画像は、スペンサーが看板まで粘るブルックライン・アベニューのバー、<カパーフィールド>
29章その1
キャロル・カーティスが帰り、一人になりたいというリンダに、メイナードが何か言ってきたら連絡するようにと言い残し、スペンサーは、ハロルド・アースキンに報告することにします。
アースキンから依頼料をもらっている手前、何も知らせないで《ボストン・グローブ》の記事を見ることにするわけにはいかないのです。
自分のオフィスからアースキンに電話をし、リンダ・ラブの記事が明日のグローブに載るはずだが、マーティが野球賭博に絡んでいるとか、ドラッグをやっているという証拠はまったくない、と告げます。
アースキンが、スペンサーは何か隠し事をしているという印象を持っていると言うと、スペンサーは、自分が請求する金を支払わなくても構わない、と言うのです。リンダの幸せのために、報酬を棒に振る覚悟です。
スペンサーのオフィスがある場所は、医科大学を建てるということで、立ち退きにあっています。確かにそのあたりには、ニューイングランド・メディカル・センターというのが現在あるのですが、それはワシントン・ストリート側です。スペンサーのオフィスは、スチュアート・ストリートで、レストラン<ジェイコブ・ワース>の向かいのような場所だったはずなので、そこに出来ているのは、パフォーミング・アーツ・センターです。
まぁ、とにかくスペンサーは、来月までに新しいオフィスを見つけて、引越しもしなくてはならない身の上なのです。
コモンを歩いて自宅に戻ると、缶ビールを飲みながらグローブの朝刊を読んで、残り物のビーフシチューとシリアパンで夕食にします。
前から読んでいるモリソンの本を読もうにも、一向に進みません。この本とは、5章(2009年9月30日掲載)で読んでいる、サミュエル・エリオット・モリソンの、ジ・オックスフォード・ヒストリー・オブ・ジアメリカン・ピープルという、アメリカの歴史書です。同じく14章(2009年10月13日掲載)でも読んでいます。スペンサー、かなりコツコツタイプです。
時刻は7時20分、寝るにはまだ早いのですが、誰とも話したくない気分です、ブレンダ・ローリングとも、スーザン・シルヴァマンとも。趣味の木彫りをやる気にもなれず、こんな時に犬でもいればと思い、犬がを連れたつもりで散歩に行くことにしした。
スペンサーの趣味の木彫りですが、<ゴッドウルフの行方>の3章で、ボストン美術館の前に立っている馬に乗ったインディアンの青銅像(タイトル:The Appeal to the Great Spirit)のレプリカを作っていて、<誘拐>の9章その1で、食事に来たスーザンに褒められています。
犬抜きで、アーリントン・ストリートをコモンウェルス・アベニューまで行き、そこでコモンウェルス・アベニューのモールをケンモア・スクエアまで歩きます。ケンモア・スクエアからブルックライン・アベニューの、カパーフィールドというバーに入り、閉店まで飲んでしまいました。
■■ <カパーフィールド Copperfield’s>は、ブルックライン・アベニュー沿いで、フェンウェー・パークの並びにあります。住所は、98 Brookline Avenue, Boston, MA 02215
現在はライブコンサートがちょくちょく開かれているようですから、スペンサーが行った頃の時代とは様子が変わっているかも知れません。スペンサーは、閉店までが行った日は、火曜日ですが、ホームページに営業時間の案内がありませんでしたので、何時まで頑張ったかは不明です。
また歩いて自宅に戻り、少し寝ると《グローブ》が配達され、キャロル・カーティスの記事が一面に掲載されていました。見出しはこうです。
『SOX WIFE REVEALS OTHER LIFE ソックスの妻が明かす他の人生』
同情的で知的な文章でした。短いながらも、wife と life で、ちゃんと韻を踏んでいます。さすがは前の年に、ニーマン・フェローシップでハーバードの特別研究員になっただけはあります。
■■ <ニーマン・フェローシップ The Nieman Fellowship>
1935年に亡くなった、ビジネスマンにして、ミルウォーキー・ジャーナル紙の創立者でもある、ルシアス・ニーマンの妻アグネスが、1937年に遺産の一部である100万ドルを寄付し、ハーバード大学に設置されているジャーナリストのための特別研究員制度です。アメリカの篤志家はすごいですね。
奨学金という形ではなく、1年間無料で授業に参加できるというシステムで、現在は自分からアプライすることができるようですが、キャロル・カーティスの時代は、先方からのオファーで選ばれていました。そして、これは、その選ばれたフェローの配偶者も、同じように参加できるのだそうです。毎年大体25人程度で、アメリカ人が半数、残りがインターナショナルです。
29章その1
キャロル・カーティスが帰り、一人になりたいというリンダに、メイナードが何か言ってきたら連絡するようにと言い残し、スペンサーは、ハロルド・アースキンに報告することにします。
アースキンから依頼料をもらっている手前、何も知らせないで《ボストン・グローブ》の記事を見ることにするわけにはいかないのです。
自分のオフィスからアースキンに電話をし、リンダ・ラブの記事が明日のグローブに載るはずだが、マーティが野球賭博に絡んでいるとか、ドラッグをやっているという証拠はまったくない、と告げます。
アースキンが、スペンサーは何か隠し事をしているという印象を持っていると言うと、スペンサーは、自分が請求する金を支払わなくても構わない、と言うのです。リンダの幸せのために、報酬を棒に振る覚悟です。
スペンサーのオフィスがある場所は、医科大学を建てるということで、立ち退きにあっています。確かにそのあたりには、ニューイングランド・メディカル・センターというのが現在あるのですが、それはワシントン・ストリート側です。スペンサーのオフィスは、スチュアート・ストリートで、レストラン<ジェイコブ・ワース>の向かいのような場所だったはずなので、そこに出来ているのは、パフォーミング・アーツ・センターです。
まぁ、とにかくスペンサーは、来月までに新しいオフィスを見つけて、引越しもしなくてはならない身の上なのです。
コモンを歩いて自宅に戻ると、缶ビールを飲みながらグローブの朝刊を読んで、残り物のビーフシチューとシリアパンで夕食にします。
前から読んでいるモリソンの本を読もうにも、一向に進みません。この本とは、5章(2009年9月30日掲載)で読んでいる、サミュエル・エリオット・モリソンの、ジ・オックスフォード・ヒストリー・オブ・ジアメリカン・ピープルという、アメリカの歴史書です。同じく14章(2009年10月13日掲載)でも読んでいます。スペンサー、かなりコツコツタイプです。
時刻は7時20分、寝るにはまだ早いのですが、誰とも話したくない気分です、ブレンダ・ローリングとも、スーザン・シルヴァマンとも。趣味の木彫りをやる気にもなれず、こんな時に犬でもいればと思い、犬がを連れたつもりで散歩に行くことにしした。
スペンサーの趣味の木彫りですが、<ゴッドウルフの行方>の3章で、ボストン美術館の前に立っている馬に乗ったインディアンの青銅像(タイトル:The Appeal to the Great Spirit)のレプリカを作っていて、<誘拐>の9章その1で、食事に来たスーザンに褒められています。
犬抜きで、アーリントン・ストリートをコモンウェルス・アベニューまで行き、そこでコモンウェルス・アベニューのモールをケンモア・スクエアまで歩きます。ケンモア・スクエアからブルックライン・アベニューの、カパーフィールドというバーに入り、閉店まで飲んでしまいました。
■■ <カパーフィールド Copperfield’s>は、ブルックライン・アベニュー沿いで、フェンウェー・パークの並びにあります。住所は、98 Brookline Avenue, Boston, MA 02215
現在はライブコンサートがちょくちょく開かれているようですから、スペンサーが行った頃の時代とは様子が変わっているかも知れません。スペンサーは、閉店までが行った日は、火曜日ですが、ホームページに営業時間の案内がありませんでしたので、何時まで頑張ったかは不明です。
また歩いて自宅に戻り、少し寝ると《グローブ》が配達され、キャロル・カーティスの記事が一面に掲載されていました。見出しはこうです。
『SOX WIFE REVEALS OTHER LIFE ソックスの妻が明かす他の人生』
同情的で知的な文章でした。短いながらも、wife と life で、ちゃんと韻を踏んでいます。さすがは前の年に、ニーマン・フェローシップでハーバードの特別研究員になっただけはあります。
■■ <ニーマン・フェローシップ The Nieman Fellowship>
1935年に亡くなった、ビジネスマンにして、ミルウォーキー・ジャーナル紙の創立者でもある、ルシアス・ニーマンの妻アグネスが、1937年に遺産の一部である100万ドルを寄付し、ハーバード大学に設置されているジャーナリストのための特別研究員制度です。アメリカの篤志家はすごいですね。
奨学金という形ではなく、1年間無料で授業に参加できるというシステムで、現在は自分からアプライすることができるようですが、キャロル・カーティスの時代は、先方からのオファーで選ばれていました。そして、これは、その選ばれたフェローの配偶者も、同じように参加できるのだそうです。毎年大体25人程度で、アメリカ人が半数、残りがインターナショナルです。