The Alan Smithy Band

The band is on a mission.

小松菜チャレンジ Day2

2018年05月10日 | ASB活動日誌
Day2と書くと植えた日から二日目という気がしてしまう。初回を「Day1」にしてしまったからだ。

もちろんそんなことをやっていたら収獲のころにはDay40とかになってあまりにも壮大な連載になってしまう。
かといってさかのぼってタイトルを修正するのもいまいちなので、Day表記はそのまま、マー今回ならDay2=第2報ぐらいに思っていただきたい。

健気にその顔を地上に現わした小松菜の隊列であるが、その後も順調に背伸びを続けていった。
小さくとも気にかけて観察しているとその微妙な成長がよくわかるものだ。

まさかあらゆる角度の小松菜を何枚も撮るような日々が来るとは思いもよらなかった。







もちろん今回もお約束のセルフィー。



帰りは借りていたジョウロをお寺に返しに行くと端午の節句ということでちまきを頂いた。

何か、ただ畑の小松菜に水を上げにいっただけなのに異様に高い充実度。

そして私ひで氏が今、いつどうすればいいのか判断がつかず困っていること。

それが「間引き」である。

小松菜のような作物は大きく育つ前に適度に間引きをしないと、収穫が悪くなるらしい。
しかし順調に育っているものをわざと抜くというのは大層精神的にエネルギーのいる作業だ。

これに関しては畑の我らがブレーンS氏に相談し、Day3にて報告したい。



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6月1日(金)THE WAREHOUSE x 城領明子 2マンライブ決定!

2018年05月05日 | ASB活動日誌
ツーマン、と書こうと思ってタイプするといつも「2万」と変換され入場料2万の高級ディナーショウを開催するような心持になってしまう。

ひで氏です。

アランスミシーバンドのライブは諸般の事情があり少しお預けになってしまうのだが、
ひで氏が別で取り組む洋楽カバーユニット THE WAREHOUSEの方のライブが先に決まった。それも素晴らしい共演者と素晴らしい日時だ。

6月1日金曜日、場所は大阪中崎町コモンカフェ。

来られたことのある人はわかると思うが、コモンカフェはとにかく居心地が良くて、なんというのだろう、
今ホットな中崎町エリアにあるはずなのにその中心からちょっと離れたところにあるのも何とも愛らしい。

私ひで氏は縁あって小学生の頃からこの中崎町界隈を知っているのだが、こういう新しめのお店も、昔からの景色に溶け込みながら入ろうという節操を持って参入してきている感じで、目と鼻の先の大阪駅の北側のようにもはや何の原型も留めない単なる未来都市の発展の仕方とは全く違う。

そんなあたたかな空間、コモンカフェで我々THE WAREHOUSEが繰り広げるのは洋楽カバーの数々。
自分たちがシンプルに良いと思う曲を演奏しているが、主に60-70年代の曲が多い。昔の良いものを今やるということは、何かこの新しい風が吹く古くからの町 中崎町という街そのものにぴったりなような気もする。

そしてこの日はツーマンライブ、共演には城領明子氏。
彼女の曲もまた、少し懐かしい響きがあって私ひで氏は本当に心から大好きなのだが、城領明子氏の曲たちもまたとてもあの空間に無理なくフィットすると思う。

せっかくのツーマンライブということなので、お互いたっぷりゆったりと演ってお客さんにも充分満足してもらおうと思っている。

みなさん、6月1日金曜日は是非 OLD & NEW的な雰囲気でいっぱいの中崎町に、
THE WAREHOUSEと城領明子のツーマンライブに遊びに来てください。



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6月1日(金) 大阪中崎町コモンカフェ
​出演:城領明子/THE WAREHOUSE
Open:19:30  Start: 20:00
Charge: ¥2000(1D別)

嬉しい金曜ライブに、ASBひで氏率いる洋楽カバーユニットTHE WAREHOUSEと城領明子が共演の2マンライブ!贅沢すぎるラインナップでじっくりゆったり心ゆくまでいい音楽をお楽しみください。音花恒例のセッションも最後にあるはず!席数に限りがありますので、ご予約はお早目に!
※アランスミシーバンドのライブではありません。

大阪中崎町 コモンカフェ
大阪府大阪市北区中崎西1-1-6 吉村ビルB1F
TEL: 06-6371-1800

チケットご予約はこちらから
https://asb.typeform.com/to/WdqVbf


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小松菜チャレンジ Day1

2018年05月03日 | ASB活動日誌
最近、人生で初めて畑の畝を貸してもらった。

自分で育てた作物を食べて生きて行くというのは素晴らしいことだとは思うが、あまりにハードルが高すぎると常々思っていた。
何かこうすごくオーガニックな生き方をする人の話だと思っていたし、いざ畑をやるとなると結局野菜など買ったほうがよっぽどラクだと感じるというのも良く聞く話だ。経験的にもこれまでせいぜいプランターでバジルを育てたことがあるぐらいだ。

ひで氏です。

そんな私ひで氏が、普段から何かとお世話になっている近所のお寺の畑の一角を貸してもらえる事になった。
家から自転車で5分、鳥居をくぐってお寺の最初の門を抜けたところにある。畑そのものもそんなに大きなところではないが、その中の本当に小さな畝だが、いざ目の前にしてみると、とりあえず一回何かを育ててみようという気になった。とりあえず、生まれて初めて畝をバックに記念写真を撮る。



さて何を育てようかと考えたとき、はっ!と思った。

小松菜だ。

なぜ小松菜なのかというと、これはこれでまた別途書く必要がありそうなことなのだが私ひで氏は訳あってこの1年半以上、朝ごはんは野菜と果物オンリーにしている。




このために小松菜の消費量がかなり激しいため、そうだ、小松菜を作ろうと思ったのだ。

調べてみると小松菜というのはかなり初心者向けで栽培も比較的簡単らしい。完璧じゃあないか。
買ってきた種の袋の裏に書いてあった通りに畝にスジを作り、種を撒く。



そして土をかぶせて水をやるのだが、その時に声をかけられた。

「小松菜やるんか。もみがら、かぶせといたらええわ」

それは同じ畑でもう何十年も畑仕事をしている、Sさんという男性だった。

そうなんですか、初めてなんで何もわかっていないんです、と言うと、Sさんは懇切丁寧に色々と教えてくれた。
こういう時に「これでいいんかな…」と終わるのと、エキスパートの監修の元作業を完了するのとでは安心感に雲泥の差がある。

「1週間もしたら芽が出て来よる。最初の二日は水遣りに来なあかんど。そのあと2日は雨やから大丈夫や。」

と笑顔で教えてくれたSさん。なんとも心強いアドバイザーが居るということに安心した。


ちなみにこの数日後はSさんの言った通り雨が降った。
畑に関わると、こんなふうに天気の事を気にするようになるのだなと思った。


果たしてこのひで氏の小松菜チャレンジはうまくいくのか。随時報告していきたいと思う。


今回書こうと思ってかけなかった、素敵なWAREHOUSEのイベントが決まったので、それは次回。








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Discover USJ

2018年04月06日 | ASB活動日誌
相当久方ぶりにUSJに行った。

ひで氏です。

ブログ更新自体が非常に滞っていたが、年度も変わり心機一転、今年度はできるだけコンスタントに書いていく!と宣言したい。
そのUSJで気付いたことを記しておきたい。

【入園前のこと】

さて、USJの周りのシティウォークはなかなかに特殊な感じがある。




理想的にはこのシティウォークに来ると異国間が満載で、テンションあがるー!が正解なのだと思うが、
何、とはっきり問われると答えられないのだが、なんというかどうもツメの甘いところがありところどころ現実に引き戻される感がある。
おそらくとても細かい事だ。それこそ床のタイルとか、階段の手すりや、はたまた私ひで氏が忌み嫌う「のぼり」の類のせいなのではないかと思う。

それにしてもものすごい人だ。
開園とほぼ同時に入ったのだが、この時点でものすごい人だった。入って何も考えずに人の少ない方少ない方へ進んでいったところ、目の前にスパイダーマンのライドが現れ、待ち時間が10分となっていたので入ってみた。スパイダーマンはさすがのクオリティで、満足して外に戻った。

【待ち時間のこと】

しかしここからどのアトラクションに行っても、すべて80-120分待ちという状態だ。

そもそも列に並んで待つのが苦手な私ひで氏にとって、2時間も同じラインでのろのろ進みながら待つというのはちょっと有り得ない。

仮にすべての人気アトラクションを体験しようとして、そのすべてが120分待ちであるならば、朝9時に入ったとして例えば閉演の20時まで11時間、最大で5個のアトラクションが体験できるMAXということになり、正味各アトラクションが長く見積もって10分とすると1日の最後に活動を振り返ったら合計が

待ち時間 10時間
アトラクション体験 50分

ということになるではないか。ご飯も食べてない。

もちろん待ち時間が変動する要因は沢山あるのは承知の上だが、これではUSJのメインアトラクションは「ウェイティング」ということになってしまう。USJも色々対策を講じているとは思うがこれは何とかして欲しいところだ。


【栄枯盛衰のこと】

久しぶりに行ってBack to the FutureがUSJから消えていたのはショックだった。Backdraftも待ち時間20分だった。
純血のUniversal映画の名作に押されて順次消えていく分にはなんとなく納得しやすいが、ハリーポッターもよく考えたらワーナー映画だ。その変はもはや関係ないのだろう。


【キャラクターのこと】

園内を歩くキャラを見ても、ありとあらゆるキャラクターが闊歩している。
さきほどのUniversal由来云々を言い出すと、やはりキティさんは違和感がある。なんといってもUniversalと言えば、のはずの彼は一体どうなってしまったのだろうか。余りにも不憫だ。


ちなみにほぼメインキャラの座を確立しているセサミストリートに関しては、私ひで氏は全く馴染みがなくよくわからない。
ツイートもしたが、どうもあのトロンとした目が怖い。




この感覚、何か覚えがある、と考えてみたら、わかった、アレと同じ感じがするのだ。だから怖いのだ。




ということで時間的にはわずかな滞在であったが色々と改めて発見のあったUSJ。
夜にはASBが大阪本町でお世話になっているHard Rock Cafeのユニバーサルシティウォーク店 YMGCHI店長を訪ねてまた今後の面白そうな話をしてきた。やはりこのエリアを含め、USJにはエンターテイナーとして元気でいてもらいたい。










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映像倶楽部、外出する。そしてアカデミー賞

2018年03月13日 | ASB活動日誌
先日、第90回アカデミー賞が発表された。

さすがにリアルタイムでは見れなかったが、かなり気にしてその動向を気にしていた。
近年、こんなにも賞の行方が気になった事は無い。それはある映画のことが気になっていたからである。

Three Billboard Outside Ebbing, Misouri(スリービルボード)だ。


ひで氏です。

この映画がなぜ気になっていたかと言うともちろん、この映画を見に行っていたからなのだが、これには少し特殊な思い出が紐づいている。

以前にこのブログで少し触れた映像倶楽部という仲間内での集まりがある。
詳しくは過去のエントリをみればわかるのだが、お互いに好きな映画をノートを通じて紹介することから始まった10名弱程度のグループだ。

過去エントリ:映像倶楽部の効能

そのグループが先日、初めて「外出」をすることになった。
映像倶楽部の外出、それはつまり実際に映画を見に行き、そのあとは見たばかりの映画を肴に「研究協議」で盛り上がるというものだ。映画好きにとって、こんな夢のような楽しい外出は無い。

まずは何の映画を見るのかというところから始まったのだが、これが恐ろしい。部員それぞれが自分の見たい映画を紙に書いて投票し、多数決ではなく、引いた一枚に書いてある映画を見に行くというものだ。当然、数が多ければその映画が引かれる可能性が上がるのではあるが、1票しかないものが引かれる可能性も充分にあるのだ。

つまり誰かが冷やかしで「プリキュアスーパースターズ」と書いてそれが引かれれば、全員で何が何でもその映画を見に行き研究協議まで終えなければならない。

なんという恐ろしいシステムだ。

結果、この投票で選ばれたのが結局のところ最多数だった「スリービルボード」だったわけだ。

外出当日は全員でぞろぞろと梅田の映画館に出向き、このスリービルボードを鑑賞。
私ひで氏は個人的には素晴らしい映画だと思ったので、見た後も早く感想を他の映像倶楽部員とシェアしたくてたまらないのだが、そこをぐっとこらえて研究協議会場までは多くを語らず我慢して移動する。

そして研究協議の場に選ばれたのは同じく梅田の炉端焼きの店だ。
ここで見たばかりの映画について語るわけだが、これがまた見事に解釈が分かれたり意図がわかりにくい場面が適度にある映画だったので、予想以上に盛り上がり、だいたいこの手の「○○という名の飲み会」的なイベントにありがちな「開始10分くらいでもうただの飲み会になる」どころではなく、本当に最後の最後までスリービルボードについて熱い議論が交わされるという充実度200%のイベントとなったのである。

「映画は夜見よ」

というのは他ならぬ自分自身のモットーである。この場合時間的に夜でないといけないわけではなく、どちらかというと
「映画の後に他の予定を入れない」という意味だ。というのは、例えば昼間に映画を見て夜に別のことをすると、「そういや今日昼に映画見たな」というぐらいまで映画の印象は薄れてしまう。だからできるだけ映画を一日の最後の予定にして、そのまま眠りにつけるぐらい、もしくはそのあとに予定があったとしても映画について語り合うことをフィナーレとするというのが理想的だ。


ここで話は戻るが、こうして初の映像倶楽部の遠征で見たスリービルボードが果たしてアカデミー賞をとるのか否か。


とても気になっていたわけである。

結果、作品賞は逃したものの助演男優賞、主演女優賞を獲得。

自分の中では、映画好きの間でちょっとした会話から発足した映像倶楽部、その映像倶楽部が遠征するにあたってクジで選ばれた映画が見事にアカデミー賞を獲るという一つのストーリーは自分にとってとても嬉しい出来事だった。

人をつなげて、心を動かしてくれる、映画というのは本当に素晴らしいと思う。


アメリカに住んでいたころ、生活の中への映画の根付き方が半端ではない、とよく思った。
とにかく皆基本的に映画が大好きなので、もともと映画がそこそこ好きだった私ひで氏も、ますます映画好きになっていった。


今回助演男優賞をとったサム・ロックウェルの受賞スピーチの中で、8歳の時、学校で校長に呼び出され「おばあちゃんのことでお父さんが迎えに来ている」と言われ、迎えに来た父の車に無言で乗って「おばあちゃん、どこか悪いの?」と聞くと「おばあちゃんはどこも悪くない。映画を見に行くぞ」と言うような父だった、ということだ。(英語だけど下記動画の18秒ぐらいからのくだり)




そんな筋金入りの映画好きの親の元で育った少年がこうして賞をとり、こんなアジアの隅っこの人々にまで少なからず影響を与えているのだから、


映画は本当に素敵だ。



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百人一首名人の憂鬱

2018年02月03日 | ヒデ氏イラストブログ
誰もが経験することだと思うが、やたらと不運が続く日というのがあるものだ。

ひで氏です。

この日は朝から不穏な空気があった。まず手袋を無くしたのだ。バスを降りて手袋をしようとしたら片方ない事に気付いたのだ。
ほんの少し前に買ったばかりの手袋だったのだが、案外すんなりと事実を受け入れた。というのは実はその前の日にコンビニに寄った時に傘立てに挿した傘を忘れていっていたので、なんとなく何かよくないことが始まったのかもしれない、という予感はあったのだ。

そしてその日は1月の後半だったが、百人一首大会の運営の一部を担うという日であった。
朝から不気味な不運のサインを立て続けに感じた上で、その日に普段と違うイベント事が設定されていることにより一層私ひで氏の予感は強まったのだ。

実は珍しく準備は万全にしていた。

大会の中での私の役割は、「集計係」だ。かなりの人数で行われるこの大会の個人と団体の取り札の数を書いた紙をPCに入力していくという作業で、とにかくシンプルにPCだけを持って行って臨めるようにと、完全に充電をして持っていく手はずを整えていた。

いよいよイベントが始まり、PCを持って会場入りした私は、ステージ横の集計場所にPCを一旦おいて会場を練り歩いた。
真冬だというのに会場は相当な熱気で、札が読み上げられる度に細かく分かれた各グループで動きがあり、歓声があがった。

いよいよ集計の段になった時に私はそろそろPCをセットしようとPCのところに行き電源を入れた。

最初に画面にでたのは、カラカラのバッテリーのイラストだった。目を疑った。

なぜだ。昨日充電していたはずなのに。

しかし同時に悟ったような自分もいた。こうなるとわかっていた、という自分だ。
朝のサインはこれだったのだ。不幸は度重なる。むしろ腑に落ちた気がした。

しかし一刻を争う状況だった。なんせ集計票はほぼ集約を終わろうとしている。すぐに入力を開始しなければ、結果発表に間に合わない。
とりあえず、電源アダプターを置いている部屋までダッシュで帰らねばならない。

会場は土足厳禁だったので、下駄箱に靴を置いていた。とりあえずそこまで走った私は、靴をすごい勢いで取り、無造作に足を突っ込んで走り出した。そのままではかかとを踏んだ状態だったので、走りながらなんとか靴を履き切ろうとして、かかとを踏み鳴らすようにして走った。

だが一向に妙なところに引っかかった靴のかかと部分が本来の私のかかとにかかってくれないのである。
仕方なく手を使って直そうとした。右足を曲げて出来るだけ上に延ばし、右手の人差し指で靴のかかと部分に指をひっかけて自分のかかとにひっかけようとしたわけだ。

その瞬間、とんでもない激痛が私の右ふくらはぎを襲った。漫画の擬音にするならば「ピリーーーーッ」という、電気が走ったような、長くもなく短くもなく、また刺すような嫌な種類の痛みだった。

私はこの時三つのアクションを同時にしていたわけである。「前へ進む」「片方の足を曲げる」「手でかかとを触る」。
自分的にはフィギュアスケートのビールマンスピンぐらいのイメージだ。もちろん右足は全然あがっていないのだが。



瞬間的にこれはまずい痛みだというのはわかった。何せもうこの瞬間以降、足を引きずってしか進めなかったし、とにかく感じたことのないような痛みだったのだ。文字通り「ほうほうのてい」で電源ケーブルをなんとか取りにいき、会場に戻ったはいいが、この時点で私は、「全速力で出ていったはずなのに足を引きずって帰ってくる奇妙な男」に変貌していた。

とにかくそんなことよりも集計を早く終えなければという思いだけで、舞台袖で慌てて電源ケーブルをPCにつなげ、PCを立ち上げた。
そして今度画面に表れたのは「Windowsを構成するための準備中...電源を切らないでください」という画面だった。

悪夢とはこのことだ。

つまり、昨日なぜか充電がうまくいっていなかったのもおそらくこれが関係しているのだ、電源を落としたつもりが自動更新が始まり、何らかの理由で更新が終わらず、それによってバッテリーが枯渇していたのだ。さらにいまもなお更新中のため、下手に触れない。

結論から言うと結局他の人のPCを使って集計するなどしてなんとかちょい遅れで集計は済んだのだが、
朝のあの予感から、ここまで来ますか…と笑うしかなかった。そうしている間にも足の痛みは治まるどころかむしろ増しており、一連の不運をあざ笑う笑い声のようなリズムでジンジン ジンジンと私のふくらはぎで熱く波打っていたのである。

百人一首大会も終わったというのに、一向に治まらないこのふくらはぎの痛みの正体を確かめるために私ひで氏は帰り道、足を引きずりながら整形外科の扉をくぐった。名前を呼ばれこれまた足を引きずりながら診察室まで入り、ドクターは私のふくらはぎを入念に診察した。ついた診断は、

肉離れ。

人生で初めての肉離れだった。ま、できるだけ安静にするしかないよというドクターの声が耳の中で徐々にくぐもって行く中で、今一度頭を整理していた。

コンビニに傘を忘れ、手袋をなくし、肉離れを起こし、コンピュータが機嫌を損ね、集計係が集計に失敗したのだ。5つの不幸が矢継ぎ早に舞い降りただけだ。その一つ一つをまた起こった順に思い出した。よくもまあこんなにも重なるものだ。


「…てたん?」



その瞬間、ドクターが自分に何かを聞いていることに気付いた。「え?」と聞き直すと、ドクターは質問を繰り返した。それは医者から患者へのごくごく当然の質問だった。

「いや、何してたん?」


瞬時に自分のビールマンスピンの失敗が脳裏に甦り、耳が紅潮した。この場合の完璧な回答はおそらく「フットサルです」であることもわかっていた。しかし咄嗟にそんな嘘をつくことは出来ず、その代わりの防衛本能とでもいうべきものだろうか、手で口をやや隠すようにして少しせき込みながら言った。

「ひゃ…百人オホン一首です」


ドクター:「え?」


私は腹を括った。「百人一首大会です」


少しの間をおいて「あ…、そうなん」と言っただけで、驚くことにドクターはそれ以上聞いてこなかった。意外過ぎて言葉を失ったか、おそらくは私が日本でも有数の「肉離れを起こしてもおかしくないような体勢も辞さないレベルの、ちぇすとーーー!と札を跳ね上げるような超一流の百人一首プレイヤー」だと思ったのだと思う。



もはや補足するつもりもなかった。ここまで散々不名誉な出来事が続いている中、一日の終わり、最後くらいは一流アクロバット百人一首プレイヤーと思わせたままにしていたとしても懲役刑などにはならないはずだ。


帰り道は特別寒かった。いつもの倍かかるこの足では帰るまでの道のりが永遠のように感じられた。
それでも病院で得た自分自身のポジティブなイメージが影響したのか、はたとある事を思い出し電話を手に取り、すでに電話帳に入っているその番号にかけた。この電話の結果次第では物事は上向いてくるのかもしれない。そう思った。



バス会社のお忘れ物センターには、



もちろん手袋は届いていなかった。













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僕らのアダプタプラン

2018年01月10日 | ヒデ氏イラストブログ
任天堂のSwitchというゲーム機。

持ち運べる大きさで、つまりこの手軽さでこの精密なゲームは一体どういうことだ。

ひで氏です。

ソフトはSDカード大だ。自分が子供なら絶対的に無くす自信がある。

スーパーマリオのオデッセイというゲームは、3D仕様で、高所から飛び降りたりすれば胸が悪くなるほどのクオリティだ。
また憎いのが、途中で時折2Dになる場面があり、私ひで氏のような古いユーザーも心をくすぐられる作りとなっている。

私ひで氏の世代は、テレビゲームの進化の歴史と共に歩んでいるように思う。

任天堂のゲームウォッチから始まり、エポック社のカセットビジョン、ファミコンという風に幼いころはそれなりに充実したゲーム機環境に恵まれていた。





どう考えても業界のブレイクスルーとなったのはファミコンだと思うが、個人的にはディスクシステムに一票を投じたい。

ファミリーコンピュータディスクシステムは私ひで氏が小学校高学年ぐらいの時にリリースされた、ファミコンの拡張機器だ。本体の上にファミコンを置いて使うのだが、ソフトがフロッピーディスクのような形をしている。



最大の特徴は、一枚のディスクを持っていればなんと500円でゲームの「書き換え」ができることだった。
近所のジャスコのゲーム売り場に行くと専用の機械が置いてあり、そこで実際に500円で新しいゲームが手に入った時は「なんという時代が来たのだ。もうこれは完全な未来」と思ったものだ。この価格設定は現代でも充分お得感のある値段だと思う。



さて、そんなゲーム機の中でもやはり思い出深いのはファミコンにまつわる話だ。

これについては今も昔も子供は同じだが、当時私ひで氏も、ご多分に漏れず兄と一緒になって必死でゲームをやっていた。

やがて余りにも熱中する我々兄弟に業を煮やした母の堪忍袋の緒がついに切れ、ファミコンの心臓ともいえるACアダプターを没収されてしまったのだ。

こうなるともうどうしようもない。電源がなくてはゲームは使用不可能なのだ。

それからというもの、母が外出するときには常に「いってらっしゃい」と笑顔で送り出し、ドアが閉まると同時に空き巣のような目になった我々兄弟は家中を探し回った。タンスの中、キッチン棚、天井裏、ガレージ… 考えられる場所はすべて探したが見つからなかった。

私はまだ小学校3,4年だったので「もしかしたらアダプタを挿さなくても一瞬ぐらいつくのでは」と思いカセットをセットし、そうっとファミコンの電源スイッチを入れてみるも、微動だにしないテレビ画面をみて「だめか…」と真剣につぶやいた記憶がある。

そんな状態が数日続いたあと、ある日兄が驚くべき行動に出た。

いつもなら母の外出の後一緒に家中を探し回るのに、兄は外に出ていったのだ。

そして戻ってきたとき、手にはファミコンのアダプタを持っていたのだ。

「お、お兄ちゃん!それ…!」

私にとってその瞬間の兄は、火事場でもうだめかと思われた現場で、女性をお姫様抱っこで抱えながら煙の中より現れるヒーローのようだった。


我々は当時団地に住んでおり、周りには同世代の仲間が沢山いた。
兄は、そのうちの何人かに約束をとりつけ、ACアダプタを借りてきたのだ。

約束というのはつまり取引だ。その内容は、算数の宿題を代わりにやる、相手のACアダプタが隠されたときにはACアダプタを工面する、新しいゲームを買った暁には優先的にレンタルする、など実に多岐にわたっていた。

こうして我々兄弟は母の外出中、心ゆくまでファミコンをプレイすることができた。

しかし兄が最も恐ろしい側面を見せたのはここからだった。

母が帰って来る頃には借り物のACアダプタを秘密の場所に隠し、何事もなかったかのように母を迎え入れる。

そしてご飯を食べたり風呂に入るなどの普通の生活ルーチンを自然にこなしたあとで、決まって寝る前あたりにパジャマ姿で

「いつアダプタ出してくれるんよっ!もう1週間以上ゲームしてないよッ!」

と目に涙を浮かべながら憤慨して母に駄々をこねるのだ。

その行動に入る直前に私にもアイコンタクトを送ってくるので私も一緒になって「ないよッ!」と叫んだ。



兄としてもACアダプタのレンタル期間が無限ではなかっただろうから、「期日までに自分のアダプタを戻しておかなければならない」と、借金取りに追われる者の様な心境になっていたのだろうと思う。

母も最終的には我々が改心したと信じ本来のアダプタを出してきて兄に渡した。こちらに向き直った時の兄の表情がどんなだったか明確に記憶はしていないが、きっとオーメンのラストシーンのダミアンみたいな顔だったに違いない。


しかし最も戦慄したのは、


後年このエピソードを笑い話として兄に話してみると、


本人は「覚えていない」、といった時だ。







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宮殿を初めて見た夜

2018年01月07日 | ASB活動日誌
この年末年始において、この3連休はだいぶお得感がある。

ひで氏です。

せっかくなので、年末に起こったことなんかも振り返りながら今年はブログの更新頻度をあげたいと思う今日この頃。

年末というわけでもないのだが昨年12月のはじめ、久しぶりに神戸に行った。
友人の結婚式2次会に出席するためである。

私ひで氏は以前三宮に毎日通っていたことがあるのだが、その時は毎日奈良と往復していたのでとにかく早く街を飛び出して奈良に帰ることを最優先にしていたため、三宮という街を心から堪能する機会があまりなかったのだ。

今回、二次会会場がということで久しぶりに元町まで繰り出したわけだが、
電車を降りたときに駅が妙な雰囲気に包まれていた。

そして改札まで進んでいくとその理由がわかった。

そうか、神戸ルミナリエだ。しかも開催2日目ということで、まだまだ話題としてアツい時期だ。

そういえば三宮時代、毎年のようにこのルミナリエの時期は人が増えるのでむしろ避けるように帰っていた想い出がある。
なぜ人がこぞってルミナリエに集まってくるのか、全く理解できなかった。

ちょうど三宮と元町の間にあった会場では、私ひで氏にとっては懐かしい面々がそろっており、それだけでテンションがあがった上に、
この日ありがたくもお願いされていた1曲歌うというミッションも、会の早い段階でのパフォーマンスだったので、非常に安心感があった。

余談だが、結婚式や二次会で歌を歌うときはライブ以上に緊張する。依頼してくれた人の人生一度の晴れ舞台で歌うというのは予想以上に緊張するものだ。しかも会のクライマックスにパフォーマンスが設定されていることが多いので、それまで酒を控えたり食べ物も心の底からはリラックスして食べられないのだ。だからこの日のように早めの演奏はむしろありがたかった。


懐かしい仲間と大いに盛り上がり、そのままもう一軒ぐらい行きましょうという流れになったのだが、会場を出て談笑しながら歩いているうちに知らず知らずのうちに私ひで氏を含む5,6人の集団は気付けば神戸ルミナリエの順路に入っていたのである。

さすがオープン二日目、順路に入っているのに一向に何もない。
ただバリケードで仕切られた順路を、さっき店にいたときの続きのように笑って話しながら進んでいるだけだ。

この日は神戸大丸もいつもと違った。





そして十分ほど歩いただろうか、それは突如目の前に現れた。




ルミナリエを目的に来たのではなく、寒空の下、懐かしい仲間と昔話に花を咲かせている間に不意に現れた光景に息を呑んだ。

それが良かったのかもしれない、このイルミネーションが何の偏見もなしにストレートに自分に入ってきた感覚があった。

それはとても美しかった。

電飾が圧倒的でうわぁーということではない。むしろそれはそれまで私がルミナリエに持っていたイメージだった。

それは、電飾だからどうというものではなく、森を彷徨い歩いていたら突如闇に浮かびあがった厳かな宮殿のようだった。ここを歩いている全員がこの宮殿の晩餐会に招待された客人のようで、中に吸い込まれていくようにも見えた。不思議な感覚だった。

これがきっかけで後で調べてみたのだが、この神戸ルミナリエは95年のあの阪神大震災の慰霊の意を込めて始まったものだと知った。
それが継続され、25年近く経ついまも続いているのだ。

この時完全なるオフガードで目に飛び込んできたあの宮殿の裏にそういう想いが脈々と受け継がれてきていたのだと、恥ずかしながら今更知り、
またそのルミナリエの想いのコアな、そしてピュアな部分を、たまたま色々な条件が重なったことでなんの邪念もなくすっと受け取れたような気がする。


三宮にゆかりがあったのは6年。その間一度も見たことのなかった神戸ルミナリエを初めてこの目で見て、初めて理解できたような気がした年の瀬だった。








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新年明けましておめでとうございます!

2018年01月03日 | ASB活動日誌
明けましておめでとうございます。

本年もASBをよろしくお願いいたします。

ひで氏です。

正月は常にヨウジ氏と過ごす私ひで氏ですが、例によってこの年末年始も一緒にいた。
毎年言うが、恒例の何でもない事がとてもありがたく感じる。





例年地元の神社に行くのだが、年々参拝者の数が激増しているような気がして恐ろしい。
10年前は同じ時間帯に行ってもスカスカだったのが、この数年、神社の外まで行列が出来てまるで人気スポットのような長蛇の列になっているのだ。

その神社は鳥居を越えてから真っすぐに伸びる長い階段の上に参拝するところがあるのだが、階段の幅がちょうど大人が6人横一列に並べるぐらいの幅があり真ん中が手すりで分かれているので、一番下でガードマン風の人が「階段には3人、3人、6人一列になってお並び下さい」と、何度も何度も繰り返していて「この人は今日この台詞を一体通算何回言うのだろう」と思ってぞっとした。

そこに大人しく並んでいると、冷静に考えればまあそうだろうなと思うのだが、そんなにきっちり6人全員が同時に進まない。
ほとんどのグループが指示通り横並びになるも途中でだんだんとバラバラになり、これでは一緒に来た意味がないではないかというような不機嫌な顔になるのだが、その不満の矛先がこのガードマンに集中するのでそれも見ていていたたまれなかった。

印象的だったのは、途中に手水舎があるのだが、そこで当然ながら人それぞれ手を洗う度合いが違うんので一旦列が乱れる。
しかしそこには何の指導もないのに、再度列が自然と元通り組まれ、順番を抜かすような人も皆無だ。
こういうのを見ると日本とは本当にすごい国だなと思う。

そんな初詣も終え、帰り道すがらスーパーによるとヨウジ氏が、知らぬ間にプロ野球チップスを買っていた。
そして家に戻ってからその中に入っていたプロ野球カードを取り出し、自分は見ずに私ひで氏にカードを渡して来て、カードに書かれた情報だけで誰か当てる、というのだ。




恐ろしいことにすべてのカードにおいて2,3回のチャンスで選手を言い当ててくるのだ。
私は驚く気持を抑えできるだけ冷静にふるまった。ここで感情を露わにして盛り上がれば毎年恒例のイベントになりかねないからだ。

そんな我々も話しながら必ずどちらかの胸にあるのはヨウジ氏のギターだ。

ヨウジ氏が弾いていないときは私ひで氏が持っているし、もしくはその逆だ。
つまりどちらかが常にギターを弾きながら話をしている。

そうすると自然と最終的には音楽の話になりあれをやろうとかコレをやりたいとか、
こういうプレイはどうだとかいう話になる。

こうして10年以上、同じようなことをやっていることがもしかするとバンドを続けてこられた秘訣の一つなのかもしれない。


この日出たアイデアだけでも、すでにいろんなことを試したい。

2018年も、アランスミシーバンドをよろしくお願いします!





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2017年全ミッション完了!今年もありがとうございました!

2017年12月29日 | ライブレポート
ハードロックカフェ大阪でのファイナルミッションを終えて、今年のライブを納めたアランスミシーバンド。

ひで氏です。

ハードロックカフェ大阪は本当に雰囲気が素晴らしい。

本町にあるというのもいい。

御堂筋は広々しているし、周りも重厚な建物が軒を連ねている。そしてハードロックカフェ大阪自体も元銀行だ。
内装には元銀行だった名残が至るところに残されている。

クリスマスにこんな特殊な環境でライブが出来て、それが自分たちのライブ納め。
客席には居合わせた多国籍な客層、そして普段から応援してくれているASBファンの皆さん。

恵まれたバンドだと思う。

ふたつのステージの間にお客さんが言うには、

「これが年末の風物詩になっているからまだかまだかとチェックしていた」

といってくれる人が沢山いた。

遠くから来てくれているお客さんもいた。

本当にありがたいし、それだけで来年も頑張れると思う。

そんなわけでステージに上がった我々ASB、カバーも交えての全14曲でした。
せっかくのクリスマスなので、ということで演奏した The Driving WaltzからのHappy Xmas。
会場がなんかこう、一気にグッとひとつになった瞬間だった。


Photography: Hidehiro Shirakashi

カバー曲としてはEaglesの Life in the Fast Laneをやったのだが、この曲はTime After TimeやGet Back同様、
一回限りの特別カバー的なものではなく今後も重要なASBのレパートリーとなって生きていく予感がするほど、
自分たちにとってしっくりくる曲だと思う。

最後はまた面白そうな話を持ってきてくれたイベンター、V氏とフレディとマイケルの顔出しパネルで。


今年を締めくくるのにふさわしいライブとなりました。


皆さん、2017年もアランスミシーバンドを応援いただきありがとうございました。
来年は2月16日金にハウリンバーでのライブが決まっています。

よいお年を!



2017年12月25日(月)Hard Rock Cafe Osaka - SETLIST

1st Stage
1 Collegetown Bagels
2 Looking At You
3 Good Advice
4 Time After Time
5 A Night to Remember
6 Another Round
7 The Driving Waltz (mashed up with "Happy X'mas - War is Over)

2nd Stage
1 Color of Mine
2 青春マギー
3 蛍
4 This Could be the Last Time
5 Life in the Fast Lane
6 Jukebox

Encore
7 Get Back


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