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日本歴史紀行

歴史紀行 11  聖徳太子 御像





聖徳太子 御像

奈良県桜井市三輪 平等寺


聖徳太子は、飛鳥時代の皇族の1人で、574年 敏達天皇3年、用明天皇の第二皇子として生まれ、后が厩の前で産気づき、太子を出産したため、厩戸皇子とも呼ばれます。

聖徳太子の名は、諡名(おくりな)として、逝去後に贈られた名前です。

日本史上、初の女帝となった推古天皇の摂政として政治を任され、内政では〜和をもって貴しとなす〜の序文からはじまる日本史上初の憲法となる十七条憲法。

土地の有力者たる豪族らを現在の官僚にあたる身分として組織化した冠位十二階を制定して国家としての形作りを行いました。

外交では、随国(現在の中国)と対等な外交関係を築くべく、小野妹子を派遣し、世に有名な〜日出づる処の天子(天皇)、書を日の没する処の天子(随国の皇帝)へ。と認めて国書を随の王朝に届けます。

太子は伝来した仏教の布教に尽力し、難波に日本初の官寺、四天王寺を創建、飛鳥村に安居院(飛鳥寺)を建立。

自らの宮殿、斑鳩宮の隣に法隆寺を建立して隆盛に尽くしました。

今年、2022年は聖徳太子没後1400年の節目となる年を迎えました。





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