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日本歴史紀行

思い出フォト 87 2018年 2月 飛鳥の息吹き


今朝一枚目の投稿は、2018年2月3日のもので、今から6年前のものでした。


この投稿の写真はその翌日、2月4日で、奈良市内から南下して法隆寺駅から斑鳩(いかるが)町周辺を歩いたものです。

ただ、この訪問時、法隆寺は西円堂などが補修してあったこともあって拝観を取りやめ、近隣の古刹を観て回りました。


 




藤ノ木古墳






被葬者は特定に至ってませんが、聖徳太子の叔父にあたる欽明天皇の皇太子の穴穂部皇子、または蘇我馬子の謀略により東漢駒に暗殺された崇峻天皇の陵ともいわれています。











法隆寺に隣接する西里の集落
この辺りは かつて法隆寺の伽藍建築や修理に携わる職人たちが住み着きました。











三井(みい)赤染の井
飛鳥時代、聖徳太子が開削させた三つの井戸で、時代の流れの中で役割りを終えて埋められていましたが、歴史的価値が見直されて掘り起こされました。日本最古の井戸とされています。










法輪寺
聖徳太子の皇子〜山背大兄皇子が創建した法輪寺は、太平洋戦争中の昭和19年まで最古の三重塔として斑鳩の里、矢田丘陵にそびえていましたが、不幸にも落雷に見舞われて焼失してしまったものの、戦後さまざまな人々の善意により創建当時の姿を甦えらせました。








山背大兄皇子陵伝説地(富郷陵推定地)
山背大兄皇子は聖徳太子の皇子で、太子の没後、蘇我氏と激しい政争の末に蘇我蝦夷の襲撃を受けて一族は滅ぼされ、太子の血筋は絶えました。

この政治抗争をきっかけに中臣鎌足が中大兄皇子(後の天智天皇)を担いで乙巳(いっし)の変を起こして政変劇を演じて蘇我氏を滅ぼし、後の大化の改新へと繋がりました。










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