
恐る恐るスタートを切った新企画、Jukebox。
自粛期間中は何かと音楽に向き合う時間も結構あって、自分の曲も人の曲もよく聞いた。もちろんその行動があってこの企画を思いついたわけだけれども。
ひで氏です。
一回やってみてわかったがこのJukeboxではとにかくアルファベット順に名曲を紹介したい訳ではないようだ。おそらく、私は音楽にまつわるいろんな思い出をみんなと共有したい、そっちの想いの方が強い。Bで何をするかを考えているとふとそんな整理ができた。
そこでBである。
これはやはり、前回も触れた「洋楽の世界の入り口に立っていた私」をどんどんとその奥へ引きずり込んでいった戦犯たちの話になってしまう。
当時中学生の私ひで氏が置かれていたのは恥ずかしさMAXの80年代。過剰なシンセサイザーに合わせてレオタードで踊るような時代だ。この頃のロックバンドはハイトーンであればあるほどステータスを得るような状況になっており、60代ぐらいでも現役で続けられる今のような時代になっておそらく「オレ、なんであんな高いキーでやったんやろ…」と後悔に苛まれる日が来るとはこの時は誰も思っていなかったはずだ。
とにかくやりたい放題に音色をいじる、素早く弾く、高い声を出す、衣装は光らせる、裾は伸ばす、髪は巻く、マグネシウムを焚く。
グラフで言うと線が上を向いてないと気が済まない時代だ。
この傾向はのちにNirvanaが登場してダウナー系の様式美が編み出されるまで、やや衰退しながらも続いた、と個人的には思う。
そんな80年代を間違いなく代表するバンドの一つがBob Joviであり、今回Bの曲として紹介するのがあの「Bad Medicine」だ。
圧倒的な歌唱力と演奏力、曲のキャッチーさとカリスマ性を兼ね備えたバンドだった。
私ひで氏は生まれて初めて観に行ったコンサートが彼らのライブだった。
ライブは大阪城ホールで1989年1月7日にある「はず」だった。
私は数週間前からこのことしか頭になく、当時の友人たちと3人でそれはもう心躍らせて会場に向かったのだ。
しかしこのライブは中止になる。
なんとこの日、天皇陛下の崩御という衝撃が日本を駆け抜けたのだ。
大阪城ホールの前にできた人だかりは騒然とし、しばらくその状態が続いた後正式に中止が発表された。
そんなわけで決して忘れることのできない記憶となったこのライブだが、後日振替公演が行われたので我々はBon Joviのパフォーマンスを無事見ることができたのだ。
帰り道、私ひで氏の母が夜も遅いからと我ら3人を駅まで迎えに来て、それぞれを家に送って行った。22時ごろだったと思う。興奮冷めやらぬ我々は車の中でも「音が体に当たるほどの迫力だった」「まだ耳がおかしい」と騒いでいた。
友人の一人、Sの家の付近まで来たところで、母も早く人様の子を送り届けねばと焦っていたのだろう、住宅街の中をこちらに背中を向けてゆらゆらと歩く中年の女性に苛立ちを隠せず、「もう、トロトロせんとはよどきなはれ。おばちゃんっ」と車内で悪態をつくとSが言った。
「ぼくのお母さんです」
Sのお母さんはお母さんで中学生の息子の帰りが待ちきれず外まで出て待っていたのだ。
どちらも息子を想う気持ちから出た行動であることには違いないが何か自分の母のはちょっと違うような気がしたのを今もまざまざと覚えている。
そんなほろ苦い思い出も込みで紹介した Bad Medicine。
今回から突如エセYouTuberのごとく映像の方も力を入れはじめたアランスミシーバンドの意気込みも感じて欲しい。動画ではJon Bob Joviのボーカルの秘密に実演を交えて触れている。よければチャンネル登録なぞよろしくお願いします。
ということで Jukebox - Bは
Bon JoviのBad Medicineでした!
自粛期間中は何かと音楽に向き合う時間も結構あって、自分の曲も人の曲もよく聞いた。もちろんその行動があってこの企画を思いついたわけだけれども。
ひで氏です。
一回やってみてわかったがこのJukeboxではとにかくアルファベット順に名曲を紹介したい訳ではないようだ。おそらく、私は音楽にまつわるいろんな思い出をみんなと共有したい、そっちの想いの方が強い。Bで何をするかを考えているとふとそんな整理ができた。
そこでBである。
これはやはり、前回も触れた「洋楽の世界の入り口に立っていた私」をどんどんとその奥へ引きずり込んでいった戦犯たちの話になってしまう。
当時中学生の私ひで氏が置かれていたのは恥ずかしさMAXの80年代。過剰なシンセサイザーに合わせてレオタードで踊るような時代だ。この頃のロックバンドはハイトーンであればあるほどステータスを得るような状況になっており、60代ぐらいでも現役で続けられる今のような時代になっておそらく「オレ、なんであんな高いキーでやったんやろ…」と後悔に苛まれる日が来るとはこの時は誰も思っていなかったはずだ。
とにかくやりたい放題に音色をいじる、素早く弾く、高い声を出す、衣装は光らせる、裾は伸ばす、髪は巻く、マグネシウムを焚く。
グラフで言うと線が上を向いてないと気が済まない時代だ。
この傾向はのちにNirvanaが登場してダウナー系の様式美が編み出されるまで、やや衰退しながらも続いた、と個人的には思う。
そんな80年代を間違いなく代表するバンドの一つがBob Joviであり、今回Bの曲として紹介するのがあの「Bad Medicine」だ。
圧倒的な歌唱力と演奏力、曲のキャッチーさとカリスマ性を兼ね備えたバンドだった。
私ひで氏は生まれて初めて観に行ったコンサートが彼らのライブだった。
ライブは大阪城ホールで1989年1月7日にある「はず」だった。
私は数週間前からこのことしか頭になく、当時の友人たちと3人でそれはもう心躍らせて会場に向かったのだ。
しかしこのライブは中止になる。
なんとこの日、天皇陛下の崩御という衝撃が日本を駆け抜けたのだ。
大阪城ホールの前にできた人だかりは騒然とし、しばらくその状態が続いた後正式に中止が発表された。
そんなわけで決して忘れることのできない記憶となったこのライブだが、後日振替公演が行われたので我々はBon Joviのパフォーマンスを無事見ることができたのだ。
帰り道、私ひで氏の母が夜も遅いからと我ら3人を駅まで迎えに来て、それぞれを家に送って行った。22時ごろだったと思う。興奮冷めやらぬ我々は車の中でも「音が体に当たるほどの迫力だった」「まだ耳がおかしい」と騒いでいた。
友人の一人、Sの家の付近まで来たところで、母も早く人様の子を送り届けねばと焦っていたのだろう、住宅街の中をこちらに背中を向けてゆらゆらと歩く中年の女性に苛立ちを隠せず、「もう、トロトロせんとはよどきなはれ。おばちゃんっ」と車内で悪態をつくとSが言った。
「ぼくのお母さんです」
Sのお母さんはお母さんで中学生の息子の帰りが待ちきれず外まで出て待っていたのだ。
どちらも息子を想う気持ちから出た行動であることには違いないが何か自分の母のはちょっと違うような気がしたのを今もまざまざと覚えている。
そんなほろ苦い思い出も込みで紹介した Bad Medicine。
今回から突如エセYouTuberのごとく映像の方も力を入れはじめたアランスミシーバンドの意気込みも感じて欲しい。動画ではJon Bob Joviのボーカルの秘密に実演を交えて触れている。よければチャンネル登録なぞよろしくお願いします。
ということで Jukebox - Bは
Bon JoviのBad Medicineでした!
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