、手水橋(ちょうずばし)とも呼ばれ、御廟が建立された後の平安時代以降は、禊ぎ(みそぎ)の場として使われました。

橋の下を流れる川は【金の河】といい、
【金】は【死】の隠語を意味し、死の河ということで、三途の川を意味します。



中の橋



参道






弘法大師が腰をおろしたという 腰掛石




中の橋から御廟橋へ向かって進むと、死の世界へ入ることを意味し、また、水面に映る自らの姿の濃淡により、命の長短が分かるという姿見の井があります。

高野山を訪ねたのは2018年の秋でした。

この年、ぼくは しばらく医者にかかってまして、覗くことはやめました。





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