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日本歴史紀行

現代語訳 徳川実紀 3 松平広忠の子



松平広忠の子



竹千代の父、松平広忠の子は、竹千代の他に男児一人、女児が三人いらっしゃった。


正妻 於大の産んだ子は竹千代のみで、側室がも
うけた男児は家元。後に康元と称し、生涯足が弱く、世に出て人にも交わることはなかった。

のちに母正光院と生活を共にした。


長女は多劫姫と申し、桜井の松平与一忠政に嫁し、忠政の死後、その弟与一郎忠吉に嫁し、
その後また保科弾正忠光に降嫁した (『藩翰譜』には、正光に降嫁したとし、烈祖 (家康)の
妹は伝通院(家康生母)が再嫁した久松俊勝のもとで設けたとあるが誤りである。


その次 (二女)は市場殿といって、荒川甲斐守頼持
(または義虎)に嫁し、のちに筒井紀伊守政行に嫁がれた。

その次 (三女)は矢田姫と申し、長沢の松平源七
郞に嫁がれた。


広忠はこののち、田原城主戸田弾正少弼康光の娘 (真喜姫)を迎えなさったが、この娘とは子が無かった。


福釜松平甚三郎信乗の子 兵庫頭親良も、桑谷の右京大夫忠政も、内藤豊前守信成も、実はこの
広忠の子であるとも伝えられる。







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