
高野山 壇上伽藍 大会堂 (だいえどう)
和歌山県伊都郡高野町 高野山
大会堂は、平安時代後期の1175年 安元元年、鳥羽法皇(鳥羽天皇)の皇女、五辻斎院頌子(いつつじのさいいん しょうこ)内親王が父、鳥羽法皇の追善供養のため、壇下に創建しました。
後に西行が長日不断談義の学堂として壇上に移すことを内親王に勧め、移築の運びとなりました。
移築された後は、蓮華定院と名を改めて法会の集会場所として重宝され、異なる宗派勢力との集会や大人数での談義の場として活用されるうちに、大会堂という名が一般的になりました。
現在の大会堂は1848年 嘉永元年に再建されたものです。