阿見AC日記

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我が家の震災・・・・

2012年03月11日 | 楠朱実 コーチ
あの大変な震災から1年が経過しました・・・被災地では、まだ何も変わらない感じがして、「あの日を振り返って」みたいな番組が奇異に感じます・・・・

本当に被災地の方々には、申し訳ないのですが、我が家はじめ大多数の方々の家には普通に日々が戻ってきています・・・

でも、あの日のことは私の中でも鮮明です・・・何度も言うようですが、被災地の方々には申し訳ないほど小さな小さなことでしたが・・・


忘れられないことの一つは・・・下の息子の修学旅行が中止になったこと

旅行まで数日を残してなら まだ良かったのですが・・

旅行前日 それも旅行カバンを沖縄に送って 学年の最終確認の集会を終えて みんなで明日のことを話しながら「さようなら」した直後の震災 その晩まで「俺らいけるでしょ」なんて言ってた息子だったから・・・かわいそうで・・・何だか忘れられません

何度も言うようですが、被災地の方々には申し訳ないほど小さな小さなことでしたが・・・


忘れられないことの2つめは・・・上の息子が「母ちゃん逃げて・・・」って 夜中に電話してきたこと

離れて東京で暮らす息子 原発の爆発を知り 本当に心配で心配でたまらなかった様子

あの日 私たち家族を含め 食い入るように見守ったテレビ・・刻一刻と変わる福島第一原発の事故・・・離れて暮らす息子もその一人

隣に住む主人の母を我が家に招き入れ 4人で枕を並べて 疲れて寝静まった夜中の2時 私の携帯が鳴りました・・

上の息子でした

「母ちゃん逃げて・・頼むから逃げて・・・爆発するよ これ以上になったら危ない・・・」

電話の向こうには 私たちを案じる息子の苦痛な顔があったのでしょう・・・きっと 私たちを心配して夜中まで寝ないでいたのだと思います

「どうしようもないよ・・大丈夫 現地で頑張ってくれるから信じるしかないよ それにここは遠いからきっと大丈夫」と 私

それでも息子は食い下がり

「康成だけでも逃がして・・・俺のところへでも・・・」と言います

私はどうすることもできず 主人に電話を預けました

主人の

「康成だけ生きててもどうしようもないだろ みんなでいなきゃ どうしようもないだろ・・大丈夫 信じて待っていよう」

の声で 息子も腹を決めたようでした・・・

「わかった・・・」と 電話をきりました・・

あの爆発から長い間本当に生きた心地がしませんでしたが、上の息子のあの日の電話の声は忘れられません・・・


何度も言うようですが、被災地の方々には申し訳ないほど小さな小さなことでしたが・・・


今だ「あの日を振り返って」まで たどりつけない被災地の方々の苦しみに思いをはせながら

今日は練習前 子供達と一緒に 1分間の黙祷をしました・・・


この日を迎えられることを感謝し 私たちに何ができるかをもう一度問い直し 原発のあり方も一国民としてしっかり考えたいと思います・・・



 

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