3月11日の合同慰霊祭に、浪江町から避難されているFさんも出席するとのことで、
福島に戻られています。
あれから1年、もっと急ピッチに物事が進むのかとも思いましたが・・・
日本政府、管政権から、野田政権へ、変わりましたが・・・
テレビでは、1年経っての特集を各局で行っています。
進んでいないのですね。
仮設住宅での問題も浮き彫りになってきました。
そうなることは、ある程度わかっていたはずなのに・・・
進みが悪い。
関係している方はやるせないでしょうね。
また、福島第一原子力発電所の大事故からおきた放射線の問題
これも大変な問題である。
町に若い人が戻ってこない。
戻りたくても、戻れない。
諦める。
皆さん、お辛いでしょうね。
でも、何とか前に進もうとしている。
私も、このことには、震災1週間後からズーと関わっていますので、いつも気にしています。
そして、3家族の皆さんと避難所『まほろば』で共同生活のボランテイア活動を支えました。
それから、2家族の皆さんが借り上げアパート生活にうつりました。
南相馬市小高区から避難されていたTさんは、9月に同市の鹿島区の仮設住宅に戻られて生活されています。
時々、連絡を取っていますが・・・・
頑張っていらっしゃいますが、
息子さんの家族とは別々です。
なかなか、福島には、戻れないだろうなと・・・
浪江町のFさんもご主人が仕事の関係で先に福島に戻り、奥さんは、こちらでヘルパー2級の資格を取り、4月には福島に戻ることになりました。向こうで介護関係の仕事を少しでも手伝おうとお考えのようです。
何とか、2人で、進んでいこうとされています。
そんなことが、痛いほど伝わってくるので・・・
でも、皆さん、私と話すときは、明るく話してくれるので・・・
テレビで放送される事が、実に重く感じます。
私にできることは、何だろう。
1年前に信じたことは、阿見アスリートクラブの活動が皆さんを元気にする。
そう言い聞かせて、やってきました。
そして、各世代の実績、活動が感動を呼び起こすことによって、あらゆる世代の皆さんに伝えることができれば・・・
クラブの元気が、勇気を、希望を、夢を、生き甲斐を少しでもお手伝いできればそう思っています。
今日の午後の練習会、PM2時46分に、皆で、黙祷をしようと思います。
福島に戻られています。
あれから1年、もっと急ピッチに物事が進むのかとも思いましたが・・・
日本政府、管政権から、野田政権へ、変わりましたが・・・
テレビでは、1年経っての特集を各局で行っています。
進んでいないのですね。
仮設住宅での問題も浮き彫りになってきました。
そうなることは、ある程度わかっていたはずなのに・・・
進みが悪い。
関係している方はやるせないでしょうね。
また、福島第一原子力発電所の大事故からおきた放射線の問題
これも大変な問題である。
町に若い人が戻ってこない。
戻りたくても、戻れない。
諦める。
皆さん、お辛いでしょうね。
でも、何とか前に進もうとしている。
私も、このことには、震災1週間後からズーと関わっていますので、いつも気にしています。
そして、3家族の皆さんと避難所『まほろば』で共同生活のボランテイア活動を支えました。
それから、2家族の皆さんが借り上げアパート生活にうつりました。
南相馬市小高区から避難されていたTさんは、9月に同市の鹿島区の仮設住宅に戻られて生活されています。
時々、連絡を取っていますが・・・・
頑張っていらっしゃいますが、
息子さんの家族とは別々です。
なかなか、福島には、戻れないだろうなと・・・
浪江町のFさんもご主人が仕事の関係で先に福島に戻り、奥さんは、こちらでヘルパー2級の資格を取り、4月には福島に戻ることになりました。向こうで介護関係の仕事を少しでも手伝おうとお考えのようです。
何とか、2人で、進んでいこうとされています。
そんなことが、痛いほど伝わってくるので・・・
でも、皆さん、私と話すときは、明るく話してくれるので・・・
テレビで放送される事が、実に重く感じます。
私にできることは、何だろう。
1年前に信じたことは、阿見アスリートクラブの活動が皆さんを元気にする。
そう言い聞かせて、やってきました。
そして、各世代の実績、活動が感動を呼び起こすことによって、あらゆる世代の皆さんに伝えることができれば・・・
クラブの元気が、勇気を、希望を、夢を、生き甲斐を少しでもお手伝いできればそう思っています。
今日の午後の練習会、PM2時46分に、皆で、黙祷をしようと思います。