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Never a dull moment

煌きのあの風景の向こうに…

I have a dream

2012年03月02日 | 80th st-
アメリカの1月の祝日にMartin.Luther.King.Jr dayがあります。
黒人公民権運動をはじめとした平和活動に生涯を捧げたキング牧師を記念した日で、彼の誕生日にあたる1月15日に近い1月の第3月曜日が合衆国の祝日として指定されています。'I have a dream'から始まる歴史的な名演説は今でも語り継がれています。
その演説は1963年8月28日、ワシントンD.C.で行われました。後々機会に恵まれて、その演説の様子を最初に見た時、最も心に残ったのは有名な次の箇所でした。
“I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed, We hold these truths to be self-evident,that all men are created equal.I have a dream that one day on the red hills of Georgia,the sons of former slaves and the sons of former slaveowners will be able to sit down together at table of the brotherhood.I have a dream that one day even the State of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice, sweltering with the heat of oppression,will be transformed into an oasis of freedom and justice.I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not judged by the color of there skin but the cotent of their character.I have a dream today.I have a dream that one day down in Alabama with vicious racists, with its governor having his lips dripping with the word of interposition and nullification. One day right there in Alabama, little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girl ls as sisters and brothers.”
...私には夢がある。いつの日かこの国が立ち上がり、「我々は、全ての人間が平等に創造されたという真理を自明のことと考える」という信条に本当の意味で基づくような国となることを。私には夢がある。いつの日か、ジョージアの赤い丘の上で、かつて奴隷だった者の子孫たちと、かつて奴隷主だった者の子孫たちとが兄弟愛をもって同じテーブルにつくことができることを。私には夢がある。いつの日か、ミシシッピー州のように不正義と抑圧に満ちた州でさえも、自由と正義のオアシスに変えられることを。私には夢がある。いつの日か、私の幼い子供たちが肌の色によって評価されるのではなく、人間性によって評価されるような国で暮らすことができることを。私には夢がある。いつの日か、悪徳に満ちた差別主義者に牛耳られ、連邦の決定に対して「不当な干渉だ」とか「取り消しする」という言葉しか出てこないアラバマ州においても、幼い黒人の少年少女たちが、幼い白人の少年少女たちとまるで兄弟姉妹のように手を取り合う日が来ることを。
この箇所は特に有名で繰り返し配信されることも多く聞き覚えのある方もいらっしゃるでしょう。この演説はこのあと、聖書からの引用、またその高邁な精神を神に誓い闘いを続けること、そして合衆国のあらゆる地からの「行動」への期待を謳います。そして最後は次のように締めくくられます。

“When we allow freeedom to ring, when we let it ring from every village and every harlem, from every state and every city, we will able to speed up teh day when all of Gods Children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old Negro Spiritual,Free at last ! Free at last ! Thank you god l mighty, we are free at last !”
.....私たちが自由の鐘を鳴らす時、すべての村々から、すべての集落から、すべての州から、すべての街からも鐘が鳴り響くのです。神の子となったすべての人々、黒人も白人もユダヤ人もユダヤ人でない人も、プロテスタントもカトリックも、すべての人々がお互いの手を取り合って、あの古い黒人霊歌の中の言葉を口ずさむ日がやって来る。”ついに自由になった!ついに自由になった!全能の神よ、感謝します!我々はついに自由になった!”

キング牧師の訴えかけた理想はどこまで実現されたでしょうか。

Yorkville

2012年02月29日 | 80th st-
マンハッタン歩きの楽しみの一つはエリアごとに異なる空気を感じられること。北に歩を進めたり、南に向って海の風を感じたり、東に歩いてはまた西に向ったり。「どこかで見かけたような」景色ではあれど、流れる空気はそれぞれはっきりと異なります。さて、そんなエリアのいろいろを少したどってみましょうか。
東79丁目から東96丁目、アベニューは3rd aveから1st ave。その中心は東86丁目あたり…(とします)、この界隈がYorkvilleと呼ばれるエリアです。もともとドイツ系移民が多く暮らしていたことがあり、Little Germanとも呼ばれていたそうです。
 欧州からの移民たちが最初にたどり着いたのがLower Eastside。現在のEast village、アルファベット地区のあたりです。その中でLittle Germanは現在のTompkins Square Parkあたりに築かれていました。19世紀に入り鉄道が整備され始め、交通の発達が進みます。1835年にハーレムとマンハッタンをつなぐ蒸気機関車が通り、東86丁目にも停車駅が建設され、一方、駅馬車がダウンタウンまで開設されました。交通の便の確保は当時、テネメントで最貧困の生活を強いられていた移民たちにとって一大転機ともなりました。
 ドイツ系移民たちをはじめ、ユダヤ系、アイルランド系移民たちは現在のヨークヴィルあたりにその拠点を移しますが、その中核はドイツ系移民だったようで、1850年頃にはドイツ人の街として確立されました。第2次大戦中にはナチスのシンパたちもこの地域には現れていたようで、あらゆる意味においてドイツ人街であったといえます。アッパーイーストに隣接するこのエリア、レキシントンアベニューがその緩衝地帯とされ、そこには「社会的、経済的に東へ転居しない」という不文律の見えない大きな壁がありました。
 ヨークヴィルの名は第1次世界大戦で数々の戦功をたてたアルヴィン・ヨークの名に由来します。その生涯は映画「ヨーク軍曹」にも描かれ、主演のゲーリー・クーパーに初のアカデミー賞をもたらしています。2度の世界大戦でいずれも敵性人種とされたドイツ系移民たちが自らの「アメリカ市民・アメリカ国民」としてのアイデンティティを示すため、この英雄の名をあえて掲げたのかもしれません。
  第2次大戦後、中核をなしたドイツ系の人々は郊外に移り、ハンガリーやチェコなどからの移民が増えLittle Bohemiaが形成される一画もあります。今では盛時の面影を残す建物も少なくなりましたが、それでもやはり独特の味わいのあるエリアです。

*Yorkville

Neighbor

2012年02月28日 | 80th st-
ニューヨーク、アッパーイースト。マンハッタン屈指の高級住宅街には世紀を経て、いまなお美しく並ぶタウンハウスを眺めることが出来ます。富豪たちが競って築いた彼らの夢の邸宅の建設、邸宅は時の流れと共に姿を消し、やがては売却され、またやがては取り壊されアパートメントに姿を変えていきました。
東93丁目、マジソン街とパーク街の間にそんなかつての'夢'の邸宅の跡を今も見ることが出来ます。それらは時代の大きな変わりめにあって築かれました。
 1930年、東93丁目の54番地から58番地を購入したのがウィリアム・ゴドビー・ロウ夫妻でした。ロウ夫人フローレンスは銀行家として知られるベイカー家の出身でした。夫妻がウォーカー・ジレット事務所に依頼したのがリージェンシースタイルの石灰岩の美しい邸宅。内に浅くカーブしたエントランスをくぐったのは夫妻と16人の召使いでした。
 同じ年、その邸宅のお隣、60番地から64番地の建物を購入したのが、ヴァージニア・バンダービルド。夫は鉄道王ヴァンダービルト家のウィリアム・K・ヴァンダーヴィルト・ジュニア。夫と離婚して新たな人生を歩むのに彼女が選んだのが東93丁目のその土地でした。ジョン・ラッセル・ポープを雇い、51室を持つフレンチクラシックの邸宅を建築しました。ロウ家とヴァンダービルト家は1931年に完成しました。もともとベイカー家、ロウ家とも親しくしていたヴァージニアにとってこの邸宅での暮しは穏やかなものであったのではないでしょうか。
 東93丁目66-68番地は作曲家アーヴィング・ベルリンが購入、ベルリンの妻エリン・マッケイは隣人となるバージニア・ヴァンダービルトともともと縁がありました。彼女の祖父ジョン・W・マッケイはネバダシルバー商会を、バージニアの父ジェムズ・フェアと共同経営していたのです。ベルリンは邸宅建設に向けて計画を進めていましたが、ニューヨークから世界に波及した経済恐慌がそれらを断念させることになりました。彼の娘メアリ・エリン・パレットは後に記した回想録の中で邸宅は建設を申請することもなく、一家はワーウィックホテルに住むことになったと記録しています。ベルリン家は土地の所有権だけは1950年代後半まで維持していたといいます。
 東93丁目67番地からパーク街までの土地にはゴドビー夫人の弟ジョージ・F・ベイカー・ジュニアの邸宅が建てられました。67番地のエントランスにはドルフィンを形取ったモチーフが取り付けられています。ヨット愛好家で海をこよなく愛していたベイカー・ジュニア氏の趣味だったのでしょうか。
 そしてそれら彼らが謳歌した日々にも終わりが訪れます。1935年、ヴァージニアが交通事故で早世した息子のあとを追うようにこの世を去ります。フローレンスは1936年に、そしてベイカー・ジュニアもその翌年1937にこの世を去りました。1955年にロウ家は邸宅を売却、ベイカー家もその後に倣いました。現在はそれぞれ宗教施設、教育施設として利用されています。
 これら人物の更なるエピソードは別の機会に…。

*Townhouses(E93rd,BW Park&Madison ave)

existence or not existence

2011年12月14日 | 80th st-
大好きな映画の一つです。「Miracle on 34th street」(1937,1994)
私が観たのはリメイクされた1994年のもの。Holiday SeasonのNYの美しい風景Macy'sやRockefellerCenter、Central Parkのスケートリンクが心温まるストーリーの展開と共に映し出されていきます。

ストーリーは「サンタなんていないの。」と言う大人びた少女スーザンと彼女の前に現れた「自分はサンタクロース」と名乗る老紳士。老紳士はHoliday seasonの老舗デパートでサンタクロースの役を務め。この2人と彼らを取り巻く人々の人間模様を暖かく描いていきます。
「サンタクロースは実在するかしないのか」これは物語の後半、現代版らしく法廷での審理に持ち込まれていきます。街中がこの話題でもちきりとなった裁判の判決の日はクリスマスイヴ。サンタクロースを子供に語りながらもそれが架空の存在であることをもう遠く昔に分かり切ってしまっている大人たち、一方、クリスとのふれあいを通して次第に信じる心、夢を抱く気持ちを培っていくスーザン。法廷での審理が終わりに近づき、裁判長が苦渋の判決を示そうとしたそのときスーザンは立ち上がり裁判長の席に向かっていきます。スーザンが裁判長に渡したのは1ドル紙幣が挟まれたクリスマスカード。怪訝な顔つきでカードを受け取った裁判長は挟まれた紙幣の裏に記された一文に目を留めます。

‘’IN GOD WE TRUST"=我ら神を信ず’’

合衆国の標語でもあるこの言葉から続くシーンは何度見ても心が温まります。
 クリスマスの夜、赤い服を着たサンタがトナカイに乗って空を駆けめぐってみんなのところへ……
私は信じます。それがたとえお伽の話であったとしても。

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「…1ドル紙幣だ。これは無論、後でお嬢さんにお返しする。しかし私はこれを見て考えるに至った。裁定文などもう必要ない。…紙幣にはこんな言葉が記されている。"我々は神の存在を信じる。"これは神の存在の証明ではない。…目には見えぬが確かに存在するというものの存在だ。政府は信ずる心のみで神の存在を公認している。神が存在するか或いはしないかの何の物的証拠もなしにだ。ゆえにニューヨーク州は市民の信ずる心によって、サンタクロースの存在を認める。」
~「34丁目の奇跡」より

Destination

2011年02月10日 | 80th st-
.....「タクシーの窓から右手に見えたライトアップされたTavern on the green(at Central Park)、そしてはるか向こうにありながら見事な輝きを放っていた満ちた月」これが今回、私がNYで見た一番印象的なシーンでした。ワシントンからアムトラックに乗って揺られること3時間、読書に軽く食事、そして静かな車内、車窓から眺める景色と電車の微妙な揺れにいつの間にかゆったりと眠りについていた私にはあっという間の時間でした。
電車はPenn Stationに定刻通り到着。タクシー待ちの列に並んだ頃には、既に空は夕暮れをぐっと深めていました。ようやく乗車の順がやってきて、滞在先のホテルの住所を告げいざ目的地へ。大好きな街にようやくたどり着いた安堵感で心が満ち足りたその瞬間、私の目に写ったのが冒頭のシーンでした。
 ホテルに落ち着き一息ついたところでまず向かったのが「いつものように訪れる」場所の1つ、メトロポリタン美術館(E81st st&Fifth ave)。その日は遅くまで開館しており、館内も大盛況。どうしても見たかった「ナン・ケンプナー展」を観賞しました。2005年にこの世を去ったナン・ケンプナー。
NY社交界に絶大な影響力を持ち続けた彼女が、その生涯にわたって彼女のワードローブを彩った珠玉のコレクションの一部が展示されていました。ドレス、スーツ、スポーツウェアなど、年代もスタイルもデザイナーも多岐にわたったそれらが所狭しと飾られた空間において、それらはただの「洋服」ではなく「一つの作品」でした。
 「世は変われど、人は変われど、決して変わらぬものが確かにある」、これが彼女のコレクションに接した私の感想です。
ナン・ケンプナー、彼女は一体どんな人物だったのか、その生涯を訪ねてみたいと思います。

*Tavern on the green(Central Park)
*Metropolitan Museum of Art(E81st st&Fifth ave)