わずかの所持金と楽譜を詰めたトランクを携え、マリアは渡米を猛反対する母や姉をふりきって船に飛び乗りました。MARIA・CALLASと記載されたアメリカのパスポートを手にマリアがニューヨークの港に到着したのが1945年。念願の父親との再会を果たしたものの、父の生活には既に新しい女性の存在がありました。
音信も途絶え愛情はとうの昔に消え果ていたカラス夫妻でしたが、離婚手続きを取っていたわけではありませんでした。母譲りのマリアの激しい気性がそんな愛人の存在を許すはずもなく、極度の緊張状態が'懐かしの我が家'では繰り広げられました。
ギリシャで名を知れ出したとはいえ、ニューヨークでは全く無名であったマリアは世に出るきっかけを求める外ありませんでした。公私共に彼女を取り囲む環境の難しさもあってか、彼女の食欲は止まるところを知らず、もともとふくよかだった彼女のウェイトは激増し100kgを超えるほどであったといいます。それでも日々、きっかけを探し続けた彼女の前にメトロポリタンオペラへの途がまさに開けようとしていました。
念願のMETでのオーディションを受けた彼女に劇場が告げたのは、曲目の指定と駆け出し向けのギャラでの契約ながら主役デビューを約束するものでした。それはまだ若く経験の浅い歌い手にとっては望むべくもない条件であり、劇場としてもその時点で最上のオファーであったはずです。しかしそれらの条件にマリアは決然とこう語ったといいます。
「それは私のアメリカデビューに相応しいとはいえません。お受けできません。」
誰もが駆け出しの新人のこの暴挙に異を唱えましたが、マリアはこう言いました。
「いつの日かMETは私の前にひざまずいて歌ってくれと頼みに来るはずです。」と。
この言葉が現実のものとなるのにさほどの時間はかかりませんでした。世紀の歌姫の誕生はすぐそこでした。
音信も途絶え愛情はとうの昔に消え果ていたカラス夫妻でしたが、離婚手続きを取っていたわけではありませんでした。母譲りのマリアの激しい気性がそんな愛人の存在を許すはずもなく、極度の緊張状態が'懐かしの我が家'では繰り広げられました。
ギリシャで名を知れ出したとはいえ、ニューヨークでは全く無名であったマリアは世に出るきっかけを求める外ありませんでした。公私共に彼女を取り囲む環境の難しさもあってか、彼女の食欲は止まるところを知らず、もともとふくよかだった彼女のウェイトは激増し100kgを超えるほどであったといいます。それでも日々、きっかけを探し続けた彼女の前にメトロポリタンオペラへの途がまさに開けようとしていました。
念願のMETでのオーディションを受けた彼女に劇場が告げたのは、曲目の指定と駆け出し向けのギャラでの契約ながら主役デビューを約束するものでした。それはまだ若く経験の浅い歌い手にとっては望むべくもない条件であり、劇場としてもその時点で最上のオファーであったはずです。しかしそれらの条件にマリアは決然とこう語ったといいます。
「それは私のアメリカデビューに相応しいとはいえません。お受けできません。」
誰もが駆け出しの新人のこの暴挙に異を唱えましたが、マリアはこう言いました。
「いつの日かMETは私の前にひざまずいて歌ってくれと頼みに来るはずです。」と。
この言葉が現実のものとなるのにさほどの時間はかかりませんでした。世紀の歌姫の誕生はすぐそこでした。