
坂本龍馬像
慶応2年1月21日(1866年3月7日)
坂本龍馬の仲介により薩長同盟約が締結
ペリー来航以来、幕末の世は、開国か攘夷かの二者択一の極端な論争が幕府、朝廷、それに外様大名の諸藩で巻き起こり、また、これに触発された国を憂う脱藩浪士も加わり、京の町を中心に政争となって治安の悪化にもなっていました。
先代の藩主、島津斉彬の推す開国、幕府と有力諸藩による合議による国造りを目指した薩摩藩と、強硬な攘夷論の長州藩は、八月十八日の政変、禁門の変と、二度の武力衝突での遺恨もあり、犬猿の仲でしたが、 坂本龍馬の仲介により、薩摩藩と長州藩が討幕の為に提携することで合意する密約を結びました。
この密約により、約2年後の倒幕へと進むことになります。