The Alan Smithy Band

The band is on a mission.

ASB Hide's Jukebox - C: Call Me Papa

2020年06月14日 | ヒデ氏イラストブログ
今のところなんとか順調にアップすることができております。

ひで氏です。

Jukebox、3回目の今回はドノヴァン・フランケンレイターの「Call Me Papa」。

はじめてドノヴァン・フランケンレイター(Donovan Frankenreiter)を聞いたのは車の中だった。確かハワイかアメリカ本土のどちらかで運転しながら聴いていたラジオでかかったのをきっかけに気になって調べたはずだ。辿り着いたのは彼のセルフタイトルのファーストアルバムだ。リリースは2004年で、外国で聞いたことを考えて逆算すると計算が合わないので、知ったのはその数年後ではないかと思う。

ひで氏です。

当時はJack Johnsonがサーフミュージックの第一人者としてすでに台頭していた。この二人はよく比較もされるが、私ひで氏の中では全く異質な二人だ。

なんと言ってもドノヴァンの魅力は浮遊感、その一言に尽きる。
このふわふわした感じ。カリフォルニア出身のフリーサーファーであり、優しい父。

今回紹介する曲「Call Me Papa」はそんな彼の持つ空気感が全て現れている名曲だと思う。幼い我が子に対して彼はこう歌う。

You can call me papa
I call you baby
But don’t forget your mama’s my baby, too.

ぼくをパパと呼んでいいよ
ぼくも君をベイビーと呼ぶよ
でも忘れないで 君のママもぼくのベイビーなんだ


…優しい。詞の中に射している日差しがあたたかい。
そして曲を聴いてもらえればわかるが浮遊感が半端ない。

私ひで氏は彼のライブを一度京都に観に行ったことがある。
京都メトロという小箱で、非常にアットホームなライブだった。オープニングアクトを務めていたバンドも中の良い友達という感じだった。

覚えているのはライブの最後の曲がちょっとしたコールアンドレスポンス的な曲で、会場が盛り上がってきたときに彼が「誰かステージで一緒に歌ってくれ!」と客席に向かって言った。

こういうとき日本は本当に奥ゆかしい。特に前のほうの人たちは完全に遠慮して誰も手を上げないのだ。

私ひで氏はこの曲を完璧に歌う自信があった。

自分がいたのは最後列に近いところだ。もう必死の形相でアピールする。


しかしドノヴァンの目には入らなかったようだ。
ヤバいやつがいる、と敬遠されたのかもしれない。

結局は前のほうの人が無理やりステージに上げられてしまい、恥ずかしがって何も歌わないという状況になってしまったのだが、
彼は決して「なんやそれ」みたいな感じにせず、OK OKと笑ったり…その辺の対処も愛があふれていてよかった。

そしてなんといっても驚いたのはドノヴァン自身がライブ後、物販に立ってCDを販売していた。思わずそこに行き少し言葉を交わしたが、本当に気さくな人で、一緒に写真まで撮ってくれた。

彼の歌声や歌い方にも様々な人を惹きつける要素があると思うが、その辺はぜひ動画をご覧あれ。
あと彼の名前についての秘話(?)も収録しております。

Jukebox、Cは Donavon FrankenreiterのCall Me Papa!



そしてぜひ本家もご覧ください。


エレクトロニクス下克上

2020年02月16日 | ヒデ氏イラストブログ
皆さんの周りにもきっといるだろうと思う。
学校や職場などで、テクノロジーの進化に無頓着な人が。

ひで氏です。

例としてわかりやすいのは、ガラケーユーザーだ。今時分、ガラケーを使っているとまるでネアンデルタール人のような扱いを受ける。「今日もガラケーですかぁ〜」というような挨拶から「あ、この人まだガラケーやから」「◯◯さんは逆にガラケー使っていて欲しい」などと天然記念物を見るような言い方をされるというのはどこのコミュニティでも見かける光景だ。

ただ、ことテクノロジーの世界に関しては、こう言う状況が一夜にして一発逆転することがよくある。ガラケーだった人がついに機種変更に踏み切った時、昨日までの折りたたみケータイはいきなり最新のスマートフォンになる。からかったり揶揄していた連中のすべての機種を「飛び級」して、突如としてコミュニティ内の最新ITガジェットランキング1位に躍り出るのだ。

これを私ひで氏は「エレクトロニクス下克上」と呼んでいる。

さて、以前のプロジェクタ話の続き。

先日のプロジェクター「シネザ」の臨終直前まで、私ひで氏のホームシアターというのはDVDプレーヤから引っ張ってきた専用のケーブルをシネザに接続し、同じくDVDプレーヤからAVアンプにつなげたサウンドをスピーカーから出して映画を見ていた。

しかし時を同じくして同型プロジェクターを持っていた友人Tのシネザもこの度昇天し、Tのその後の動向を注意深く見張っていた。

Tは自分が使うものとなるとかなりの情報収集をして調べ上げるタイプだ。

そうしてTが導入した新システムを参考にして私ひで氏もこの度ホームシアターの環境をほぼ一新した。

肝心のプロジェクター、シネザの後継に何を選んだか。20年前はシネザだけに搭載されていたが、今やほぼ常識となった横向き補正を標準装備しており、いろんなビジネスの現場でもその耐久性や品質を見て経験的にも良いだろうと思っていたEPSONのプロジェクターをチョイス。Tが選んでいたのもEPSONだった影響が大きい。


ちなみにEPSON社はプロジェクターのような「うちの環境でちゃんとうまく距離を取れて想定通りにできるかわからない」という不安を取り除くため、レンタルして試してから気に入ったら購入、というシステムをとっている。Tは今回これも利用していた。

Tから聞いていたが、驚いたのはこのEPSONのプロジェクターにAmazonのFire Stick TVを挿すとそれだけでスクリーンにコンテンツが表示されることだ。この時点でテレビやDVDプレーヤとの有線接続から解放される。一昔前なら考えられないことだ。

そして…

細かいことだが、Amazon Fire Stick TVは電源供給が必要だ。これだけスマートな形なのに、本体に線を接続して電源を取らないといけないと言うのは製品のコンセプト的に非常に不細工だし、いかにもテレビに挿した瞬間使えますという宣伝の仕方にも問題があるとすら私は思う。

そこで、ダメ元で家にあった一番短いケーブルを使ってプロジェクターのUSB端子とつないでみたところ、ふつうに電源供給された。つまりこれで外から引っ張ってくる線はプロジェクターの電源ケーブルだけ、ということになる。


新生ホームシアターは考えられないぐらいスッキリと生まれ変わった。

オンラインで観る映画に関しては、映像はこれで完璧に解決した。
これが20年間の進化か…としみじみ実感する。

しかし一番の驚きはこれではなかった。

シネザ時代は、外がまだ明るいうちにスクリーンで映画を見ようと思えば文字通り部屋を真っ暗にして雨戸まで閉めないと見れたものではなかった。しかし今回のEPSONの光量といったらどうだ…電気全開でもはっきりと見える。


ちなみにプロジェクターの価格自体も当時のシネザの3分の1ぐらいだ。

まさにエレクトロニクス下克上。昨日まで20年前の規格だったシアター環境が、最新のほぼワイヤレス環境に生まれ変わった。

こうして「ふーん」と思っているあなたも、他人事ではない。ホームシアター云々に関わらず、これはすべてのものに当てはまる話だ。

その昔、NHK「みんなのうた」で「コンピューターおばあちゃん」という坂本龍一プロデュースの曲があった。おばあちゃんが宇宙船をオペレートして世界中を旅するというようなコズミックなアニメーションだ。あれを彷彿とさせる状況が起こりつつある。


エレクトロニクス下克上は、今日も世界のあちこちで起こっている。

昨日は着物で老犬を散歩させていたあなたの家の隣のおばあちゃんが、明日超絶ガジェットばあさんになっているかもしれない。


シネザ兄弟は永遠に

2020年01月31日 | ヒデ氏イラストブログ
Sonyのシネザというプロジェクターをご存知だろうか。

発売は2001年。ざっと20年前だ。

ひで氏です。

ホームシアターという言葉がまだまだ一部のオーディオマニアや映画マニアの間だけでとどまっていた時代に、一般ユーザー向けに発売されたモデル、という感じの売り出し方だったように思う。






当時プロジェクターといえば天井吊り下げやスクリーンの真正面から投影するタイプしかなかったので、普通の部屋でホームシアターを実現しようとするととにかく投影距離が足りないという問題があった。

そんな時発売されたこのシネザの最大の売りは、「サイドショット」という機能だ。
まっすぐ下がるのは無理、という部屋でも、斜め後ろにならかなり距離を取れる ーーー そんな環境の人は多い。しかしプロジェクターを斜めに置くと、画面は当然にょーんと横に伸びてしまう。シネザは当時それを補正できる唯一のプロジェクターだった。

これは画期的だった。

わたしひで氏の当時の住まいも、まさにそんな条件だったため、思い切ってシネザを購入、サイドショットを使ってそれはもうかなりの数の映画やドラマを、これまた同じく思い切って買ったスクリーンで鑑賞したものだ。

それから10年ほどして住まいも変わり、スクリーンはそのまま移植した。そして前はむき出しで配置していた5.1chサラウンド用のスピーカーは、思い切って天井に埋め込んだ。そんな新しい環境でもシネザは活躍し続けた。

約20 年の間に、これまで故障は1度(保証期間内)、プロジェクターの心臓と言えるランプ交換も1度。非常に優秀なパフォーマンスと言える。

そんなシネザが、昨年の夏、映画を投影中にふっと画面が真っ暗になるという現象を頻発するようになった。過去にもこういうことがあったが、今回は様子が違った。なんせ、触ると「あっつ!」というぐらい発熱しているのだ。

いままでと不具合の種類が違うことが直感的にわかった。

あーちょっともう無理です、という声が聞こえたような気がした。

くだらない映画も、笑えるのも恐ろしいのも、最高に泣ける映画も大画面に映しつづけてくれたシネザ。故障に対する怒りなどあるはずもなく、ただ「おつかれさん」という感謝の気持ちのみがあった。






そんなことが起きた同じ年の夏頃、飛騨古川に住む友人である旅人のYから電話があった。

Yには洋楽を教わった。映画を共有することはあまりなかったような気がするが、ふと思い出した。そういえば、シネザが発売されたとき、これはすごいぞということで二人とも購入したのだ。Yも全く同じ時にシネザを買ったのだった。

Yの電話の内容は驚くべきものだった。

「あのソニーのプロジェクタあったやろ、シネザ。ついに壊れたわ。」

なんと…双子のシネザ兄弟とも言うべき同時期に生まれた二人は、ほぼ時を同じくして息を引き取ったのだ。

お互いにこれからの映画鑑賞をどうするという話になり、すでにYは動き始めていた。そして我々は、プロジェクター=シネザという自分たちの中の20年近くに渡るホームシアター界の常識を根底から破壊されることになったのだ…


つづくような話じゃなかったのにつづく!







フィッシュトーカーおこぜ

2019年12月04日 | ヒデ氏イラストブログ
スーパーで食べ物を物色していたときのことだ。

ひで氏です。

魚売り場で威勢のいい声が聞こえている。

「さあー今日はぶり!ぶり!活きのいいぶりが今日は大変、大変おもとめやすくなってまーーすぅ!ぶり!ぶり!ぶり!」

スーパー内ではなんらかのテーマソングが鳴っている。そこにこの声が混じって売り場は大変な活気が出る。

しかし、これは録音されたものが再生されている。

誰もが見たことがあると思うが、この手の録音されたセールストークを延々と機械で流すというのは今に始まった商法ではない。凝ったものになると再生機器にセンサーが付いていて無人の時は黙りこくっているのに、自分が横を通った瞬間突如「おっかいどくッ!!」などと大音量で流れて心筋梗塞を起こしそうになったことがある。

同じことを言うだけなら、生身の人間を使って何度も言わせるより機械に一度録音してエンドレス再生すれば一人分の手が空く、ということだろう。

録音された声は疲れを知らない。

常に同じテンションで同じメッセージを発し続ける。だからこそ、録音するときの声の主のテンションは相当なエネルギーだ。当たり前といえば当たり前だがものすごいハイテンションのものが多い。

逆に、「えーと…あー、ぶり。ぶり…やったかな。まぁどっちでもいいか…みんなおんなじようなもんやわ…はーしんど」

みたいなメッセージが延々流れていたらそれはそれですごい。逆に買いたくなる。

とにかく思ったのは「これをレコーディングするときの状況というのはかなりすごい光景だろう」ということだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーー
都内某所。

小さくはあるが技術に定評のあるレコーディングスタジオに向かう男がいた。

虎魚 海(おこぜ・かい)。42歳。

株式会社トーキングフィッシュ 代表取締役社長。
スーパーの魚売場で流れるセールストークを専門に録音・販売する、今世界が注目する「フィッシュトーク」の第一人者だ。フィッシュトークが違うだけで、その魚売り場の売り上げは激変する。

虎魚が手がける売場は、1日で億単位を稼ぐという。

レコーディングスタジオに入っても、最初の30分は控え室で気持ちを高めるのが虎魚のやり方だ。

「虎魚さん、ご準備できましたらお願いしますー」

スタッフの声がかかり、すっと立ち上がった虎魚はブースへと向かう。

ブースの入り口にはひざまづいて待機しているスタッフ。横には青い紐がついた、白の発泡スチロールの箱。そう、鮮魚を入れるあれだ。スタッフがおもむろに箱を開くと、溢れんばかりの氷に包まれたそいつが顔を覗かせる。

今回の依頼魚、ぶりだ。

尾ひれをしっかりとつかんだ虎魚はブースへ入る。
そしてヘッドフォンをつけ、深呼吸をする。

その空間にいるのはマイクと虎魚とぶりだけだ。コンデンサーマイクと対峙しながら、虎魚が脳内に思い描いているのはカートを押しながら夕食のおかずを物色する主婦の集団と、店内所構わず流れる音楽や競合の生鮮食品店の雄叫びだ。

溶け込みすぎてはいけない。
目立ちすぎてもいけない。

瞬間、目を見開いた虎魚の口から言葉が溢れ出た。






「さぁーーーーーそこの奥さーん!今日はぶりがお買い得!ぶり!ぶり!今夜はぶりできまり!ぶりぶりぶりぶり!たーーいへんお買い得に…」

それはしばらく続いたが、あっけないぐらいすぐに終わった。

ブースから出てくる虎魚。出てくるということは今のがOKテイクであり、すべて終わったということに他ならない。

虎魚に聞いてみた。

「主婦も闘い。時間と財布との。魚コーナーの前を主婦が通り過ぎる時間知ってます?平均18秒。そこで選んでもらわんとあかんのです。僕はその日の魚の目を見て言うこと決めてます。魚がこれ言え、って教えてくれる。主婦の時間を、魚の命をもらって仕事させてもらってる。尊い仕事です。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

きっとこんなドラマがあるだろうことはたやすく想像できる。

そのときふと気付いたのだ。まさにスーパーの魚屋さんで働いた経験のある友人の存在を。

思い切って久しぶりにコンタクトしてみた。ご無沙汰である、実は聞きたいことがある、スーパーの魚屋で鳴っている録音について、…と事情を説明した。

回答を待ちながら、
私は業界の一番深いところに足を踏み入れてしまったのではないか、もう引き返せないのではないかと不安を感じ始めていた。

すぐに回答がきた。

「他は知らんけどウチはバイトが朝イチで調理場でテレビ見ながら吹き込んでたでー」





Grinder Manがくる - 後編

2019年11月28日 | ヒデ氏イラストブログ

前編のあらすじ:
毎年一回の流しそうめん用竹切り出し作業のため今年も地元のお寺を訪れたひで氏。ファン付き作業着+蚊帳付き帽子という完全防備スタイルでグラインダー片手に半分に切った竹の節をとる作業中、どうしても奥まで取りきれない部分はグラインダーの安全カバーを外して対応。作業は順調に進んでいたかに思えた。

ここでもう一度私ひで氏のファッションを確認しておこう。





上着は風量調整可能な電動ファン付き作業着。蚊が好む暗い色を避けた上品なグレーだ。ズボンはゆったりとしたサイズで、足元はスネまで止めあげた地下足袋で軽快に動き回ることができる。きわめつけは晩夏の竹藪に大量に発生した蚊から身を守るための蚊帳付き帽子。蚊にかまれて最も不愉快な顔、そして首元を守ってくれる蚊帳はご丁寧に絞るための紐がついている。

そう、絞るための紐がついているのだ。

このイラストにもよく見るとこの絞りの紐が確認できる。





そして作業も佳境を迎えたその時。

それは一瞬の出来事だった。

突然ガクンと何者かに思い切り首元を引っ張られたような感覚のあと、
グラインダーが自分の手をものすごい勢いで離れ、
私ひで氏の顔をめがけて駆け登ってきたのだ。

そう、つまりあの紐がグラインダーに巻き込まれ、競り上がってきたのだ。普通は安全装置となる黒いガードがついているのでたとえ紐のようなものを巻き込んだとしても必ず止まる構造だが、この安全装置を「竹が綺麗に削げないから」という理由で私は外していたのだ。

顔まで来たグラインダーの轟音、そして黒い網を完全に巻き込んで暴れまくるそれはまさに獣のようだった。

うわあああとかたすけてーとか言える間はまだいい。
人間というのは本当に慌てた時は無言になる。

口元めがけて襲いかかってきたグラインダーを外そうと無言でもがく私ひで氏。
しかしグラインダーは全く無慈悲に暴れ続ける。先が丸くお尻が細いのはなんとなくツチノコみたいなイメージでなおさら気持ち悪い。もちろんこの場合のツチノコというのはドラえもんに出てくるアレだ。





異変に気付いたY住職が駆け寄ってきた。
彼もまた無言だった。とにかくツチノコを引き離そうとする私の手を加勢するような動きだ。

私も闇雲に手を動かしていたのではない。
グラインダーの電源スイッチは持ち手の一番後ろにある。つまりツチノコの尻尾の先ということだ。

暴れまくるそれのお尻の一角を手探りで探していた私の指がやっと電源スイッチにかかり、パチンと払った。ツチノコは急速に勢いを失い、シュウウウウンと音を立てながら絶命した。

ここでやっとY住職の口から言葉が出た。

「大丈夫ですか、ひでさん」

「う…うん、大丈夫。あーーびっくりした」

そういいながらゆっくりとグラインダーに絡まった黒い網を解いた。

黒くても、そこに血がついているのがわかった。

暴れている時は夢中で全くわからなかったが、唇が辛子明太子の3倍ぐらいに膨れ上がったようにジンジンと痛む。





Y住職が私の顔を覗き込んだ。顔は深刻だ。

私は思わず聞いた。

「え…どうなってる」

Y住職は「ひでさん、大丈夫です、大丈夫です」としきりに言っている。しかし大丈夫という割に、視線は私の唇に釘付けである。

これは戦争映画でよくある、爆撃を受けて手足も吹っ飛んだ兵士を抱きかかえた救護班が「大丈夫だ、すぐ治る。たいした傷じゃあない。」と言い聞かせて死んでいくあの感じのシーンと同じではないのか、と思った。

信じられないぐらい出血しているのではないか。
もしかすると自分の唇の一部はすでに脱落して歯ぐきが見えているのではないのか。



そうっと触ってみた。

果たしてそこにはちゃんと自分の唇があった。
スマホをインカメラにして見ても、やはりちゃんと口があった。
そして網にはたしかに血が付いていたが、驚くほど出血は少なかった。

全てはグラインダーの「刃」に救われたのだ。
相手が竹ということで、今回つけていた刃は「紙ヤスリ」タイプの刃だった。




もしこれがダイヤモンドカッターだったら…
考えただけで鳥肌が立つ。

これはGrinder Man の制裁ではなかろうか。
安全装置を自らの浅はかな判断で外し、奢りと過信にまみれた愚かな私ひで氏を戒めるために起こしたアクシデントなのかもしれない。刃がヤスリだったのはGrinder Manのせめてもの情けか。

そして何より、Grinder Man が削り教えてくれたものはその辺のものだけではないのだ。

それを証拠に、安全をないがしろにしてまで造形美だのなんだのと言ってとがっていた私ひで氏の心は、


この事件を境に少し角が取れ丸くなった。


Grinder Man がくる - 前編

2019年11月25日 | ヒデ氏イラストブログ
あの日の事を思い出すと今でも頬と唇が少しだけ熱を帯びる。

それは今年の暑い、暑い夏の日だった。

ひで氏です。

私が6年ほど前から取り組んでいる地元奈良でのとあるプログラムで、毎年恒例の流しそうめんをするために竹の切り出し作業をすることになっていた。

地元の千年以上続くお寺で行うこの一連のプログラムは、常に「自前で用意できるものは自前で」をモットーにやっているので、流しそうめんのレールとなる竹は寺の裏山に自生している竹を使う。

この作業をするときは決まって異常に暑く、そして裏山という立地もあり尋常でない量の蚊に襲われる。

これまでは暑さに負けてTシャツとジーンズという軽装で作業していたので、甘んじて蚊の吸血を認めてきた。

しかし今年は何とか対策をしたい --- 作業当日寺に行くと、きっと同じ想いだったのだろう、住職のY氏は私ひで氏が小躍りするほど嬉しくなるような装備を用意してくれていた。




そう、それは「ファン付き作業着」そして「地下足袋」。そして上の写真にはないがこれらに加え「蚊帳付き帽子」の三点セットだ。



これで猛烈な暑さをしのぎつつ、全身長袖+蚊帳もついているので顔も蚊に襲われることもない。そして腰のファンは涼しい風を絶え間なく内側に送り続けてくれる。

おまけに足元は履いてみてわかる、おどろきの動きやすさの地下足袋である。現場で作業する人が最終この手の恰好に落ち着くことに心底納得した。

万全の体制となった我々の作業はこうだ。

1. めぼしい竹を見つけチェーンソーで切り出す
2. 切り出した竹を縦にチェーンソーで切る
3. レール状にカットした竹の「節」を、グラインダーで削り取る

もちろん手伝いはするが、チェーンソーを使う1.2の作業は慣れていないと危険なのでY住職に任せ、私ひで氏は主に3の作業を毎回担当する。ここで使う流しそうめんのレールは非常に長いので、節を取る作業も大変な根気と体力がいる作業だ。

ここで使う道具がグラインダーという道具だ。



私もこの作業に関わるまでこの道具を見たことはあってもなんと呼ぶのかは知らなかった、そんな道具である。先の丸い部分はいわゆる「刃」で、ヤスリタイプのものからタイルなどを切り裂くダイヤモンドカッターと呼ばれるものまで多種多様な刃が存在する。grindというのはそもそも「挽く」という意味だから、とにかくありとあらゆるものを細かくして削る、といった道具だ。

蚊帳付き帽子を目深にかぶり、ブオーと音を鳴らしながらファンでぱんぱんに膨らんだジャケットを着て、右手にグラインダーを持つ自分自身の姿ははたから見るとこんな感じだ。






かなりまずい感じだ。

だがホラー映画の主人公みたいでもある。
いっそチェーンソーを持っている方がホラー感が増して良いと思うのだが、持っているのがグラインダーというのが悪事が細かそうで新しい。

この設定が万一ブレイクしてgrinder manというタイトルで映画化が決まった暁には私ひで氏が演じることになるであろう主人公はいうまでもなくしがない喫茶店のマスターだ。そこで毎日豆を挽く。しかし彼は豆以外のものも挽きまくるのだ。劇場公開時のポスターはきっとこんな感じになるだろう。






ということでグラインダーを片手に早速切り出して半分に切った竹の節を削っていく。つまり、グラインドしていく。

今回は竹の節を削り取るので、先につける刃は金属の刃ではなくヤスリタイプのものだ。それでも、ひとたび竹の節に当てれば面白いように削れていく。

経験者ならば分かると思うがやりだすと妙に造形欲をくすぐられるし、やるなら完璧に削り取りたくなってしまう。

だが、ご想像の通り竹というのは丸い。その円形のアールに沿って綺麗に節を削り取らないと、いざそうめんを流した時にひっかかってしまうのでできるだけ緻密に取りたいのだが、写真でもお分かりいただけるようにグラインダーには刃の外側に巻き込み防止の鉄のガードがついており、これが細かな作業をするのにどうしても邪魔になってくる。

実はこの安全ガードは外すことができる。
これを取ることでまさに理想の角度で節をグラインドすることができるのだ。

だが、もちろん自ら安全装置を外すのだから、100%自己責任だ。
良い子は絶対に真似をしてはならない。

1年に一回の作業なのでいつもそのことを忘れ、作業をし始めてから気づく。「ああ、そうだ。これを外さないと細かいところまでできないのだ。

思い出した私ひで氏はY住職に一声かけた。

「そういえばこれ取らないと奥まで削れへんのよなー、取るわ、これ

いつもおだやかなY住職もこの辺りの事情はよくわかっているので一言こう返してくれた。

「オッケーです、ひでさん、気をつけてくださいね。」

ちなみにY住職もほぼ同じ格好をしているのでお互いの顔は網に隠れてほとんど見えない。

人類が滅亡した後の地球でガスマスクをつけているたった二人の生き残りのような風情で互いに親指を立てた。

そしてお互いに黙々と作業を続けること1時間。






悲劇はこの後起きた。


後編へ続く。



劇場型耳鼻科のカオス

2019年11月17日 | ヒデ氏イラストブログ
少し前のことになるが、喉の調子が著しくおかしかった。

ひで氏です。

風邪でも引いていれば納得のいく話なのだが、風邪をひいている自覚はないのにやたらと喉にひっかかるものがあり、
花粉症を患ったこともない私は喉のことなので心配になり耳鼻科の門をくぐった。

一応診察券を持っていたので出したところ「診察券があまりにも古いので新しいのに交換しときますね~」と言われた。聞けば最後の診察は12年前だった。「あまりにも」と言われるとなんか悪いことをしたような気分になったが、考えてみれば12年も耳鼻咽喉を患っていないというのはむしろ誇らしいことなんじゃあないのか、と心の中で反論した。

大きな待合室で待っていると、ほどなくして名前を呼ばれた。

「かしもとさーん、いったん中へどうぞー」

こういう呼ばれ方をしたときはだいたい直接診察室ではなく、ワンクッション手前でもう一回待つ、というパターンだ。ドアを開けて入ると、目の前に小さなソファがあり、私の前に呼ばれた男性が座っていた。予想通りの「プチ待合所」だと思った。この男性の前に呼ばれていたのはたしか女性だが、その彼女は今まさに診察を受けているのだろう。

男性の隣に座ろうとしたのだが、この男性、自分のリュックを膝の上に置いて胸に抱きかかえながら苦悶の表情を浮かべている。真っ直ぐに前を見つめているので、彼の視線の先に目をやると、

そこにはなんと喉に棒を突っ込まれて悶え苦しむ女性の姿があったのだ。

なんとこの耳鼻科は、診察室とプチ待合スペースの間にドアはおろか、カーテンすらないのだ。プチ待合のソファは診察スペースに向けて置かれているので、そこに座ったら嫌でも目の前で行われている赤の他人のリアル診察を見ることになるのだ。

「劇場型耳鼻科」

そんな言葉が頭に浮かんだ。

目の前の患者は真剣そのものだ。聞くまいと思っても聞いてしまう。しかも同じ耳鼻の悩みを持った仲間同士、ああ、わかる。ホントそう。などとうなずきながら聴く。

これは、むしろ新しい。

私のような「ほぼ初診」か、全くの初診でなければこのシステムは全員が承知して来院しているということだから、よほど先生の腕が確かだから致し方なしと思っているか、この状況をエンターテイメントととらえているかのどちらかなのだろう。ちなみに耳鼻咽喉科は英語で通常ENTと呼ばれる。Ear, Nose, Throatの頭文字だ。しかしここのENTは耳鼻科ではなくエンターテイメント…悪い冗談のようだ。と思った。

人の診察を見るのもどうかと思うが、自分の時に後続の数人に見られるのはちょっと…

そんな不安を感じながら待っていると、あっという間に名前を呼ばれた。
仕方ない。私は立ち上がってすぐ前の診察台に座った。ソファには後続の2名の男性がこちらを向いて座っている。

先程待っている時にわかったのだが、私の記憶の中のおじいさん先生は女医さんにかわっていた。おそらく引退して娘さんに代替わり、といったところだろうか。

「今日はどうしました?」

「あ、ちょっと喉の調子が悪くて。アレルギーかなと思うくらいの感じで…」

こうした会話も逐一ギャラリーに聞かれていると思うと、単純に嫌というより何かこう、面白いことを言わないといけないような気になる。

「ちょっと喉見せてもらいましょうか。」

そう言ってドクターは私ひで氏の喉を見るべく棒を入れて覗き込んで、医者が患者の喉を見るときのお決まりの台詞を言った。

「はい、はーって言うてくださいー」

こういう時、人間というのは基本「聞いた音と同じ高さの音」を出そうとするものだ。
反射的に先生の「はー」に合わせて同じ音で「はー」を返した瞬間、

…高い…!

と思った。




女性のドクターということもあるかもしれないが、ものすごく高い。いま不意を突かれてオウム返しをしたが、ギリギリの高さだった。


次同じ高さで来られたら危ない。


先生はそのまま覗き込みながらまた言った。

「うーん。ちょっと赤いかなぁ。はい、はーーー」

…き、来た!

自分の出しやすいもっと低い音で返せば良いだけの話ではないか。そんなあなたの声が聞こえて来そうだ。

密室の中での診察なら私もそうしただろう。

お忘れだろうか。

ここは劇場型耳鼻咽喉科なのだ。

私もミュージシャンの端くれだ。ここで妥協して、オーディエンスの二人に

「うわぁーこの人全然声出てないわ」

「あーぁ 音ちゃうわ」

などと思われたくない。

「は…」

先生の音についていくんだ…寸分違わぬ高さまで。チューナーのような正確さで。

私の頭にチューナーの緑のインジケーターが見えた。迷って半音下がったような音を出すなら思い切り行った方がいい。

いまだ…!

「はーーー!ぐッ ごほあ!ぐぉッほお!」

思い切り咳き込んだ。


先生は素早く身を引き、棒を何かで拭きながらも全く動じることなく鋭い目を向けてくる。

きっと横の二人は今の私の大失態を見て今頃インスタのストーリーに

「前の人全然声出てなくてワロタ」などとキャプションをつけてアップしているにちがいない…

「はい、かしもとさん、はー。」

…地獄だ…ここは劇場なんかじゃあない。地獄だ!

は、はーーーーっ!はーーー!


そこから先はよく覚えていない。



あ、ちなみに喉は異常なしでした。


終わらないランチ

2019年01月03日 | ヒデ氏イラストブログ
説明するのが大変難しいが、記憶を手繰り寄せながらトライしてみようと思う。

ひで氏です。

突然の、そしてものすごく久しぶりのお誘いだったように思う。

「ひで君、さぁ、乗って。」

言われるがままに車の助手席に乗った。それはとても聞き覚えのある男性の声だ。誰であったか…すぐには思い出せない。
顔を見てもどうも映像がぼやけてしまって、はっきりと見えないのだ。

少しがなったようなドスの聞いた声ともいえるこの響きは、そうだ、昔からよく知っている友達のお父さん、C氏の声だ。
そう言えば一時期朝の電車でよく一緒になる事があった。だからこの声にはとても馴染みがあるのだ。懐かしい。そう、彼は私のことをいつも「ひで君」と呼ぶ。

C氏は昔から話し出すと止まらない。今も横で延々と何かを伝えてくれているのだが、全く頭に入ってこない。ただ、この行動はもともと予定されていた約束のようで、私ひで氏は乗るべくしてこの車に乗ってどこかに向かっているのだ。

「ええっと…」

C氏はそういいながら身を前にかがめフロントガラス越しにしきりに標識を見る。

そして何かに納得したかと思うと無言で、とても狭いゲートに向かって迷いなくハンドルを切った。

それはどう見ても地下鉄への入り口のように見えた。

「え!え!え!」

私は思わず叫んだ。見間違えたのかもしれないが、どう考えても車が通れるギリギリの幅だし、そのままのスピードで突っ込んでいることが恐ろしいのだが、それより何よりも異常な点がある。

それは階段なのだ。

だめだ、これは完全にダメなやつだ!私は声を失う。



下から上がってくる通行人が見えた。「ああ!だめだ!」と思うが
その人も体をやや半身にして一瞬にして視界の後方へ消えた。驚いた様子はなかった。

ほぼドリフト走行でたどり着いたのは地下の踊り場のようなところだった。
とても広い。

冷静に車を停めたC氏が車を降りたので、私もつられて降りた。

目の前には大きなエレベータがある。

そのまま車で入るタイプのエレベータなのではないかと思ったが、そうではないようだ。
シルバーの分厚い扉のエレベータが我々を待っていたかのように開き、当たり前のように進むC氏に黙ってついていく。

中に入ると扉は閉まり、行先のボタンを押すでもなく動き出す。普通は上下の感覚で自然とどちらに動いているのかわかるようなものだが、これは動いているのかというぐらい静止している感が強く動いているのかどうか分からない。

が、操作盤らしきところにある見たこともないデジタル記号の表示が目まぐるしく変わっているので、どっちかには動いているのだと思う。

急に違和感を覚えた。C氏がとても怒っているのだ。

怒鳴るわけでもなく、しかし厳しく何かを言っている。怒っているというよりも、叱責しているという感じだ。

その瞬間になって、このエレベーターに別の人が乗っていることに初めて気づいた。我々以外に二人いる。
しかも女性だ。

その女性の一人が怒られている。女性はうつむいてうなずき、しくしくと泣いている。

私の知っているC氏はとても厳しい人だ。こういう場面も充分想像できるのだが、それにしても唐突過ぎて何が起きているのか理解できなかった。
そしてこの叱責が一段落したかと思うと、

「こちら、ひで君」

と紹介された。

「え、このタイミングで?」と率直に思った。

人間が最も辛く感じるのは人前で大きく叱責されることだという。たった今それが行なわれた目の前で、怒られた本人がその一部始終をみていた人に改めて紹介されるというのは、双方とも予想していなかったはずだ。

「あ、はじめまして…」

というとその女性は深く深く私にお辞儀をした。逆になんかすみません、と言おうとしたが余計場の空気が悪くなるような気がしてやめた。
もう一人の女性は黙って操作盤の判読不能なデジタル表示を見つめている。C氏は怒ってすっきりしたのか、普通に戻って何かを話しているがくぐもった音で聞こえない。

エレベータがどこかについて扉が開く瞬間、あの変なデジタル表示がPoliceのなんとかいうアルバムのジャケットで見たやつだ、と直感的に思った。


エレベータを降りるとそこにはものすごく気持ちのよいオープンエアのテラスレストランだった。
地上に戻ったようにも、何かの屋上のようにも見えた。

ウエイトレスが待っていました、というように我々を案内しある一席に通される。

食事はすでに用意してあり、形だけの乾杯を交わした。

やっぱりこのメンバーで食事するのか… うっすら感じてはいたがそのようになり、一体何の会話をすれば良いのかわからずとりあえず様子をうかがっていた。昼間なのでランチのはずなのだが、並んでいる食べ物がとてもディナー的だ。


前に座った女性の、怒られた方は涙を流しながら食事を進めている。怒られたショックを未だに引きずるほどのどんな失敗をしたというのだろうか。

もう一人の女性も淡々と食べ物を口に運ぶ。


C氏は終始上機嫌で、食事はまだ始まったばかり。



これが、2019年1月2日に見た私ひで氏の初夢である。










夕暮れウサギは知っている

2018年11月10日 | ヒデ氏イラストブログ
うちの庭には、毎年ネギのような植物が花を咲かせる。
わが家は中古物件に手を入れたものなので、前のオーナーが植えていたものではないかと思われる。

ひで氏です。

一度、知りたくて調べたことがあるのだがもしかすると「チャイブ」というハーブなのかもしれない。
しかし匂いで見るとやはり普通のネギのような気もするし、よくわからない。
そのため未だかつて一度も収穫して食べたりしたことはない。

ネギはべつに嫌いではない。しかし積極的に食べたいとも思えない理由がある。


30年以上前の話だ。


私ひで氏は石川県金沢市に引っ越したばかりだった。

大阪から引っ越した私はまず金沢の言葉に驚き、困惑した。しかし語尾を伸ばす独特の方言はまるで音楽のようで、聞こえるままに真似をしていたら半年ほどで周囲の人も「この子は金沢ネイティブの子では」と驚くぐらい話せるようになった。

それは小学3年生だった私ひで氏がラッキーなことに数人のとても仲の良い友達に恵まれたからだ。
転校先の小学校で、すぐに仲良くなった友人たちと文字通り毎日毎日遊ぶことで、私は一気に金沢弁をマスターしていった。

当時住んでいた金沢市のある町は本当にのどかなところで、田んぼがたくさんあり、
遊び場といえば近所のお寺、そこに子供だけで集まり日が暮れるまで毎日遊んでいた。

もちろん、遊びのネタは鬼ごっこ、缶蹴りやかくれんぼだ。
余談だが雪国の金沢では冬になるとここに雪投げやミニスキーの様な遊びが加わる。とにかく自然の中でよく遊んだものだった。

そしてあるとき、いつものようにかくれんぼをするということになった。
鬼になった友達をびっくりさせてやろうと、私ひで氏は今までの自分の中で無意識に引いていた「かくれんぼ行動範囲」の線を越えた。
そして「ここならきっと誰にも見つからない」であろう畑の中に足を踏み入れたのだ。

それは緑の茎が太く力強く育った、ネギ畑だった。

しゃがめばすっぽりと身を隠せるネギに囲まれて、これはいけると判断した私ひで氏は、きっとこのまま最後まで逃げ切れると確信した。

--------------------------------------------

どのくらいの時間がたっただろう。

ゲームに全く動きがないのが変だと思った頃に、自分が鬼の「もういいかい」という呼び声までも聞こえないぐらいのところまで来ていたのだということに気付いた。そんな場所から、仲間の姿が見えるはずもない。

もしかしたらもうかくれんぼどころではなくなりみんなで自分を探しているのでは…

はたまたもうすっかり遊び終わって自分のことなど忘れてみんなで帰っているのでは…


途端に不安になった私は、もう自分の立場などどうでもよくなって、「おーい!」と大声で叫ぼうとした。


異変に気付いたのは、その時だった。


叫んだはずのその言葉が、全く聞こえない。


いや、違う。声が出ていないのだ。


もう一度叫ぼうとした。しかし大きく息を吸い、声を出そうとした瞬間、喉がぎゅうっと締まるような感覚がしてやはり声が出ないのだ。


「声が出なくなった」とは思わなかった。


「声をうばわれた」と思った。


なぜそう思ったのか。実は理由がある。は?とお思いかもしれないが、
それはあのオランダの有名な絵本の主人公、ミッフィにある。

ミッフィファンには申し訳ないが私ひで氏は幼いころからあのミッフィというものに底知れぬ恐怖を感じていた。
トレードカラーのオレンジの異様なわびしさ、そしてなんといってもあのバツ印の口。小さい頃、誰に何を言われるでもなく私は彼女のことを

「何か大変なことをやらかして魔女に声を封じられたうさぎ」の悲しみの物語だと信じて疑わなかったのだ。



かくれんぼの勝利のために「普段超えてはいけない境界線を越えた」という後ろめたさがあった私にとって、正直これは逆に合点の行く結果だった。
この頃には日が暮れて夕焼けに染まったオレンジ色の空も、完全にミッフィーの世界とのシンクロした。

「僕はかなしみうさぎのように声をうばわれたのだ…!」

突如、さっきまで自分を隠し包み込んでくれていた背の高いネギが急に、声を奪った悪の遣いのように見えた。
カラスが方々で鳴き、泣き虫だった私はその場に座り込んだまま思い切り泣いた。



しかしその泣き声も出ない。


その後どうしたのかは、あまり記憶がない。おそらく一心不乱に家の方角に逃げ帰ったに違いない。
肝心の喉は、翌日には治っていたように思う。

今でも青々と茂るネギ畑を見ると喉がきゅっと締まる気がする。

この不思議な体験、今調べてもネギは「喉に良きもの」という情報こそいくらでも出てくるが、
ネギで声が出なくなるというものは見る限り無い。


ミッフィならあるいは、このネギと声の間の秘密を知っているのかもしれない。






百人一首名人の憂鬱

2018年02月03日 | ヒデ氏イラストブログ
誰もが経験することだと思うが、やたらと不運が続く日というのがあるものだ。

ひで氏です。

この日は朝から不穏な空気があった。まず手袋を無くしたのだ。バスを降りて手袋をしようとしたら片方ない事に気付いたのだ。
ほんの少し前に買ったばかりの手袋だったのだが、案外すんなりと事実を受け入れた。というのは実はその前の日にコンビニに寄った時に傘立てに挿した傘を忘れていっていたので、なんとなく何かよくないことが始まったのかもしれない、という予感はあったのだ。

そしてその日は1月の後半だったが、百人一首大会の運営の一部を担うという日であった。
朝から不気味な不運のサインを立て続けに感じた上で、その日に普段と違うイベント事が設定されていることにより一層私ひで氏の予感は強まったのだ。

実は珍しく準備は万全にしていた。

大会の中での私の役割は、「集計係」だ。かなりの人数で行われるこの大会の個人と団体の取り札の数を書いた紙をPCに入力していくという作業で、とにかくシンプルにPCだけを持って行って臨めるようにと、完全に充電をして持っていく手はずを整えていた。

いよいよイベントが始まり、PCを持って会場入りした私は、ステージ横の集計場所にPCを一旦おいて会場を練り歩いた。
真冬だというのに会場は相当な熱気で、札が読み上げられる度に細かく分かれた各グループで動きがあり、歓声があがった。

いよいよ集計の段になった時に私はそろそろPCをセットしようとPCのところに行き電源を入れた。

最初に画面にでたのは、カラカラのバッテリーのイラストだった。目を疑った。

なぜだ。昨日充電していたはずなのに。

しかし同時に悟ったような自分もいた。こうなるとわかっていた、という自分だ。
朝のサインはこれだったのだ。不幸は度重なる。むしろ腑に落ちた気がした。

しかし一刻を争う状況だった。なんせ集計票はほぼ集約を終わろうとしている。すぐに入力を開始しなければ、結果発表に間に合わない。
とりあえず、電源アダプターを置いている部屋までダッシュで帰らねばならない。

会場は土足厳禁だったので、下駄箱に靴を置いていた。とりあえずそこまで走った私は、靴をすごい勢いで取り、無造作に足を突っ込んで走り出した。そのままではかかとを踏んだ状態だったので、走りながらなんとか靴を履き切ろうとして、かかとを踏み鳴らすようにして走った。

だが一向に妙なところに引っかかった靴のかかと部分が本来の私のかかとにかかってくれないのである。
仕方なく手を使って直そうとした。右足を曲げて出来るだけ上に延ばし、右手の人差し指で靴のかかと部分に指をひっかけて自分のかかとにひっかけようとしたわけだ。

その瞬間、とんでもない激痛が私の右ふくらはぎを襲った。漫画の擬音にするならば「ピリーーーーッ」という、電気が走ったような、長くもなく短くもなく、また刺すような嫌な種類の痛みだった。

私はこの時三つのアクションを同時にしていたわけである。「前へ進む」「片方の足を曲げる」「手でかかとを触る」。
自分的にはフィギュアスケートのビールマンスピンぐらいのイメージだ。もちろん右足は全然あがっていないのだが。



瞬間的にこれはまずい痛みだというのはわかった。何せもうこの瞬間以降、足を引きずってしか進めなかったし、とにかく感じたことのないような痛みだったのだ。文字通り「ほうほうのてい」で電源ケーブルをなんとか取りにいき、会場に戻ったはいいが、この時点で私は、「全速力で出ていったはずなのに足を引きずって帰ってくる奇妙な男」に変貌していた。

とにかくそんなことよりも集計を早く終えなければという思いだけで、舞台袖で慌てて電源ケーブルをPCにつなげ、PCを立ち上げた。
そして今度画面に表れたのは「Windowsを構成するための準備中...電源を切らないでください」という画面だった。

悪夢とはこのことだ。

つまり、昨日なぜか充電がうまくいっていなかったのもおそらくこれが関係しているのだ、電源を落としたつもりが自動更新が始まり、何らかの理由で更新が終わらず、それによってバッテリーが枯渇していたのだ。さらにいまもなお更新中のため、下手に触れない。

結論から言うと結局他の人のPCを使って集計するなどしてなんとかちょい遅れで集計は済んだのだが、
朝のあの予感から、ここまで来ますか…と笑うしかなかった。そうしている間にも足の痛みは治まるどころかむしろ増しており、一連の不運をあざ笑う笑い声のようなリズムでジンジン ジンジンと私のふくらはぎで熱く波打っていたのである。

百人一首大会も終わったというのに、一向に治まらないこのふくらはぎの痛みの正体を確かめるために私ひで氏は帰り道、足を引きずりながら整形外科の扉をくぐった。名前を呼ばれこれまた足を引きずりながら診察室まで入り、ドクターは私のふくらはぎを入念に診察した。ついた診断は、

肉離れ。

人生で初めての肉離れだった。ま、できるだけ安静にするしかないよというドクターの声が耳の中で徐々にくぐもって行く中で、今一度頭を整理していた。

コンビニに傘を忘れ、手袋をなくし、肉離れを起こし、コンピュータが機嫌を損ね、集計係が集計に失敗したのだ。5つの不幸が矢継ぎ早に舞い降りただけだ。その一つ一つをまた起こった順に思い出した。よくもまあこんなにも重なるものだ。


「…てたん?」



その瞬間、ドクターが自分に何かを聞いていることに気付いた。「え?」と聞き直すと、ドクターは質問を繰り返した。それは医者から患者へのごくごく当然の質問だった。

「いや、何してたん?」


瞬時に自分のビールマンスピンの失敗が脳裏に甦り、耳が紅潮した。この場合の完璧な回答はおそらく「フットサルです」であることもわかっていた。しかし咄嗟にそんな嘘をつくことは出来ず、その代わりの防衛本能とでもいうべきものだろうか、手で口をやや隠すようにして少しせき込みながら言った。

「ひゃ…百人オホン一首です」


ドクター:「え?」


私は腹を括った。「百人一首大会です」


少しの間をおいて「あ…、そうなん」と言っただけで、驚くことにドクターはそれ以上聞いてこなかった。意外過ぎて言葉を失ったか、おそらくは私が日本でも有数の「肉離れを起こしてもおかしくないような体勢も辞さないレベルの、ちぇすとーーー!と札を跳ね上げるような超一流の百人一首プレイヤー」だと思ったのだと思う。



もはや補足するつもりもなかった。ここまで散々不名誉な出来事が続いている中、一日の終わり、最後くらいは一流アクロバット百人一首プレイヤーと思わせたままにしていたとしても懲役刑などにはならないはずだ。


帰り道は特別寒かった。いつもの倍かかるこの足では帰るまでの道のりが永遠のように感じられた。
それでも病院で得た自分自身のポジティブなイメージが影響したのか、はたとある事を思い出し電話を手に取り、すでに電話帳に入っているその番号にかけた。この電話の結果次第では物事は上向いてくるのかもしれない。そう思った。



バス会社のお忘れ物センターには、



もちろん手袋は届いていなかった。