モーツァルトにはロレートのリタニア(Litaniae Lauretanae)と呼ばれる曲が2曲(K.109(74e)とK.195(186d))ある。
ロレートはアドリア海に面したイタリアの小都市。
この町の中心にある「聖なる家教会」には天使によって運ばれてきた聖母マリアの家があり、
片方の入口から這って進み祈りを捧げると、足の病が回復するという。
下は「聖なる家教会」を外から見たところ。

モーツァルト父子は1769年から翌年にかけての第1回イタリア旅行の際に、ローマからの帰途にわざわざ遠回りをしてロレート詣でをしている。
この時の旅のルートはざっと以下の通り。

1769年12月13日ザルツブルク出発。インスブルック、ブレンナー峠を越えてイタリア入り。各地で大歓迎を受け、ミラノでは次シーズンのオペラ(ポントの王ミトリダーテ)の契約をゲットするという成果もあげつつ、まずは予定通り目的地ローマに到着したのが4月11日。さらにナポリまで足を延ばしポンペイ見物などしてローマに帰ってくるのだが、その旅程がひどかった。
ローマ-ナポリ間では半月前に盗賊団が商人を殺害するという事件が起きたばかり。治安の悪さを警戒して、行きは他の馬車3台と連れ立って4日半かけたが、帰りはなんと約200kmを27時間の猛スピード。その間、眠ったのは2時間だけ、食べたものは冷たくなった鶏の焼肉4個とパン一片だけという過酷さ。あげくの果てに、ローマに着く直前に馬車が転倒し、レオポルドは足に重症を負ってしまう。
ローマでは黄金拍車勲章を授かり教皇にも謁見するという栄誉を受けるのだが、ローマからロレートへの道のりがまた過酷。
昼は馬がバテてしまうので移動は夜。最初の日は夜の6時にローマ発。一睡もせずに60kmを移動して翌朝5時チヴィタ・カステッラーナ着。ちょっと仮眠して大聖堂のミサに出席、ウォルフガングはオルガンを弾いて、また仮眠。夕方の4時半には出発。
仮眠といっても、どこも蚤や南京虫だらけ。レオポルドの足も「馬車が絶えず振動するので、またパックリ傷口が開いてしまったばかりか、下の方がものすごく腫れあがって」しまう。
そんな調子で、ローマ出発後6日目でロレートにたどり着くが、ロレートからのアドリア海沿いの行程も、海賊が上陸してくるおそれがあり100mごとに歩哨が立っているという危険な状況。
「私が経験した一番辛い旅の一つ」とレオポルドに言わしめるほど悲惨な旅だった。
ロレート行きはレオポルドが足を怪我したからではなく、前々から計画していたもので、なにがなんでもロレート巡礼は果たさねばならぬほど、モーツァルト父子のマリア信仰は深かったのだ。
そのようなマリア崇敬の思いが結晶化したのがロレートのリタニア二曲で、ともにたいへん美しい超傑作である。
K.195のアニュス・デイの美しさといったら・・・ソプラノ・ソロの後に合唱がそぞろ入ってくるが、身も心も神に完全に委ねた陶酔感が漂う。
まるで、ベルニーニの「聖テレジアの法悦」のように

モーツァルトはローマでこの像を見たに違いない。
バレエでは「音楽の視覚化」とよく言うが、この場合は「視覚の音楽化」と言えよう。
モーツァルトの宗教音楽はあまりにオペラ的だ、という非難がある。
しかし、リタニア、ミサ曲、ヴェスペレ等を聴いていて、わたくしは全く逆の印象を持った。
モーツァルトは宗教音楽のようにオペラを作曲したのである。
すなわち、宗教曲と同じようにオペラにおいてもテキストの意味するところを考えつくし、そのイデアを音楽化したのだ。
だから、モーツァルトのオペラは人間の本質に根ざした普遍性を獲得し、特定の時代や文化に左右されずに200年経っても人の心を打つのだろう。
そのような作曲姿勢の最後の到達点が「魔笛」である。
白井光子さんのすばらしさ
ところでわたくしは小学館モーツァルト全集で宗教音楽をあれこれ聴いているのだが、K.109はヘルベルト・ケーゲル指揮で、ソプラノは白井光子さん。
お恥ずかしいことに今まで光子さんを存じ上げなかったのだが、光子さんの歌声は本当にすばらしい!!!
ふつうのソプラノは人間の女性の声だが、光子さんは聖女の声。
ソロでもアンサンブルでも光子さんが入ってくると、それだけで心が洗われる。
ちなみに同全集で光子さんが参加している楽曲は以下の通り。
ミサ ニ長調 K.194(186h),ハ長調 K.258,ハ長調 K.262(246a),変ロ長調 K.275(272b),ハ長調 K.337
ロレートのリタニア(聖母連禱,元妃、童貞聖マリアのためのリタニア) 変ロ長調 K.109(74e)
聖体の祝日のためのリタニア 変ロ長調 K.125
主日のための晩歌(ヴェスペレ) ハ長調 K.321
わたくしとしては宗教音楽すべてを光子さんで録音してほしかったが、惜しいのはリタニアK.195とK.243。
どちらもケーゲル指揮だが、録音がちょうど光子さんがデビューした74年。もうちょっと録音が遅ければ参加できたのに・・・・
さらにちなみに来る2020年3月4日、光子さんと夫君ハルトムート・ヘル氏のコンサートがある!
曲目はシューベルトとマーラー。デビュー46年を経て、お元気で歌われているのは、まことに喜ばしい。
(2020/3/3追記)
なんと本公演はウイルス騒ぎで中止になってしまった( ;∀;)
そもそもこの公演は2019年10月19日に予定していたものが台風襲来で振替となっていたものだったから、あまりにも不運。
Dona nobis pacem.
(2021/1/26追記)
岩城宏之「指揮のおけいこ」をたまたま読んでいたら、光子さんのことが出てきた。
岩城氏曰く
”わが国の歌手で、本物の「世界的」な人は、ドイツを中心にして活躍している、メゾソプラノの白井光子さんだけだと思う。最近になって、年に一度日本に帰って来てリサイタルを開くだけなので、知る人ぞ知るという地味な存在だ。
しかし、シュヴァルツコップやフィッシャー=ディースカウが歌うのをやめた今、ドイツ人ではないが、白井光子はドイツを代表するリート歌手である。”
しもうた。
本文章が書かれたのは1996年ごろなので、その頃光子さんに出会えていたら・・・
参考文献
海老沢敏 「神は音楽ー聖書の奇蹟と教会の奇蹟とを歌う」 (小学館「モーツァルト全集」第10巻)
ロレートについては本論で初めて知った。大先生自らレオポルドと同じく跪いて祈りを捧げたとのことである。
井上太郎 「旅路のアマデウス」
モーツァルトの旅行事情に詳しい。当時の社会情勢もわかる。
サイト モーツァルトの教会音楽
詳しい楽曲解説がある。ロレートのリタニアの歌詞もあり。
ロレートはアドリア海に面したイタリアの小都市。
この町の中心にある「聖なる家教会」には天使によって運ばれてきた聖母マリアの家があり、
片方の入口から這って進み祈りを捧げると、足の病が回復するという。
下は「聖なる家教会」を外から見たところ。

モーツァルト父子は1769年から翌年にかけての第1回イタリア旅行の際に、ローマからの帰途にわざわざ遠回りをしてロレート詣でをしている。
この時の旅のルートはざっと以下の通り。

1769年12月13日ザルツブルク出発。インスブルック、ブレンナー峠を越えてイタリア入り。各地で大歓迎を受け、ミラノでは次シーズンのオペラ(ポントの王ミトリダーテ)の契約をゲットするという成果もあげつつ、まずは予定通り目的地ローマに到着したのが4月11日。さらにナポリまで足を延ばしポンペイ見物などしてローマに帰ってくるのだが、その旅程がひどかった。
ローマ-ナポリ間では半月前に盗賊団が商人を殺害するという事件が起きたばかり。治安の悪さを警戒して、行きは他の馬車3台と連れ立って4日半かけたが、帰りはなんと約200kmを27時間の猛スピード。その間、眠ったのは2時間だけ、食べたものは冷たくなった鶏の焼肉4個とパン一片だけという過酷さ。あげくの果てに、ローマに着く直前に馬車が転倒し、レオポルドは足に重症を負ってしまう。
ローマでは黄金拍車勲章を授かり教皇にも謁見するという栄誉を受けるのだが、ローマからロレートへの道のりがまた過酷。
昼は馬がバテてしまうので移動は夜。最初の日は夜の6時にローマ発。一睡もせずに60kmを移動して翌朝5時チヴィタ・カステッラーナ着。ちょっと仮眠して大聖堂のミサに出席、ウォルフガングはオルガンを弾いて、また仮眠。夕方の4時半には出発。
仮眠といっても、どこも蚤や南京虫だらけ。レオポルドの足も「馬車が絶えず振動するので、またパックリ傷口が開いてしまったばかりか、下の方がものすごく腫れあがって」しまう。
そんな調子で、ローマ出発後6日目でロレートにたどり着くが、ロレートからのアドリア海沿いの行程も、海賊が上陸してくるおそれがあり100mごとに歩哨が立っているという危険な状況。
「私が経験した一番辛い旅の一つ」とレオポルドに言わしめるほど悲惨な旅だった。
ロレート行きはレオポルドが足を怪我したからではなく、前々から計画していたもので、なにがなんでもロレート巡礼は果たさねばならぬほど、モーツァルト父子のマリア信仰は深かったのだ。
そのようなマリア崇敬の思いが結晶化したのがロレートのリタニア二曲で、ともにたいへん美しい超傑作である。
K.195のアニュス・デイの美しさといったら・・・ソプラノ・ソロの後に合唱がそぞろ入ってくるが、身も心も神に完全に委ねた陶酔感が漂う。
まるで、ベルニーニの「聖テレジアの法悦」のように

モーツァルトはローマでこの像を見たに違いない。
バレエでは「音楽の視覚化」とよく言うが、この場合は「視覚の音楽化」と言えよう。
モーツァルトの宗教音楽はあまりにオペラ的だ、という非難がある。
しかし、リタニア、ミサ曲、ヴェスペレ等を聴いていて、わたくしは全く逆の印象を持った。
モーツァルトは宗教音楽のようにオペラを作曲したのである。
すなわち、宗教曲と同じようにオペラにおいてもテキストの意味するところを考えつくし、そのイデアを音楽化したのだ。
だから、モーツァルトのオペラは人間の本質に根ざした普遍性を獲得し、特定の時代や文化に左右されずに200年経っても人の心を打つのだろう。
そのような作曲姿勢の最後の到達点が「魔笛」である。
白井光子さんのすばらしさ
ところでわたくしは小学館モーツァルト全集で宗教音楽をあれこれ聴いているのだが、K.109はヘルベルト・ケーゲル指揮で、ソプラノは白井光子さん。
お恥ずかしいことに今まで光子さんを存じ上げなかったのだが、光子さんの歌声は本当にすばらしい!!!
ふつうのソプラノは人間の女性の声だが、光子さんは聖女の声。
ソロでもアンサンブルでも光子さんが入ってくると、それだけで心が洗われる。
ちなみに同全集で光子さんが参加している楽曲は以下の通り。
ミサ ニ長調 K.194(186h),ハ長調 K.258,ハ長調 K.262(246a),変ロ長調 K.275(272b),ハ長調 K.337
ロレートのリタニア(聖母連禱,元妃、童貞聖マリアのためのリタニア) 変ロ長調 K.109(74e)
聖体の祝日のためのリタニア 変ロ長調 K.125
主日のための晩歌(ヴェスペレ) ハ長調 K.321
わたくしとしては宗教音楽すべてを光子さんで録音してほしかったが、惜しいのはリタニアK.195とK.243。
どちらもケーゲル指揮だが、録音がちょうど光子さんがデビューした74年。もうちょっと録音が遅ければ参加できたのに・・・・
さらにちなみに来る2020年3月4日、光子さんと夫君ハルトムート・ヘル氏のコンサートがある!
曲目はシューベルトとマーラー。デビュー46年を経て、お元気で歌われているのは、まことに喜ばしい。
(2020/3/3追記)
なんと本公演はウイルス騒ぎで中止になってしまった( ;∀;)
そもそもこの公演は2019年10月19日に予定していたものが台風襲来で振替となっていたものだったから、あまりにも不運。
Dona nobis pacem.
(2021/1/26追記)
岩城宏之「指揮のおけいこ」をたまたま読んでいたら、光子さんのことが出てきた。
岩城氏曰く
”わが国の歌手で、本物の「世界的」な人は、ドイツを中心にして活躍している、メゾソプラノの白井光子さんだけだと思う。最近になって、年に一度日本に帰って来てリサイタルを開くだけなので、知る人ぞ知るという地味な存在だ。
しかし、シュヴァルツコップやフィッシャー=ディースカウが歌うのをやめた今、ドイツ人ではないが、白井光子はドイツを代表するリート歌手である。”
しもうた。
本文章が書かれたのは1996年ごろなので、その頃光子さんに出会えていたら・・・
参考文献
海老沢敏 「神は音楽ー聖書の奇蹟と教会の奇蹟とを歌う」 (小学館「モーツァルト全集」第10巻)
ロレートについては本論で初めて知った。大先生自らレオポルドと同じく跪いて祈りを捧げたとのことである。
井上太郎 「旅路のアマデウス」
モーツァルトの旅行事情に詳しい。当時の社会情勢もわかる。
サイト モーツァルトの教会音楽
詳しい楽曲解説がある。ロレートのリタニアの歌詞もあり。
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