ワシントンスクエアの北、Stanford.Whiteの設計したアーチをくぐるとそこは長く続くFifth Avenueの起点でもあります。この界隈は文豪Henry.Jamesらがその小説に風景をしたためたOld New Yorkが確かに存在したかつての’都’、その中心地でした。
西10丁目18番地、ブラウンストーンのタウンハウスのエントランス近くに一人の女性の名を刻んだプレートが埋め込まれています。
女性の名はEmma.Lazarus。自由の女神の台座に刻まれた詩「The Colossus」は彼女の手になるものです。
1849年7月、ニューヨークの裕福な家庭に生まれたエマ・ラザルス、そのルーツは植民地時代にさかのぼるユダヤ系移民でした。ラザルスは自らのユダヤ人としてのルーツを重んじ、アメリカにたどり着いた多くのユダヤ人が新天地での生活に馴染めるように、その擁護活動を続けたといいます。
アメリカへのユダヤ系移民の歴史は大きくその時期によって幾つかに分別されますが、ラザルスの家系はその中でも「セファルディム」とよばれます。スペインやポルトガルでのユダヤ人迫害を逃れて新天地アメリカに渡った初期の移民にたどり、社会的地位を得て裕福な階層に属す家系でした。
ユダヤ系移民の数はその後も増加を続けます。19世紀半ばには革命を逃れたユダヤ人らが海を渡ります。発展を続けるアメリカの貴重な労働力源ともなった彼らは、勤勉さに加えその高い才覚を発揮してやがて財をなし富豪となる者も少なくありませんでした。そして最大の移入は20世紀を前に訪れました。ユダヤ系移民革命の波がロシアに及び、ポグロムとよばれたユダヤ人の大量虐殺を逃れた人々が大西洋を渡りました。彼らの多くはLower Eastsideのテネメント街とよばれる低層住宅の劣悪な環境下で窮屈な生活を強いられることになりました。
その後、ナチスドイツの台頭と第二次世界大戦の勃発により、アインシュタインら著名な科学者や文化人らがアメリカに逃れます。この時期の移民は既に社会的地位を得た人々が中心でした。ホロコーストによってヨーロッパのユダヤ系人口は激減し、イスラエルに次ぐユダヤ系人口をアメリカにみることが出来ます。
*townhouse…18.W10th st
西10丁目18番地、ブラウンストーンのタウンハウスのエントランス近くに一人の女性の名を刻んだプレートが埋め込まれています。
女性の名はEmma.Lazarus。自由の女神の台座に刻まれた詩「The Colossus」は彼女の手になるものです。
1849年7月、ニューヨークの裕福な家庭に生まれたエマ・ラザルス、そのルーツは植民地時代にさかのぼるユダヤ系移民でした。ラザルスは自らのユダヤ人としてのルーツを重んじ、アメリカにたどり着いた多くのユダヤ人が新天地での生活に馴染めるように、その擁護活動を続けたといいます。
アメリカへのユダヤ系移民の歴史は大きくその時期によって幾つかに分別されますが、ラザルスの家系はその中でも「セファルディム」とよばれます。スペインやポルトガルでのユダヤ人迫害を逃れて新天地アメリカに渡った初期の移民にたどり、社会的地位を得て裕福な階層に属す家系でした。
ユダヤ系移民の数はその後も増加を続けます。19世紀半ばには革命を逃れたユダヤ人らが海を渡ります。発展を続けるアメリカの貴重な労働力源ともなった彼らは、勤勉さに加えその高い才覚を発揮してやがて財をなし富豪となる者も少なくありませんでした。そして最大の移入は20世紀を前に訪れました。ユダヤ系移民革命の波がロシアに及び、ポグロムとよばれたユダヤ人の大量虐殺を逃れた人々が大西洋を渡りました。彼らの多くはLower Eastsideのテネメント街とよばれる低層住宅の劣悪な環境下で窮屈な生活を強いられることになりました。
その後、ナチスドイツの台頭と第二次世界大戦の勃発により、アインシュタインら著名な科学者や文化人らがアメリカに逃れます。この時期の移民は既に社会的地位を得た人々が中心でした。ホロコーストによってヨーロッパのユダヤ系人口は激減し、イスラエルに次ぐユダヤ系人口をアメリカにみることが出来ます。
*townhouse…18.W10th st