My photo diary  アンちゃんのひとり言  

写真を並べて日常の出来事などを色々と書き残しています。

東日本大震災

2011年03月12日 22時24分29秒 | 日常のひとり言

あの時、まさかこんなことになるとは・・・

 

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ここは山形県山形市

今も携帯から「緊急地震速報」のサイレンが・・・

 

 

地震発生からまる二日が経ち、徐々に落ち付いてきたので、書けるところまで書き残したいと思う

 

 あの時私は庄内での仕事を終えて事務所に帰る途中だった

外は猛吹雪

山形道の庄内あさひインター湯殿山インターの間で、最も高い橋の上を通過中だった

突然携帯からあまり聞きなれないタダならぬ呼び出し音が・・・見ると

「緊急地震速報」だった

初めてのことで何がなんだか分からず前方と後方の車を確認するも、誰も停車する様子が無い

確かに「この猛吹雪の中橋のど真ん中で停まってどうする?」という考えも出来る

その2~3秒くらい後だっただろうか

車が大きく左右に揺れ始め、そして前方の大きな道路標識もユサユサ揺れていた

少々ハンドルがとられ蛇行したような気がする

「そう大した事は無いだろう」という気持ちと

「いったい何が起きているんだ」という気持ちとが一緒になったまま

ハンドルを握ってただ進もうとしていたような気がする

間もなく続けて長いトンネルに入った

「いやー怖かったなー」と思いいながら運転をしてトンネルを出た

ラジオは直ちに緊急速報に代わり震源地とその規模がどれ程のものかを知らされ

「これはただ事ではない」

「とんでもない事が起きた」

と感じ取った

 

 車を停めて会社に電話をするが通じない

仲間の携帯にしても通じない

気を取り直して家族へ一斉メールを打った

 

・・・返事が来ない

 

暫らくして思いつきセンターに問い合わせをした

4通の着信

「だいじょうぶだよ!」と4人からのメールだった

(東京の娘からは私達を案ずる内容)

先ずは一安心と余震が続くなか運転して事務所に戻った

所員も建物も無事だった

地震発生から約3時間後だった

そして、山形市内も吹雪の中停電で暗闇に包まれようとしていた

その夜は家族4人真っ暗な部屋の中で冷たい布団の中で寄り添い眠った

 

それから約一日が経ち我が家にも明かりが戻った

テレビを付け岩手・宮城・福島の惨劇を目の当たりにして衝撃を受けた

 あの時、まさかこんなことになるとは想像もできなかった

あの5千人を超える死者を出した「阪神・淡路大震災」の1,000倍の地震てどういう地震だ?

全く想像できないほどの威力です

私達は東日本のそして被害が最も甚大だった東北の中にありますが

太平洋側の方々に比べれば比べ物にならないくらいに少ない被害で済みました

本当にただただ幸運なことです

 

 

最後になりますが 

 今も未だなお被害にあわれている方々に対し心からお見舞い申し上げます

どうぞ諦めずに頑張ってください!