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Never a dull moment

煌きのあの風景の向こうに…

Lazarus

2014年03月03日 | 8th st-
ワシントンスクエアの北、Stanford.Whiteの設計したアーチをくぐるとそこは長く続くFifth Avenueの起点でもあります。この界隈は文豪Henry.Jamesらがその小説に風景をしたためたOld New Yorkが確かに存在したかつての’都’、その中心地でした。

西10丁目18番地、ブラウンストーンのタウンハウスのエントランス近くに一人の女性の名を刻んだプレートが埋め込まれています。

女性の名はEmma.Lazarus。自由の女神の台座に刻まれた詩「The Colossus」は彼女の手になるものです。
1849年7月、ニューヨークの裕福な家庭に生まれたエマ・ラザルス、そのルーツは植民地時代にさかのぼるユダヤ系移民でした。ラザルスは自らのユダヤ人としてのルーツを重んじ、アメリカにたどり着いた多くのユダヤ人が新天地での生活に馴染めるように、その擁護活動を続けたといいます。

アメリカへのユダヤ系移民の歴史は大きくその時期によって幾つかに分別されますが、ラザルスの家系はその中でも「セファルディム」とよばれます。スペインやポルトガルでのユダヤ人迫害を逃れて新天地アメリカに渡った初期の移民にたどり、社会的地位を得て裕福な階層に属す家系でした。
ユダヤ系移民の数はその後も増加を続けます。19世紀半ばには革命を逃れたユダヤ人らが海を渡ります。発展を続けるアメリカの貴重な労働力源ともなった彼らは、勤勉さに加えその高い才覚を発揮してやがて財をなし富豪となる者も少なくありませんでした。そして最大の移入は20世紀を前に訪れました。ユダヤ系移民革命の波がロシアに及び、ポグロムとよばれたユダヤ人の大量虐殺を逃れた人々が大西洋を渡りました。彼らの多くはLower Eastsideのテネメント街とよばれる低層住宅の劣悪な環境下で窮屈な生活を強いられることになりました。
その後、ナチスドイツの台頭と第二次世界大戦の勃発により、アインシュタインら著名な科学者や文化人らがアメリカに逃れます。この時期の移民は既に社会的地位を得た人々が中心でした。ホロコーストによってヨーロッパのユダヤ系人口は激減し、イスラエルに次ぐユダヤ系人口をアメリカにみることが出来ます。

*townhouse…18.W10th st

Start

2011年02月09日 | 8th st-
ニューヨーク、その地名を耳にするだけで心地よい気分になる。
ニューヨーク、その地の記事を目にするだけで心に浮かんでくるたくさんの風景たち。
ニューヨーク、その地にいるだけで心が自然に解き放たれる…私にとっての何処にも替えられない特別の場所。
中でもそこは私にとって特別の場所、Washington Square。
18世紀初頭あたりには市の墓地、処刑場としての機能をはたしていたようです。のちに公園として整備され1889年にワシントン大統領就任100周年を記念して凱旋門が建設され、この凱旋門のふもとが5番街の起点となっています。1860年代からこのAvenue沿いには大邸宅の建設が開始され、Stuart家、Astor家、Vanderbilt家、Belmont家など錚々たる大富豪たちは、ヨーロッパなどで買い漁った美術品で邸宅を飾りたて、毎夜毎夜繰り広げるパーティーに集いました。アメリカの「金めっき時代」の到来です。今でもこの界隈はマンハッタン有数の高級住宅街としても知られ、Henry.Jamesの名作「女相続人」はこのあたりが物語の舞台となっています。
 あるとき自分を取り巻くさまざまな事柄に対処しきれずにいた私を、当時NYにいた知人が「とにかく何日でもいいからそこを離れるように。」と提案してくれました。促されるままにチケットを取ったものの前日についに倒れた私、諦めようといる私、いや逃げようといる私にその人は言いました。
「今から寝て明日起きたらそのまま空港に向かうように。そしたら飛行機に乗る。飛行機に乗ったらあとは寝てろ。起きたらそこはJFKだ。」と。
心身ともに限界だった私が、エネルギー溢れるニューヨークに流れ着いたのです。あちこちを連れ回ってもらい、ようやく日本でのいろいろなことを少し遠くに考えられるようになり、感情を少し取り戻した頃、このワシントンスクエアのベンチに座っていました。
集う人々、繰り広げられるパフォーマンス、拍手、笑顔に接して私の中の何かが息を吹きかえそうとしているのを感じました。
結果として私の選択は正しかった…その人の提案と、そしてニューヨークが私の人生を救い上げてくれました。
私はニューヨークに滞在中、1度は必ずここに来ます。New York Universityのキャンパスが点在し、ヴィレッジやソーホーにも近いこのあたりは、常に心地よい活気に溢れ、休日ともなるとより多くの人々が集い、憩いのときを楽しんでいます。
パフォーマンスに見入り、思い思いの音楽に耳を傾け、スクエアの上にくっきりと広がる空を見上げるのです。
「こんな時間も悪くないな…」と思いながら。