アラカンカラ

アビニョン

セナンク修道院からアビニョンに帰ると

まだ明るいけど 夕方でした。

アビニョンのホテルに滞在していましたが

アビニョン観光はまだしていませんでした。

急いで アビニョン教皇庁まで行きましたが

教皇庁はもう閉館していて見学できず




ここにローマ教皇が約70年間お住まいになっていました。

世界史でのローマカトリックのクライマックス

捕囚と言うより 管理下の元 贅沢なお暮らしだったのかな
もっと悲劇チックを想像していましたが。

ちょうど教皇庁広場から

観光電車 プチトラン の最終が出発だったので

プチトランでアビニョン見所一周しました。




アビニョンで泊まっていたホテルは

メインストリートに面した小さく綺麗なホテルでした。







アビニョンバスターミナルからも近く

…この時は TGVアビニョン駅まで バスに乗りましたが、今は城壁近くのアビニョン中央駅からTGV駅まで電車で行けるようになったそうです。





お部屋からメインストリートです。




1泊目の夕食は

近くのモノプリで買ってきた




サンドイッチとかで質素な夕食笑

この平たい桃 ペッシュ が前々から食べたくて

このひしゃげた形の 桃!

朝食はホテルでいただきました。




お昼は食べる時間がないかも とたくさん食べる笑

TGVアビニョン駅から

パリリヨン駅まで帰ります。




これに乗って帰りました。


計画を全部遂行出来た感で

胸いっぱいで乗り込んだのを 覚えています笑


胸張って 家族に威張れるぞ!みたいな笑


パリでもうしばらく遊びます!
















コメント一覧

anrinana
tonyさま おはようございます。
いろいろな思い入れがあって名前を決められるのでしょうね。
近々友達とマリーナの近くのレストランにランチに行くので観察して来ます。
Tony
マンボウ・・・
anrinanaさま
瀬戸内海は沿岸航海に適した、そして人気の名勝の多いところですね。少し手前ですけれど姫路・明石の漁港に置籍して新幹線で通う友人もいます。
東京周辺はマリーナが多くても空きがなく係留・上架(置籍)の費用も高騰して地方へ置く人が多くなりました。年に数回の航海ならレンタルが手軽にできるようにもなっています。

私達の船の名は「マンボウ」。
私達の集団でもある、北杜夫さんの「ドクトルマンボウ航海記」からいただきました。丸くてゆったりした船型と北杜夫精神は航海でも共有できる、と命名されました。
もちろん、人称代名詞は”She”になります。*日本では漁船を含め男性名詞をつける人がほとんどですが、欧米では女性名詞が慣用です。
Tony

anrinana
tonyさま わたしの友達なんですが、ご主人様がヨットが買われててヨットの名前が      
プリンセス友達の名前 なんです!
今広島に住んでいるのですが、遊びに行った時 プリンセス◯◯号で無人島に連れて行ってもらいました。
Tony
停泊・・・
anrinanaさま
協同購入、しかも長期ローンです。
わたしも停泊中はい酔いますがどんなに荒れても帆走(航行)中は酔いません、酔わなくなるのです。そこがお酒とちがうところかな。
港停泊中は陸を自由に歩きます、あなたさまも。すばらしいいでしょう!
Tony
anrinana
tonyさま マンションどころか家が買えてしまうお値段なんじゃないですか⁇
わたしは船は酔うので
それに地面を歩きたい派なので笑
Tony
Norway・・・
anrinanaさま
船の購入を後にすればよかった、という後悔はあります。当時日本の船はほぼ100%グラスファイバー製でしたのでNorway の荒天木造船を発注したので、「鎌倉」後であればNorway からニースへ直接回航してもらえたと思います。

日本政府発行の海技免状なので、友好国なら事前ビザ取得で(キューバはだめでしたが)当時でも航海ができました。

最近は西回りのこのコースを航海してカリブ海の島々で逗留、2年半帰って来ない人も出始めました。もっとも狭い船内はある意味路上生活と同じですから、それをうわまわる満足感がきっとあるのでしょうね。あなたさまも如何ですか?
Tony





anrinana
tonyさま 壮大な計画だったのですね!海で国境を越えていくのですよね。数十年前の事だったら手続きなども大変そう。この計画が実現していたらNHKのプロジェクトxとかで扱われそう。
Tony
eternal dream・・・
anrinanaさま
コートダジュールはニースのマリーナ~カンヌ~マルセーユ港~スペインのバルセロナ港~バレンシア~デニア岬~カルタヘナ岬~マラカ港(ここまで地中海の沿岸をたどり)~ジブラルタル海峡を抜けて大西洋を西進)、北回帰線の南の南米大陸ベネズエラのトリニダードトバコから(島伝いに)グレナダ~セントルシア~ドミニカ~プエルトリコ~ドミニカ~ハイチ(カリブ海を北上)~フロリダ海峡の国境線を渡り米国フロリダ州ビスケーン(マイアミ・ビーチ)。

「鎌倉=ニースプロジェクト」クランクアップの記念としてスタッフ一同心に秘めていた、一大スペクタクルなのでした。皆で共有して大切にしていた折角の船は葉山のマリーナにあり、荒れる海専用の大型クルーザーでしたけれどこれをニースまで輸送の問題が解決出来ないまま断念することになりました。

あとさき考えることのない(遊びで)、若気の至りな集団の心だけは今もコートダジュールに残って浮遊していることと思います。
Tony

anrinana
tonyさま 鎌倉のお店と同じアカシヤですか?とても印象的な街路樹でした。透ける日差しが南仏ですね。
Tony
アカシヤの・・・
anrinanaさま
アカシヤの雨にぬれてた~
このまま、死んでしまいたい

幹の曲がり具合、葉のやわらかさに透ける日差し、
アカシヤにちがいありません、この街路樹。

きっと・・・
Tony
anrinana
tonyさま アビニョンは石造りの古い建物と新しいお店が共存している不思議な街です。モノプリもあるしエルメスもあったと思います、縁がないけど笑
すごく歴史のある街なのに街路樹でわかるように伸び伸びしている感じでした。
Tony
それでも・・・
anrinanaさま
カトリックは温存された、ということですね。

ヨーロッパの歴史の根底に豪族と(王族)と宗教がいつもとなり合わせというか重なり合って、豪族はほとんど血縁でつながっていているため、さやが元に戻るのに数世紀も要するのが常だったのですね。
特にカトリックは内部分裂が少なかったために一度離反行動があると怨念のからんだ修復に時間を要したのでしょう。

プロテスタントは比較的早期に分裂を繰り返した結果、ルーテルをはじめ各派平穏に共存できているのは十字架さえも廃止する教義の見直しなど、時の市民との協和の意思が強かったのだと思います。

強力な政治力を持ったカトリック勢力が豪族(王族)の支援をうける、あるいは自前の軍事力を擁するということは歴史が語っている通りです。豪族を支配下に置くということも考えられるところです。
中世の教皇庁(城)が美し保存されているのが素敵です。

mono prixがこの街にもあったのですね、なつかしい。それに、しずかな南フランスの街並みが好き。TGVのプラットフォームがチャーミングで好き。
Tony



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