“いま、ここ”で、万人に知られ、認められ、理解されるものが真理です。一部の宗教だけが、一部の人間だけが、信じ込んでいるもの、死ななければ解からないものは真理ではありません。
生じたものは消えていきます。その“生滅の法則”を自分の体と心にあてはめます。すなわち、「生まれたこの体は老い、病み、死んで消えていく」「心に生まれた喜怒哀楽の感情もすぐに変化し消えていく」という真理を心に深く刻むのです。自分の体と心を客観視することで、不思議な平安に包まれます。
宇宙の一切合財が一瞬、一瞬変化しています。人間の「老い」も「病」も「死」も変化です。これらは肉体に執着し、肉体の変化を恐れる人間だけが使う言葉なのです。
他人を“許す”とか、“許さない”と、心でもむのは他人の言葉や行為にいつまでもとらわれているからです。“許す”も、“許さない”もありません。すべては過ぎ去って、何も在りません。過去を手放すことのほうが心は休まるのです。
同じ一つの坂をある人は“上り坂”といい、また、ある人は“下り坂”といいます。人は立場によって考え方が違います。そして、立場が入れ替われば見方・考え方も変わります。「事実は一つ」なのに、立場の違い、見方・考え方の違いが争いを生むのです。相手の立場に立つことができれば、一つの事実が見えてくるのです。
生あるものは必ず死にます。生き始めは、同時に死に始めなのです。「生きることが尊くて、死ぬことは忌まわしい」はありません。生きることと死ぬことは表裏一体です。心安らかで満足する生き方は、心安らかで満足した死に方ができるでしょう。
人間も地上の動植物も宇宙の天体もおなじ素粒子で構成されているのだから、すべてが“ひといろの存在”ということになります。皮膚一枚で分け隔てられている人間同士もほんとうは境界線の無い“ひといろの存在”なのです。
“現在”にあなたが為している行いにふさわしい結果がかならず“未来”に生じます。“未来”とは遠くにあるのではなく、“現在”にあるのです。“現在”がそのまま“未来”です。
人間の根本的、基本的欲望は「生きたい」「死にたくない」ということです。そうした欲望があるだけで、さまざまな苦しみを受けるのに、それが高じて、「人より儲けたい」「人に勝ちたい」「人を支配したい」となると、人間の苦しみはますます大きくなってしまいます。欲望が少なければ少ないほど、人間は心安らかに生きられるのです。