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日本歴史紀行

歴史めぐり 街物語 7 ‐ 9 奈良県 奈良市 9




行基 像

奈良県奈良市 近鉄奈良駅前



668年 天智7年、飛鳥時代末期に河内(現在の大阪府堺市)に生をうけた行基は、15歳で仏門に入りました。

行基は、この時代の僧侶の多くにある寺院の中で経を唱え、布施を受けるようなことはせず、全国を自らの足で歩き、民衆に寄り添う僧侶でした。

仏門の道を説き、流行病や重税に苦しむ農民のために薬を施し、池を掘り、橋をかけたりと、奉仕を行う僧侶として絶大な支持を受けたため、元正天皇治世の朝廷から警戒され、活動を禁止されてしまいました。

724年 神亀元年、仏教に深く帰依する聖武天皇が即位。依然として行基を慕う民衆は集り続けると、仏教に理解の深い聖武天皇治世の朝廷は、高齢の者に限って得度を許し、また、行基を薬師寺の師位僧(公的な僧侶)として認めることとしました。

朝廷は行基と慕う民衆を圧力ではなく、労働力として使う道を選択します。

聖武天皇治世下で恭仁京(くにきょう)、紫香楽京、難波京、そして平城京と四度の遷都が繰り返す中で、行基の集団が都造りに一役買うことになりました。

743年天平13年、聖武天皇は、東大寺造立と大仏の造立を決め、詔を発譜します。
ここでも行基と慕う民衆が大いに働きます。

745年 天平17年、行基は僧の最高位、大僧正の位を日本で初めて与えられます。

749年 天平勝宝元年、行基は大仏の完成を見ずに82歳の生涯を終えますが、大仏の造立は、行基の弟子達の働きもあって751年 天平勝宝3年に竣工し、翌年に開眼供養が行われました。

民衆に寄り添う僧侶、行基は菩薩と慕われた僧侶でした。



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