親には親の苦労、子には子の苦労がある。夫には夫の苦労、妻には妻の苦労がある。経営者には経営者の、従業員には従業員の、そして、政治家には政治家の、国民には国民の苦労があるのです。自分だけが苦労しているのではなく、みんなそれぞれ苦労を抱えています。お互いが同情しあえばもっともっと温かい人間社会が築けるはずです。
自分の失敗や過ちについて相手に対してお詫びをするとき、言い訳をすべきではありません。相手がどのように受け取るか、わかりませんが、100パーセントのお詫びは、こちらの心を100パーセント軽くしてくれます。
苦しかった過去を思い起こしたり、楽しかった過去に思いをはせるのは失われたものへの執着です。また、暗い未来を予想したり、明るい未来を期待するのも実体の無いものに対する執着です。どちらにしても、結局は執着が強まるだけです。“いま、ここ”にあるもの、“自分の手元”にあるものに最善を尽くす。それが心の平安を築く近道です。
怒りや憎しみ、強欲や傲慢のうちに生きれば、すでに地獄です。思いやりや慈しみ感謝や平安に満たされて生きればそこがそのまま天国です。地獄も天国も死後の世界の話ではありません。“いま、ここ”の心のあり様です。
人間は一人では生きていくことはできません。政治や経済、学問や芸術、農業、漁業、林業などにたずさわっている無数の人に助けられています。衣食住のすべてにわたって、有縁無縁の人々に助けられて生きているのです。「今日も一日、多くの人々の助けてもらった」と、感謝の念で眠りにつくことが大切です。
「人生、何をなすべきか」を、考えているだけでは夢想家で終わってしまいます。「いま、ここで、何をなすべきか」を、心から理解し、それについて最善を尽くすこと。それが最高の人生を創造する唯一の道です。
今日の天気が晴れになるのか、曇りになるのか、は天気の運命で、あなたの運命とは関係がありません。でも、晴れや曇りの日をどのように過ごすかは、あなたの運命にかかっています。運命とは「運ばれる命」ではなく、「運ぶ命」なのです。
あなたの過去とはあなたの記憶にすぎません。時が経てば記憶の中身も変化するのですから、過去も変化してしまうのです。過去には実体などありません。過去があなたを縛るのではなく、記憶があなたを縛るのです。
自分が欲しい物、必要な物を買うとき、支払うお金が自分自身だけではなく、支払い先のお店やメーカーで働く人々の生活を助けることになると考えれば、お金に二倍の価値が生まれます。お金は本来人々を助け、人々に役立つものなのです。
人間の幸・不幸は結果ではなくプロセスです。欲をかくと、いつか不幸せになる。怒りをもつと、いつか不幸せになる、ではなく、欲をかく、怒るこ、我を張ることそのものがすでに不幸な状態です。逆に、人を大切にする、感謝する、謙虚になること、それ自体が幸せです。幸せは今すぐに実現できるのです。