華やかなマディソン街に重厚なブラウンストーンの建物が今も残ります。現在はマンハッタンでも指折りの高級ホテルとして数えられるNew York Palace Hotelのエントランスに構えたその邸宅は、今日も多くのゲストたちを迎えています。
その歴史が刻まれたのは1881年、Henry.Villard(1835-1900)が土地を購入したことから始まりました。設計は当代随一の人気を誇った建築事務所Mckim.Mead&White社に委ねられました。イタリアンルネサンス様式を取り入れた3階建てのこの建物は、6つのハウスからなる分譲マンションだったようです。完成は1885年のことでした。
ヘンリー・ヴィラード(1835.4.10-1900.11.12)はババリア(現在のドイツ・バイエルン地方)に生まれ、フランス、ドイツ各地で教育を受けました。1853年にアメリカに移民として入国し、名をVillardと改名します。苦学して法律を修め、ジャーナリズムの世界に活路を見出してキャリアを積みました。
1850年も半ばになると、ヘンリーは共和党の大統領選挙活動に従事し、後にリンカーンの大統領選挙を支援しています。南北戦争勃発後は、従軍特派員としてならし、当時知り合った奴隷解放活動家の娘で女性参政運動の活動家でもあったHellen.F.Garrisonと結婚しました。その後、ヨーロッパで起きたオーストリア・プロイセンの戦争にも馳せ参じています。
ドイツに滞在中、投資業に目覚めたヴィラードは、倒産寸前の数々の鉄道会社の再生のための資金援助に着手し、成功を収めます。その後、恵まれた才能を生かして金融業や鉄道業にも進出、グールド、ヴァンダービルト、ハンティントンらと並び称されるまでになりました。しかし、やがて先行投資と実際の操業のバランスが崩れ、破産の憂き目にあいます。
その夢の邸の建設が始まったとき、彼は人生の絶頂期にありました。しかしその僅か3年後に破産、無一文に近い状態で、ヘンリーは建築途中の邸に逃げるように身を隠す他なくなります。債権者たちが邸を取り囲み、心身ともに追い詰められて病に臥しました。
1885年に邸は完成しましたが、最早そこは彼の「夢の邸」ではありませんでした。彼は家族と共にこの邸宅から去り、二度と戻ることはありませんでした。
「私は何の後悔もなしにこの邸を去る」の言葉を残して…。
富の神の気まぐれはいつの世にもあるようで、やがて幾分かの財産を回復しGE社の重役をつとめるなどして活躍したようです。
妻ヘレンとの間に生まれたOsward.Garrison.Villard(1872-1949)はジャーナリストとして名をなしました。
*New York Palace Hotel (Madison Ave at E51st st)
その歴史が刻まれたのは1881年、Henry.Villard(1835-1900)が土地を購入したことから始まりました。設計は当代随一の人気を誇った建築事務所Mckim.Mead&White社に委ねられました。イタリアンルネサンス様式を取り入れた3階建てのこの建物は、6つのハウスからなる分譲マンションだったようです。完成は1885年のことでした。
ヘンリー・ヴィラード(1835.4.10-1900.11.12)はババリア(現在のドイツ・バイエルン地方)に生まれ、フランス、ドイツ各地で教育を受けました。1853年にアメリカに移民として入国し、名をVillardと改名します。苦学して法律を修め、ジャーナリズムの世界に活路を見出してキャリアを積みました。
1850年も半ばになると、ヘンリーは共和党の大統領選挙活動に従事し、後にリンカーンの大統領選挙を支援しています。南北戦争勃発後は、従軍特派員としてならし、当時知り合った奴隷解放活動家の娘で女性参政運動の活動家でもあったHellen.F.Garrisonと結婚しました。その後、ヨーロッパで起きたオーストリア・プロイセンの戦争にも馳せ参じています。
ドイツに滞在中、投資業に目覚めたヴィラードは、倒産寸前の数々の鉄道会社の再生のための資金援助に着手し、成功を収めます。その後、恵まれた才能を生かして金融業や鉄道業にも進出、グールド、ヴァンダービルト、ハンティントンらと並び称されるまでになりました。しかし、やがて先行投資と実際の操業のバランスが崩れ、破産の憂き目にあいます。
その夢の邸の建設が始まったとき、彼は人生の絶頂期にありました。しかしその僅か3年後に破産、無一文に近い状態で、ヘンリーは建築途中の邸に逃げるように身を隠す他なくなります。債権者たちが邸を取り囲み、心身ともに追い詰められて病に臥しました。
1885年に邸は完成しましたが、最早そこは彼の「夢の邸」ではありませんでした。彼は家族と共にこの邸宅から去り、二度と戻ることはありませんでした。
「私は何の後悔もなしにこの邸を去る」の言葉を残して…。
富の神の気まぐれはいつの世にもあるようで、やがて幾分かの財産を回復しGE社の重役をつとめるなどして活躍したようです。
妻ヘレンとの間に生まれたOsward.Garrison.Villard(1872-1949)はジャーナリストとして名をなしました。
*New York Palace Hotel (Madison Ave at E51st st)