今はただ 想い絶えなむとばかりを
人づてならで言ふよしもがな
左京大夫道雅
「悪三位」とか「荒三位」って言われてる 左京大夫道雅
この歌は当子内親王との恋を引き裂かれたことを歌ったもの
当子内親王との密通は許されず引き裂かれ 当子内親王の父 三条院の怒りを買い生涯不遇だった
もう諦めますって人づてじゃなくって会って言いたいんだけどな
こんな感じの意味かな
この中に 今はもう諦めたんだよっていう気持ちより
会いたい、諦めましたっていうだけでもいいから会いたい って想いの方が強いじゃん?と感じたよ
許されなくても 引き裂かれても 会えなくなっても
なかなか“想い”は消えないよ
かえって 想いが行き場なくして強く残っちゃったり・・・さ
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