
昭和64年(1989年 ) 1月7日
昭和天皇 崩御
1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、
1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、
史上もっとも激動の生涯を歩まれた昭和天皇が崩御されました。
1901年、明治34年4月29日に誕生された昭和天皇は、学習院初等科において日露戦争の陸軍大将、乃木希典に。東宮御学問所では同じく日露戦争、日本海海戦で指揮を執った連合艦隊司令長官の東郷平八郎に学び、1921年、大正10年に入ると大正天皇の健康悪化のため、摂政宮として大正天皇に代わり天皇の大権を統治。
第一次世界大戦の戦後処理、関東大震災の視察、大正天皇の崩御に伴い 1925年、大正15年12月25日、第124代天皇〜昭和天皇として即位されました。
1936年、昭和11年、2月26日に軍の若手将校が昭和維新を掲げて決起し、226事件を起こした際には、内大臣〜斎藤実、高橋是清 大蔵大臣らを銃殺され、難しい局面において冷静果敢に対処して乗り切り、日中戦争、太平洋戦争を体験して戦争終結を告げる聖断を下し、史上初、国民に直接語りかける玉音放送において大戦を終わらせました。
戦後処理として9年近くの歳月をかけて沖縄を除く全国46都道府県を行幸して国民を励まし続け、晩年に高度経済成長による国民の繁栄を見届けた昭和天皇は昭和62年頃より体調を崩し、嘔吐、吐血、体重の急激な減少等を繰り返し、1989年、昭和64年、皇居吹上御所において宝算87歳をもって崩御されました。