近年の日教組には、若い教員はあまり加入せず、組織率は右肩下がりで、その力は年々衰えているそんな解説を耳にすることが多いかもしれない。確かに数字だけを見ればそうだ。しかし、日教組はいまだに選挙で集票マシンとしてフル稼働し、その力で政治の意思決定に大きな影響を及ぼすのだ。
日教組の政治力の源泉は、さまざまな選挙にあたって多数の勤勉な運動員を支持政党(現在でいえば民主党)や支持候補に提供するところにある。
公職選挙法では、選挙期間中に駅前のビラ配りなどをする運動員は、ボランティアでなければならないと定められている。公明党や共産党のように、“宗教的”な支持母体のない民主党の政治家の選挙では、この運動員の確保が重要な課題となる。
民主党の選挙は「労働組合丸抱え」とよく指摘される。官公労がその代表だが、日教組以外の労組は組織率こそ高いものの、加入をお付き合い程度に考えている者が多く、集会やビラ配りにそれほど熱心ではない。つまり、“稼働率”は低い。
一方、かつては80%以上を誇った日教組の組織率は26%(昨年10月時点)と低くなったものの、教員たちは選挙運動となると驚くほど生真面目でよく働く。
国会議員や首長、市町村会議員の選挙では、組合本部から各学校にいる役員クラスの組合員に対し、民主党と社民党が推薦する候補を応援するように指示があり、教職員の人数を超える大量のビラが送られてくる。組合員は同僚にビラを渡すだけでなく、割り当てで決められた駅前でのビラまきをし、投票依頼電話をかけまくるといった具合だ。
確固たる支持基盤を持たない民主党にとって、これほどありがたいものはない。
自民党政権時代の
「三師会」に匹敵する影響力
政治活動は組合員の奉仕だけに留まらない。
政権交代が起きた衆院選の翌10年、民主党の小林千代美前代議士の選対幹部が政治資金規正法違反で逮捕され、小林氏が辞職したことは大きく報じられたからご記憶の読者も多いだろう。小林氏に違法献金していたのは、日教組傘下の北海道教職員組合(北教組)であり、その委員長代理は小林氏の選対委員長だった。
参院民主党のドンと呼ばれる輿石東・党幹事長は日教組の下部組織でも、特に高い組織率を誇る山梨県教組の執行委員長だったことで知られ、党内には日教組出身者や選挙時に支援を受ける議員は山ほどいる。
日教組の組合員は30万人を割り込み約27万人となったが、「野党の側の27万人」と「与党の側の27万人」では影響力は全く異なる。約30万人と言えば、かつて自民党を支えた日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会(いわゆる三師会)の合計人数と同程度の規模となる。与党時代の自民党の医療行政に三師会が与えた影響に匹敵する力を、民主党政権下で日教組が握ったわけである。
本業であるはずの教育を捨て置き、政治活動に邁進する日教組が政治家を使って何を目論んでいるのか。それは、政権交代後の民主党政権下で、教育行政がどう変えられてきたのかを見ればわかる。
日教組が実現させた政策の象徴が「全国学力テスト」の“骨抜き”だろう。
「学力低下」に対処すべく、自民党政権は07年に「全国学力テスト」を復活させた。ところが、当初予定された悉皆調査(全員が受験する調査)は、民主党政権によって、サンプリング調査に変更されてしまった。
全員がテストを受け、自治体ごとや学校別、クラス別の成績データを公表すれば、生徒・保護者の学校選択の多様化、不適格教員の把握に繋がると期待された。しかし、「学力の把握はサンプリングで十分」という日教組の主張に沿うものに政策が歪められてしまった。
学校やクラスごとの成績が明らかになって困るのは、指導力不足を知られたくない教員、学校経営や行政管理を問われたくない校長や教育委員会の役人である。つまり、自分たちの無能を暴露するような政策は許せないのだ。
また、児童生徒の学力低下と同様に喫緊の課題となっている「教員の指導力低下」にも同じことが起きた。06年に安倍政権が不適格教員の排除を目的に創設を掲げ、その後の自公政権で導入された教員免許更新制度は、政権交代とともに見直しが打ち出され、“お蔵入り”にされる方向だ。
教員から教育委員会までが、日教組的な思想を共有する巨大な一つの利権集団化し、その利権を死守するために政治家に圧力をかけるのが日教組という構図である。日教組が誕生したのは1947年。戦中教育の反動で、「子供を戦場に送るな」という思いは真面目な教員ならば誰しも持っていた。そこに早い段階から左翼が入り込み、共産党や社会党が「反日教育」を日教組思想として日本の隅々まで行き渡らせた。つまり、反権力の運動体としての役割が早い時期に定着してしまい、それを引きずっているわけである。
日教組の政治力の源泉は、さまざまな選挙にあたって多数の勤勉な運動員を支持政党(現在でいえば民主党)や支持候補に提供するところにある。
公職選挙法では、選挙期間中に駅前のビラ配りなどをする運動員は、ボランティアでなければならないと定められている。公明党や共産党のように、“宗教的”な支持母体のない民主党の政治家の選挙では、この運動員の確保が重要な課題となる。
民主党の選挙は「労働組合丸抱え」とよく指摘される。官公労がその代表だが、日教組以外の労組は組織率こそ高いものの、加入をお付き合い程度に考えている者が多く、集会やビラ配りにそれほど熱心ではない。つまり、“稼働率”は低い。
一方、かつては80%以上を誇った日教組の組織率は26%(昨年10月時点)と低くなったものの、教員たちは選挙運動となると驚くほど生真面目でよく働く。
国会議員や首長、市町村会議員の選挙では、組合本部から各学校にいる役員クラスの組合員に対し、民主党と社民党が推薦する候補を応援するように指示があり、教職員の人数を超える大量のビラが送られてくる。組合員は同僚にビラを渡すだけでなく、割り当てで決められた駅前でのビラまきをし、投票依頼電話をかけまくるといった具合だ。
確固たる支持基盤を持たない民主党にとって、これほどありがたいものはない。
自民党政権時代の
「三師会」に匹敵する影響力
政治活動は組合員の奉仕だけに留まらない。
政権交代が起きた衆院選の翌10年、民主党の小林千代美前代議士の選対幹部が政治資金規正法違反で逮捕され、小林氏が辞職したことは大きく報じられたからご記憶の読者も多いだろう。小林氏に違法献金していたのは、日教組傘下の北海道教職員組合(北教組)であり、その委員長代理は小林氏の選対委員長だった。
参院民主党のドンと呼ばれる輿石東・党幹事長は日教組の下部組織でも、特に高い組織率を誇る山梨県教組の執行委員長だったことで知られ、党内には日教組出身者や選挙時に支援を受ける議員は山ほどいる。
日教組の組合員は30万人を割り込み約27万人となったが、「野党の側の27万人」と「与党の側の27万人」では影響力は全く異なる。約30万人と言えば、かつて自民党を支えた日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会(いわゆる三師会)の合計人数と同程度の規模となる。与党時代の自民党の医療行政に三師会が与えた影響に匹敵する力を、民主党政権下で日教組が握ったわけである。
本業であるはずの教育を捨て置き、政治活動に邁進する日教組が政治家を使って何を目論んでいるのか。それは、政権交代後の民主党政権下で、教育行政がどう変えられてきたのかを見ればわかる。
日教組が実現させた政策の象徴が「全国学力テスト」の“骨抜き”だろう。
「学力低下」に対処すべく、自民党政権は07年に「全国学力テスト」を復活させた。ところが、当初予定された悉皆調査(全員が受験する調査)は、民主党政権によって、サンプリング調査に変更されてしまった。
全員がテストを受け、自治体ごとや学校別、クラス別の成績データを公表すれば、生徒・保護者の学校選択の多様化、不適格教員の把握に繋がると期待された。しかし、「学力の把握はサンプリングで十分」という日教組の主張に沿うものに政策が歪められてしまった。
学校やクラスごとの成績が明らかになって困るのは、指導力不足を知られたくない教員、学校経営や行政管理を問われたくない校長や教育委員会の役人である。つまり、自分たちの無能を暴露するような政策は許せないのだ。
また、児童生徒の学力低下と同様に喫緊の課題となっている「教員の指導力低下」にも同じことが起きた。06年に安倍政権が不適格教員の排除を目的に創設を掲げ、その後の自公政権で導入された教員免許更新制度は、政権交代とともに見直しが打ち出され、“お蔵入り”にされる方向だ。
教員から教育委員会までが、日教組的な思想を共有する巨大な一つの利権集団化し、その利権を死守するために政治家に圧力をかけるのが日教組という構図である。日教組が誕生したのは1947年。戦中教育の反動で、「子供を戦場に送るな」という思いは真面目な教員ならば誰しも持っていた。そこに早い段階から左翼が入り込み、共産党や社会党が「反日教育」を日教組思想として日本の隅々まで行き渡らせた。つまり、反権力の運動体としての役割が早い時期に定着してしまい、それを引きずっているわけである。
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