正岡子規についてのエッセイです。
「俳句は文学の一部なり。文学は美学の一部なり。」
「美の標準は各個の感情に存す。」
(俳句は、)俳句を作る個人に表現の根拠を置き、作品を複数で作り上げる俳諧等とは異なり、
作者という個人があくまで主体的に表現する世界と定めた。そして
俳諧の「発句」を独立させ「俳句」とした。
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書道では大手展覧会に向け、大先生から「作例をいただく」ことが主となっています。
技術の鍛錬は、競書雑誌等で毎月のようにやってますので、
書の個性的な発展を願うなら、3~5年ほど基礎鍛錬した書学者に対しては、
作例を与えずに、口頭アドバイスのみにする等のぼうが、個性的な作品になるのでは
と思ってます。
もしくは参考作品は渡しても、それのコピー作品を書かないようにするとか。
大先生の作品を100枚とか1000枚書いたという事は鍛錬・誇りにはなりますが、
そのコピー作品が、本当の自分の作品なのかを考えていきたいです。
・・・と、ふと思いました。乱筆しつれいしました。
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