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Never a dull moment

煌きのあの風景の向こうに…

Green Market

2014年07月30日 | 14th st-
「食」について考えさせられることが多い昨今。
都心で暮らしていると食には満ち溢れているけれど、その食がどこからきて、誰の手で作られたものなのか…
その’ルーツ’、’最初’をたどるほどに視界不良になるように感じるのは私だけでしょうか。

とはいえ、以前は大抵の場合がスーパーなどで××産と書かれた野菜をカゴに入れるだけの選択肢しかなかった食との関わりが、消費者意識の変化や、またインターネットの発達などで、××産の□□生産、〇△氏栽培などなど、ルーツをたどる道程は視界良好になってきたなぁと実感します。

ニューヨークのグリーンマーケットといえば、Union Squareで開催されるものが有名です。
いつも多くの人で賑わうスクエアですが、マーケット開催日は早朝から熱気が伝わってきます。有名店のシェフも買付にくるとか。
既に地下鉄の構内から、大きなエコバッグを持った人々に出会います。
バッグからはお野菜が見えたり、買いたてのアップルをかじっている人もいたりして。

気分も上々に階段を上がり、ジョージ・ワシントンの騎馬像に迎えられ、スクエアに入ります。
月・水・金・土曜日に開かれるこのマーケット、生鮮食品、野菜・果物はもちろん、はちみつやワイン、お花、石鹸やキャンドルなど何でもござれ。
マンハッタン・ニューヨーク近郊のさまざまな場所から品物が届けられます。

夏にはよく冷えたリモネードを、冬にはホットアップルサイダーを片手に、所狭しと並べられた「ルーツの源」をすぐそばで実感しながらの品定め。
何とも贅沢なショッピングです。

ニューヨークでは大小さまざまなグリーンマーケットが開かれています。その品揃えもさまざま。
最初までたどれる新鮮なローカルフードとの出会い、そして人々が「地のもの」に向ける熱い視線を見るのもまた一興です。

*Union Square…E14th st&Union square west


Members ONLY

2014年02月06日 | 14th st-
動静、喜怒哀楽さまざまな表情を見せてくれるニューヨーク。
その中でも大好きなエリアがGramercy。パークアベニューサウスを南に進み、Calvary Churchが姿を見せるあたりで、左折します。
途端、街の喧噪は静寂に変わり、忙しく動いていた時の刻みは一転緩慢に。歴史を重ねたであろうタウンハウスやアパートメントが連なるその中心にはグラマシーパークがあります。

このパークは’’Residents Only’’。

残念ながら、窺い知ることが出来るのは四方の柵から覗く手入れの行き届いたパークの様子だけ。羨望のGramercy Park Keyを手にした住人たちだけが、この扉の向こうに旅することが出来るのです。
この界隈にその歴史を刻んできたクラブがあります。The National Arts Clubです。クラブの創立は1898年、現在の場所に移ってきたのは1905年頃といいます。
この建物は長く政治家として活躍し、ニューヨーク州知事や民主党大統領候補にも名が挙がったこともあるSamuel.J.Tilden(1814.2.9-1886.8.4)の邸宅でした。グラマシーパークサウスの14-15番地を購入したティルデンが、当時の人気建築家であったCalvert.Vauxに依頼して改築を重ねて完成させた邸宅は、ヴィクトリアンゴシックスタイルを今に伝える美しく壮麗なもので、LaFargeの作成するステンドグラスが窓辺を飾ったといいます。
 その名のとおり、文学、芸術、建築などを通じて交流を深めることがこのクラブの基本。また、クラブの主要メンバーでもあったCharles.DeKayはもともとニューヨークタイムスで文学や芸術の批評・論説などを手掛け、外交官としても活躍した人物で「ニューヨークはアメリカの’首都’たるに相応しくなければ」と各界で活躍する人物らにクラブへの入会を呼びかけました。メンバーにはTheodore.RooseveltやWoodlow.Wilsonら合衆国大統領を始め、Henry.C.FlickやBenjamin.Altman、John.P.Morganら企業家であり芸術愛好家なども名を連ねました。また紳士の社交場であった当時のプライベートクラブにおいて、女性の入会を当初から認めた稀有な組織であり、彫刻家のAnna.Huntingtonらも集ったといいます。
 オールドニューヨークの佇まいをそのままに残したグラマシーの一角で、灯されたランプのもと、生業を異にする数多の才能が集い’ART’によって繋がれる光景、これもまたMembers Onlyの贅沢といえるでしょうか。

*The National Arts Club…15.Gramercy Park South @E20th st

Manhattan

2011年12月21日 | 14th st-
絵になる街、ドラマの街NYから生まれたカクテルが”Manhattan”。
別名「カクテルの女王」とも言われているようで…
ウィスキーとベルガモットをステアしたこのカクテルの名前の由来には諸説あるようですが、その中のひとつが1874年、NY社交界の華と謳われたJenny.Jerome(1854-1921)が The Manhattan clubでこのカクテルを供したのが始まりという説です。真偽のほどは???というのが今では定説のようですが。
現在のマディソンスクエアを眼前にして建っていたJerome Mansionはジェニーの父Leonard.Jeromeにより1859年に建てられました。Leonardは、New York Timesの大株主になるなど成功を収めた株式投資家であり、スポーツや芸術にも通じた人物で、鉄道王Vanderbilt家のWilliam.Kissam.VanderbiltらとAmerican Jockey Clubの設立にも関わるなど社交界の名士でもありました。1867年にジェロム邸はUnion League Clubの本部となり、その後は民主党の事務所としても活用されたようで、後に大統領となるクリーブランドやフランクリン・ルーズベルトや、ニューヨーク州知事アル・スミスらも会したといいます。
ジェロム家の姉妹たちは共にその美貌で知られました。何不自由なく育てられたJeanette.’Jenny’.Jeromeは渡欧し、ヨーロッパ社交界にもデビューを果たします。そこで繋がった縁が英国のMarlborough公爵家の次男Randolph(1844-1895)との結婚でした。実際のところは親同士が決めた政略結婚であったようですが、ともあれ1874年4月、ジェニーは英国でも随一の名門貴族に嫁ぎました。Marlborough公爵家は英国王室にも連なる名門であり、また代々の一門から政治家を輩出し大臣職を歴任する家系でした。夫妻は2人の男子に恵まれています。
その美しさ、そして類稀なる機知を併せ持ったジェニーは、自身の生涯を見事な処世術で生き抜きました。異性のみならず同性をも虜にしたその魅力の源はJennyの奥深い’人間力’にあったのかもしれません。
1895年に夫ランドルフが45歳の若さでこの世を去りました。1900年6月、ジェニーはGeorge.Cornwallis-West(1874-1951)と再婚します。ジョージはジェニーの長男と同じ年齢でした。1912年に夫妻は別居し、その後離婚しました。ジェニーは1918年に三度目の結婚をしています。
1921年6月、ジェニーはロンドンで67歳の生涯を終えます。彼女の亡骸は母を深く愛した彼女の息子によって、懐かしの地に運ばれ一族の墓所に葬られました。
 
息子の名はSir Winston. Leonard.Spencer.Churchill。そうです、英国政治史上最も愛されたウィンストン・チャーチル首相その人です。

*Jerome Mansion(1859-1967,Now NE)…41.Madison ave eastside of Madison Square