Study of Spenser

ロバート・B・パーカー著、ボストンの私立探偵スペンサーを読み解くガイドブックです

ゴッドウルフの行方 - Godwulf Manuscript - (1973) 25章

2009-07-29 | 海外ミステリ紹介
画像は、チャールズ川を隔てて、ケンブリッジ側からボストン大学側の景色。右側に見える線路は、CSXトランスポーテーション鉄道。


第25章
検死官事務所から人が来て、フィルとミセス・ヘイドンの死体を運びだします。ホテルドクターがスペンサーの脇腹の包帯を巻き直し、病院で傷口を縫い直してもらえ(have some stitches in the wound)と言います。ベルソン部長刑事がヘイドンの供述を取り、クワーク警部補もそれを聞いています。
フィルが進入してきた、隣のコネクティングルームの客は、頭を殴られてクローゼットに押し込まれていたので、ホテルを訴える段取りをし、ホテル側はそうしないように説得していました。

クワークはスペンサーに、「Not bad, he had a gun and you didn’t and you took him? よくやったな、ヤツは銃を持っていて、お前は持ってなかったのに、やったんだな?」 また、「Not bad at all. Sometimes you amaze me, Spenser. 実にすごいな、時折驚かせてくれるよ、スペンサー」と賞賛します。
スペンサーは、自分とミセス・ヘイドンとの二人でやったのだと言います。正当な評価をしたいのです。
スペンサーは、テリィがどうなったのかクワークに尋ね、クワークは、もう保釈の手続き(processing her out)をしているところだと教えます。

スペンサーは、イエーツはどうなったのかも聞きます。クワークは微笑しながら、「Captain Yates is at this moment telling the people in the pressroom about another triumph for truth, justice, and the American way. イエーツ警部は、この瞬間、アメリカ社会の真実、正義、および新たな勝利について、プレスルームで会見をしているよ。」と答えます。
スペンサーは「He’s got all the moves, hasn’t he? 変わり身が早いな」と言い、さらにジョウ・ブロズがどうなるのかも尋ねます。

クワークは、「逮捕状はでているが、どれくらい拘留できるか。この15年に8回逮捕したが、起訴できたのは一回だけ(made one charge)で、放浪罪(stick-loitering)だ。It will help if Hayden sticks to his story. ヘイドンが自分の供述に執着すれば(変えなければ)、今回は役に立つだろう」と言います。

スペンサーがヘイドンを見ると、ヘイドンはベルソン相手に、事件や自分の運動との関連や象徴的な意味の講釈をエンジョイしていて、一方ベルソンは頭痛がするような顔をしています。これではきっと裁判になっても、陪審員相手にレクチャーするのだろうとスペンサーは思います。

クワークに電話が入り、テリィの両親と連絡が取れない(can’t be located)ので、スペンサーに迎えに来て欲しいと言っていると告げられます。
スペンサーが部屋を出るとき、報道陣がやって来て、ヘイドンの写真を撮っていました。
ヘイドンは、「Le movement, c’est moi. 私が運動なのだ」とフランス語で得意そうな顔をしてインタビューに答えています。スペンサーは呆れてしまいます。

部屋の前の廊下にも人だかりがしていて、そこを通り抜けるときに誰かが何があったのかスペンサーに聞きます。スペンサーは、「It was a lover’s quarrel with the world. 恋人同士の喧嘩だ、世界を相手に」と答え、自分は何を言いたいのか、どこでその文句を聞いたのか憶えていないと考えます。

■■ <a lover’s quarrel>というのは、ロバート・ブラウニングの詩のタイトルになっています。
それを引用したのかどうかはさだかではないのですが、スペンサーの好きなロバート・フロストが生前に<I would have written of me on my stone: I had a lover's quarrel with the world.>と言っています。(ロバート・フロストについては、12章をご覧ください)このタイトルで、1963年にドキュメンタリー系の映画が作られていて、ロバート・フロスト本人とともに、JFK、リンドン・ジョンソンも出ているのだそうです。

スペンサーは、ホテルの外に出ます。ホテルの脇にそびえている巨大な保険会社のビル(ジョン・ハンコック・ビル)は、ボストンで一番高いビルで、バベルの塔だと思います。ライブラリの前に駐車していた車をとって、バークリー・ストリートにある警察署に行きます。

テリィ・オーチャードは、建物の一段の一番上のステップに立っていて、しばらくお互いに見合っていたのですが、テリィが降りてきます。スペンサーはドアを開けてやり、テリィが乗り込み、開口一番「タバコある?」と聞きます。スペンサーは、「No, but I can stop and pick some up. 持ってないがどこかで買おう。 There’s a Liggett’s on the corner. 角にリゲットがある」と言います。

■■ リゲットというのは、<Liggett & Myers Tobacco Company>として知られていたタバコ会社で、本社も工場もノース・カロライナ州にありました。恐らくこの本が書かれた1973年当時は、通りのあちこちにタバコ屋があり、その直営店で、ドラッグストアの役目も兼ねていたのでしょう。

スペンサーがお金を貸し、テリィは、イーヴ(Eve)を買ってその場で吸います。現代では考えられないことです。それからコスメティックのコーナーで化粧品をいくつか買います。スペンサーはテリィに「アイスクリームは?」と聞き、テリィがうなずいたので、自分用にヴァニラ、テリィはバター・ピーカンをそれぞれ2スクープ。

テリィが、しばらくドライブしたいと言うので、車に戻って、バークリー・ストリートからストロー・ドライブに出て、レヴァリット・サークルを渡り、ケンブリッジ側に行き、メモリアル・ドライブで川の上流に向かい、マガジン・ビーチで車を停めました。
マガジン・ビーチは、ケンブリッジとボストンを結ぶボストン・ユニヴァーシティ・ブリッジのやや上流にあたる場所です。

テリィはバックミラーを使って化粧を始め、スペンサーは川向こうの鉄道操車場を眺め、ボストン大学球場に思いを馳せます。スペンサーが子供の頃はブレイブズ・フィールドがあって、ブレイブズがミルウォーキーにフランチャイズを移す前は、父に連れられて野球観戦に行ったのでした。当時はドジャーズやジャイアンツが来て、ディクシー・ウォーカー、クリント・ハートング、シビ・シティ、トミー・ホームズを見ていたのですが、まだ生きているのかと考えていました。

1915年完成のブレイブズ・フィールド(Braves Field)がミルウォーキーに移るのは1952年ですから、1936年生まれとされるスペンサーがここで野球を観ていたのは、15、16歳くらいまでですね。いったいいつワイオミング州からボストンに出てきたのでしょうか? お話が進むうちに解明されるとよいのですが。スタジアムはブレイブズ移転後、ボストン大学が購入し、フットボールの競技場として<Nickerson Field>と改名して現在に至っています。

■■ ディクシー・ウォーカー(Dixie Walker) 1943年から1947年まで5連続オールスターに選ばれた打者。1944年には首位打者も取り、スペンサーが観戦していた頃は、ブルックリン・ドジャーズに在籍していたと思われる。
クリント・ハートング(Clint Hartung) 1947年から1952年までニューヨーク・ジャイアンツに在籍。1950年までは投手として活躍し、その後野手にコンバートされている。

■■ シビ・シティ(Sibby Sisti) ボストン・ブレイブズがミルウォーキー移転後も、1954年までブレイブズに在籍した野手。1948年のワールドシリーズに、セカンドで出場している。

■■ トミー・ホームズ(Tommy Holmes) 1951年まではボストン・ブレイブズに野手として在籍し、最後の一年はマネージャーだった。1952年にブルックリン・ドジャーズにピンチ・ヒッターとして移籍。1945年と1948年の2回、オールスターに選出されている。

化粧を終えたテリィは、スペンサーに礼を言います。
「What ca I say?  何て言えばいいのかしら Thank you seems pretty silly. ありがとう、ではかなり間抜けな感じだし」
スペンサーは、「Don’t say anything, kid. 何も言わなくていいよ  You know and I know. きみはわかっているし、おれもわかっている  Let it be. それでいい」
テリィはスペンサーに激しくキスをし、ひとしきりそうしています。彼女が気が済んだと思った頃、スペンサーは「家に帰ろう」と言い、メモリアル・ドライブからソルジャーズ・フィールド・ロードに出て、テリィの言えのあるニュートンに向かいます。

言えの前に着くと、テリィの父親のローランドのリンカン・コンティネンタル(えび茶!)が停まっていて、玄関から両親が出てきます。ようやく警察との連絡が付いたようです。
テリィは両親に不快感を持っていて、「Shit」と言うのですが、スペンサーは、これは家族の問題だからと、テリィを降ろしてそのまま行こうとします。

テリィは、今度はいつ会えるのかと聞き、スペンサーは住んでいる場所が違う、でもいつでもいるよ(But, I’m around.)、そしてそのうちにランチでもおごってやると言います。テリィが「あるいはアイスクリームを」と言い、目に涙が浮かんでくるのです。テリィにとっては、ある意味せつない別れです。

スペンサーはボストンに戻り、病院に寄って脇腹を縫い直してもらい、家に帰ります。
帰ったときは暗くなっているのですが、灯りはつけず、リビングルームに座ってバーボンをラッパ飲みします。腕時計を見ると六時四十五分でした。
このまま一人でいたら、夜中の三時にわけのわからないことを叫びそうな気分だと感じ、また時計を見ます。六時五十五分。

腕時計を外すと、内側に赤い文字がまだ消えないで残っていました。<ブレンダ・ローリング 555-3676>。スペンサーはその番号にダイヤルします。
「Hello, my name is Spenser, Do you remember me? ヘロー、こちらはスペンサー、覚えている?」
ブレンダは笑い出します。それは、スペンサーにとって、a terrific laugh 素晴らしい笑う声であり、 igh-class laugh 一級の笑い声に聞こえました。ブレンダは、「覚えているわよ」と、さらに笑います。
スペンサーはその笑い声を聞いて、「A good laugh, full of promise. 希望で溢れる素敵な笑いだ」と思うのでした。

ゴッドウルフの行方 - Godwulf Manuscript - (1973) 終了


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