50,000.アクセス到達
まる3年です
こんな時期に申し訳ございませんが節目なのであげさせて頂きます
今後ともよろしくお願い申し上げます
50,000.アクセス到達
まる3年です
こんな時期に申し訳ございませんが節目なのであげさせて頂きます
今後ともよろしくお願い申し上げます
あれから20日・・・
昨日、震災後初めて仕事で宮城県に行ってきた
高速道路は所々が波打ったようになっていたり崩れていたりしていて
サービスエリアや市内のガソリンスタンドにはまだ長蛇の列があった
途中渋滞を避ける為に「東部道路」に乗った
海側の景色を見て言葉を失った
真っ黒い平地に(一部まだ水溜りがあり)松ノ木が散乱し、よく見ると所々に車が転がっている
まだこの辺りには手が回っていない様だった
現実のほんの一部を見せ付けられた気がした
それなのに私達が住んでいる山形は
電気、水道、ガスはもちろんスーパーの品物もガソリンもほぼ元に戻りつつあり
自分達の日常生活の中で
この災害が少しずつ後ろへ後ろへ移っていくようで何ともやりきれなさを感じた
本当の大変さはまだまだこれからなのかもしれない・・・
「がんばろう ニッポン!」
高校総体に向かって
いよいよ始動
今日は1号の部活が再開されて初めての練習試合だったのでグランドに出掛けてみた
(こちらは社会復帰後初パチリ)
7Dの感触を確かめつつ最後の高校総体に向かって本格的に動き始めた1号達を撮ってみた
AF性能はこれまで使っていた40Dとは別物のようだ。が、
連写でAFが何枚か付いてこなかったものが有ったので次回はもう少し感度を上げてみよう
連写8枚/秒はヤッパ心強いものがある
あとは「腕だな!」
トレーニングマッチの方はというと・・・
相手が社会人という事もあってか落ち着いた雰囲気だった
これから少しずつ調子も上がっていくのかな・・・?
今年は県外遠征をひかえる様なのでチョコチョコ楽しめそうだ
わが家の2号がこの春1号を追って商業高校サッカー部に入るのが決まったため
このグランドにはまだ暫らくお世話になる事になった
~ よろしくお願いいたします ~
CANON EOS 7D
CANON EF 100-400 F4.5-5.6 L IS USM
みんな考えは同じなのでは・・・
いや~、大変でした!
この時期に、周りに誰もいないのに、いったいどこで・・・?
インフルエンザにかかりました!
先週末に発病してようやく昨日社会復帰致しました
「手洗い」「うがい」だけで10年以上掛かっていなかったインフルエンザ
しんどい、しんどい、ヤッパリ掛かるもんじゃ~ありません!
私のことはこの位にして
皆さん、スポーツ観戦が出来なくてそろそろフラストレーションが溜まってきたのではないでしょうか?
あと5日で3月も終わりだというのにこの雪!
そして何よりこの度の予期せぬ「東日本大震災」!
いったい「日本の春」はどこに行ってしまったんだろう
夜中からスタンドに並び10~20Lのガソリンを入れ、棚から商品が消えたままのスーパーへ行き気持ちを落ち着かせるように何かをかごに入れる
これでも被災者の方々に比べれば比較にならないくらいの幸せ
しかし、もうみんな健全に大声を上げたくなっているのではないだろうか
先日、インフルで寝ていた時テレビでセリーグの開幕日がパリーグと同じ日に決定したニュースが流れていた
(以下は全く個人的な考えです)
もっと単純な考え方でいいんじゃないだろうか
あの恐ろしくも悲しい大震災が起こったのは3月11日
同じ国民として3月は辛い悲しみを共有すべき
しかし、4月(例えば4月という意味)からは共に一歩未来へ踏み出さなければならない
ならばみんな真平らに「Jリーグ」も「プロ野球」も同じく再開や開幕を迎えればいいと思うのだ
モチロン全てデイゲーム(ナイター禁止)で出来ればラジオ中継を増やして
目的は1つ
「日本を元気にするために!」
それが出来ない訳は
そこにチームとしての「思惑」が絡むから、世の中の空気が読めずに「3月に開幕したい」だの言い張る事になるのだと思う
大事なことは「下を向かずに顔を上げること」
これまでピッチの中の子供達に言い続けてきた事だ!
忘れられない一日
今日わが家の2号が中学校を卒業した
これで全員が義務教育を終了したことになる
ひとまず「お疲れ様でした」と「ありがとうございました」を言わなくちゃいけないよなカミサンに
そして
我が息子には
「親父が歩いてきた道より、お前がこれから歩んでいく道は数段険しいかも知れないが、
たくさんの良き友を作り、持ち前の明るさで前を向いて進んで行け」と言いたい
この卒業式は
5日前に発生した「東日本大震災」で
亡くなられた人たちや未だに厳しい生活をされている人たちがたくさんいるなか
行われた
三月も中旬だというのに雪がこんなに降る中で
この幸せに感謝しなければ・・・
忘れられない卒業式となった
CANON EOS 7D
CANON EF 70-200 F2.8 L IS USM
CIGUMA 17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSM
あの時、まさかこんなことになるとは・・・
ここは山形県山形市
今も携帯から「緊急地震速報」のサイレンが・・・
地震発生からまる二日が経ち、徐々に落ち付いてきたので、書けるところまで書き残したいと思う
あの時私は庄内での仕事を終えて事務所に帰る途中だった
外は猛吹雪
山形道の庄内あさひインターと湯殿山インターの間で、最も高い橋の上を通過中だった
突然携帯からあまり聞きなれないタダならぬ呼び出し音が・・・見ると
「緊急地震速報」だった
初めてのことで何がなんだか分からず前方と後方の車を確認するも、誰も停車する様子が無い
確かに「この猛吹雪の中橋のど真ん中で停まってどうする?」という考えも出来る
その2~3秒くらい後だっただろうか
車が大きく左右に揺れ始め、そして前方の大きな道路標識もユサユサ揺れていた
少々ハンドルがとられ蛇行したような気がする
「そう大した事は無いだろう」という気持ちと
「いったい何が起きているんだ」という気持ちとが一緒になったまま
ハンドルを握ってただ進もうとしていたような気がする
間もなく続けて長いトンネルに入った
「いやー怖かったなー」と思いいながら運転をしてトンネルを出た
ラジオは直ちに緊急速報に代わり震源地とその規模がどれ程のものかを知らされ
「これはただ事ではない」
「とんでもない事が起きた」
と感じ取った
車を停めて会社に電話をするが通じない
仲間の携帯にしても通じない
気を取り直して家族へ一斉メールを打った
・・・返事が来ない
暫らくして思いつきセンターに問い合わせをした
4通の着信
「だいじょうぶだよ!」と4人からのメールだった
(東京の娘からは私達を案ずる内容)
先ずは一安心と余震が続くなか運転して事務所に戻った
所員も建物も無事だった
地震発生から約3時間後だった
そして、山形市内も吹雪の中停電で暗闇に包まれようとしていた
その夜は家族4人真っ暗な部屋の中で冷たい布団の中で寄り添い眠った
それから約一日が経ち我が家にも明かりが戻った
テレビを付け岩手・宮城・福島の惨劇を目の当たりにして衝撃を受けた
あの時、まさかこんなことになるとは想像もできなかった
あの5千人を超える死者を出した「阪神・淡路大震災」の1,000倍の地震てどういう地震だ?
全く想像できないほどの威力です
私達は東日本のそして被害が最も甚大だった東北の中にありますが
太平洋側の方々に比べれば比べ物にならないくらいに少ない被害で済みました
本当にただただ幸運なことです
最後になりますが
今も未だなお被害にあわれている方々に対し心からお見舞い申し上げます
どうぞ諦めずに頑張ってください!
国道112号が全面通行止めのため今日は新庄回りで酒田へ
夕べからの雪でまた真冬に逆戻りだ
時より猛吹雪で前が見えなくなる…
明日は待ちに待ったJリーグ開幕だというのに、
地元山形県の中にはまだこんなに雪が有るところがあるんだよね~
☆☆☆ann-chan☆☆☆