日々思った事を書いてみる。

色んなことに興味を感じて若い人達から教えられています、話を聞く事にも大事な意味を教えられています。

こんな立派な人も!

2016年03月30日 | 政治と教育

昭和59年、福岡市内で銀行員をしていた土居善胤(よしたね)さんが、桧原(ひばる)の町の道路拡張工事で伐採されるという開花が間近な桜を見て、和歌を紙に書いて、桜の木に結びつけました。

 

花守り 進藤市長殿

【花あわれ せめては あと二旬 ついの開花を ゆるし給え】

 

「蕾をつけた桜が伐られるのは可哀想なことだ。せめて最後の開花だけは許してほしい」という気持ちを和歌に託したのです。

 

実は、同じように思っていた方がいたのです。この直後、ここを通りかかった九州電力社長の川合辰雄も桜の木の伐採は惜しいことだと思っていて、偶然この短冊を目にすると「これは何とかしたい」と思い、部下に相談すると、知人の西日本新聞社社会部の記者に現場を見るように電話を入れました。

 

数日後、桜の伐採と短冊のことが西日本新聞に紹介されると、これを読んだ福岡市民の心を動かしました。「せめて、桜の花を咲かせてあげてほしい」という声がどんどん広がりました。

 

そして、伐られる桜を惜しむ市民の人達によってたくさんの和歌が桜の木に結び付けられました。

 

その和歌の中にこのような歌がありました。

【桜花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん 花の心は   香瑞麻】 

ここにある「香瑞麻(かずま)」とは、衆議院議員を務めた後に福岡市長となった進藤一馬(かずま)、その人でした。

 

進藤市長の回顧録には「自分一人の私情だけでは公共事業を止められない。木は伐られてしまうかもしれないが、桜を愛するあなたの心は確かに受け止めました、という気持ちを歌に託した」と書かれています。

 

進藤市長は多くの和歌を見て、熱いものを感じ「桧原桜の伐採をせめて花が散るまでの間、延期しなさい」と工事担当者に要請しました。

 

ついに工事担当者もこれは何とかしなければと、限られた予算の中で、いろいろ知恵を出して考えました。

 

そして、桧原桜の伐採は止めて、近くの池を埋めてそちらに道路をつくり、池の桜も移植して、桧原桜を残すことにしました。

 

多くの方々の熱意で伐られる運命にあった桧原桜が残ったのです。

この桧原桜は、毎年美しい花を咲かせています。

 

この話は『リーダーズ・ダイジェスト』で世界にまで報道されました。

 

 

その後、進藤市長は健康上の理由から市長を辞められましたが、その後「福岡市名誉市民」となり、「名誉市民の記念品は何がいいか」と聞かれた時に「ありがとう。気持ちは頂戴するが、できれば1本でも2本でも公園に桜を植えて頂きたい」と言いました。

 

その進藤さんも平成4年に他界されました。

 

進藤市長は明治37年生まれで、戦前は白人の植民地支配からアジアの国々を独立させようと大アジア主義の「玄洋社」の社長もされていました。戦後はA級戦犯として逮捕されましたが、国士は国士で変わらず、持ち前の正義感が桜を守ったのです。

 

今では土居さんと進藤さんの詠まれた和歌が石碑に刻まれ、桜並木を守っているのです。

 


アメリカの大統領の選挙は?

2016年03月30日 | Weblog

『トランプとサンダース』
 民主主義国家では、当選するためには、ある程度のバラマキもやむを得ない。
バラマキを公約して政権を騙取したが、あるはずの財源が見つからなくてギブアップしたのが、悪名高い日本の民主党政権。
福祉削減反対を掲げて政権を奪取したが、政権運営に行き詰まって方針を180度転換したのが、ギリシャの急進左派連合政権。
大衆迎合の福祉対策をやり過ぎたため、経済破綻・資本逃避・物価高騰・失業者の急増・財政破綻・・・そして国家破産(デフォルト)の危機に瀕しているのが、アルゼンチン・ベネズエラ・ブラジルの南米左翼政権。

 


真実を知る

2016年03月25日 | 国内問題

「知る」ということは大切なことです。特に何を「知る」かが重要です。

 日本とはどういう国か?

 こう問われて、即座に答えられる日本人は少ないと言います。

なぜなら、日本の国のことを“正しく”教えないからです。・・・

 

大東亜戦争後、昭和天皇は約8年かけて、日本国中を巡幸されました。

実は、これは世界中が驚いたのです。

 

何を驚いたと思います?

 

世界の常識では、敗戦国の君主は国外逃亡するのが当然だと考えていました。敗戦国となれば治安が悪化し、君主に対する警備もなくなり、やがて国民は暴動を起こして君主を殺害するのが当たり前であったからです。

 

君主は常に国民の犠牲を顧みずに豪華な生活をするものであったから、同じように日本の天皇陛下も、国民から銃で撃たれて殺害されるものだと思っていた。

 

しかし、日本は世界の常識は通じなかったのです。

 

陛下の巡幸はどこに行っても大群衆に囲まれ、大歓迎され、時に日本国民は涙を流して「天皇陛下万歳、万歳、万歳」とやるのです。

 

特に広島への陛下の巡幸は広島の人々にとって大きな支えとなりました。それは原爆が落とされた広島には誰も寄りつかなかったからです。

 

当時の広島は「70年間は放射能で草木も生えない」と言われ、「放射能汚染された広島人と結婚したら子供が出来ない」とも言われていました。

 

しかし、昭和22年12月7日、そういう風評の中で、昭和天皇は広島に巡幸されたのです。この時、広島県民は涙を流して陛下をお迎えしました。

 

 


教え

2016年03月25日 | 日々思う事。

仏教講師、菊谷隆太の『一からわかる仏教(ブッダの言葉)』

【諸行無常(2)】

■俳人、小林一茶は

加賀百万石の大名に「一句詠んでくれ」と依頼された際に、

すずりにつばを吐き、そのつばで墨をすり、先の切れた筆で「何のその百万石も 笹の露」という歌でした。

百万石の大名といったところで、

死を目の前にしたら何の喜びや満足があろうか。

朝にできた笹の露が太陽が昇るとすぐに消え去ってしまう、

それと同じ、はかない幸せでないかこう喝破したのですが、達観した感のある一茶の境地です。

■ところがその一茶、一方では「露の世は露の世ながらさりながら」

と詠っています。

愛娘さとを亡くした時の歌です。

諸行無常は世の習い。

露の世、露の命なのだから、幼い娘が死ぬこともある。

重々承知していた一茶でしたが、それでも自分にとってかけがえのない娘の変わり果てた姿はとても耐えられなかったのでしょう。

■わたしたちは全てのものは無常だと知ってはいますが

自分の支えにしているものは「これだけは変わらないでほしい」と願わずにおれません。

しかし「これだけは。」と思っているそれも

やはり壊れゆく無常のものです。

 


吉田松陰を学ぶ

2016年03月24日 | 政治と教育

進むこと鋭(するど)き者は/吉田松陰名語録0324

進むこと鋭き者は退(しりぞ)くこと速(すみや)かに、成ること易き者は壊るること脆(もろ)きは、物の常なり。

安政二年(1855)四月「清狂に与ふる書」

進むことの速やかな者は、退くことも速いものである。簡単にできあがったものは、大変もろく、簡単にこわれるというのは、ものの永久不変の真理である。

「日々行う仕事も人も然りである。忌(い)むべき最たるものは、このタイプの人間であろう。悲しいかな、終戦を挟んで、こういうタイプが一番目につくようになったと聞いたことがある。時代の波が右に寄せれば、調子よく真っ先に御輿(みこし)を担(かつ)ぐ。しかし、一端波が逆となるや、そんなことなどどこ吹く風とばかり、「華麗なる変身」を遂げる。最も信用できない人間である。「波騒(なみざい)は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水の深さを」とは、吉川英治氏の不朽の名著『宮本武蔵』の結語である。「百尺下の水の心」の分かる人間でありたい。」


民進党は?

2016年03月18日 | Weblog

民進党は「間抜け」!? 英語表記の頭文字がネットで波紋
民主党と維新の党が結成する合流新党「民進党」の英語表記をめぐり、維新側が提唱する
「Democratic Innovation Party(DIP)」が、インターネット上などで波紋を呼んでいる。DIPには米俗語で「間抜け」との意味があるためで、民主党側の反発も予想される。
DIPについて、維新の江田憲司前代表は「市民の政治参加の促進、深化という意味もある」と採用を訴えている。一方、民主党内では現在の「The Democratic Party of Japan(DPJ)」の継続使用を求める声が根強い。背景には党職員らのメールアドレスを変更しなくて済むなど実務的なメリットもある。


田淵益弘さんからの情報

2016年03月16日 | Weblog

台湾の最新の世論調査で、「自分は台湾人」と考える人が
この20年間で最高の73%に上ったことが分かったそうだ。
一方、「台湾人であり支那人でもある」が10%、
「台湾人とは支那人のことだ」が1%、「自分は支那人」が11%だった。
この台湾人の民族意識の高まりは、若者で更に顕著で...
「自分は台湾人であり、支那人ではない」と考える人の割合は
20代で85%、30代では81%にも上った。
これは、支那がいかに嫌われているかの裏返しでもあるだろう。
一度、あの蓮舫にも訊いてみたいね(笑)。「自分は台湾人であり、支那人ではない」と考える人の割合は20代で85%、30代では81%にも上がった。

これは、支那がいかに嫌われているかの裏返しでもあろう。一度、あの連肪にも訊いてみたいね(笑)


日本人の皆さん国連もあてにならないことを知って下さい。

2016年03月10日 | 日本人よ頑張ろう!
「強制性」の言及はなかったが…「金銭」や「謝罪」求める 国連女子差別撤廃委員会の最終見解
国連女子差別撤廃委員会は7日、慰安婦問題を含む日本に関する最終見解を発表した。この中で、慰安婦募集の「強制性」に言及せず、「性奴隷」の表現も使用しなかった
 
しかし、慰安婦に関して発言する日本の政治家が増えているとして、「指導者や政治家」が元慰安婦を傷つけるような発言をしないよう勧告
また、昨年末の日韓両政府の合意を「被害者を中心に据えたアプローチを採用していない」と批判し、元慰安婦への金銭賠償や公式謝罪を含む「完全かつ効果的な賠償」を行うよう求めた
 
最終見解では、「慰安婦問題が第二次大戦中に締約国(日本)の軍隊により遂行された深刻な人権侵害であり被害者に影響を与え続けていると考える」と指摘。日韓合意に「留意する」とした上で、「合意を履行する際、被害者の立場に正当な考慮を払い、彼女たちの真実・正義・賠償への権利を確保する」よう勧告した。
また、慰安婦問題を教科書に記述し「歴史的事実が客観的に学生や一般の人々に提供されるようにすること」を求めた。(2016.3.8産経新聞)
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国連女子差別撤廃委員会から慰安婦問題に対する“最終見解”が出されました。これは今後の慰安婦問題に対して非常に重要なポイントです。
 
ここまでの経緯を簡単に説明しておきます。
反日左翼弁護士達と朝鮮人の独壇場だった国連に、昨年、テキサス親父や杉田水脈(日本のこころの党)さん、岡野俊昭(つくる会副会長)さん達が乗り込んで「慰安婦姓奴隷は嘘だ」と演説しました。
 
すると国連委員は「嘘だという話は初めて聞いた」と言い「日本政府の見解を聞きたい」ということで、今(平成28)年の216日に日本代表として外務省・杉山晋輔外務審議官が「慰安婦姓奴隷や強制連行は証拠もなく事実に反する捏造だ。朝日新聞も事実誤認だと謝罪した」と回答しました。
 
これにより今回の最終見解で「姓奴隷」「強制連行」が削除されました。
つまり最初からきちんと反論しておけば問題にならなかったのです。
 
特に今回のきっかけをつくったのは日本政府ではなく民間の有志達です。しかも彼らは自腹で国連に行き日本の名誉を守ったのです。まさに国士と言えます。もとはと言えば国がだらしないからです。政府は何らかの形で彼らに敬意を表すべきではないか。
 
ただ、最終見解には多くの問題が残っています。これは反日左翼や韓国団体の工作の影響といえます。なぜなら国連委員は日・韓のことなど何も知らないから言われるまま真実だと思い込んでしまうのです。つまり騙すのです。
 
<最終見解>
●「指導者や政治家が元慰安婦を傷つけるような発言をしない」。
●「慰安婦問題が第二次大戦中に日本の軍隊により遂行された深刻な人権侵害であり被害者に影響を与え続けていると考える」。
●「日韓合意を履行する際、被害者の立場に正当な考慮を払い、彼女たちの真実・正義・賠償への権利を確保する」。
●「慰安婦問題を教科書に記述し歴史的事実が客観的に学生や一般の人々に提供されるようにすること」。
●「次回の定期報告書において、被害者の真実・正義・賠償の権利を確保するために行った措置について報告すること」。
 
これに対して菅官房長官は「日韓合意を批判するなど、日本政府の説明内容を十分に踏まえておらず、極めて遺憾で受け入れられない」と言いました。
 
日韓合意の批判より、日本人の名誉回復や嘘を教科書に書けなどというとんでもないことにはきちんと反論すべきではないか。
 
すると有識者らでつくる「慰安婦の真実国民運動」(加瀬英明代表)は安倍総理と岸田外相宛てに「最終見解に強く反論すべきだ」と要望書を出しました。

 

死後&霊魂

2016年03月09日 | Weblog

「死んだ後はないよ」と言っている人が

慰霊祭をしています。

慰める霊はないのなら、

慰霊祭を行う理由もないのに。。。

「死んだら天国」と言っている人も

やはり慰霊祭しています。

天国のような結構なところに行っているのなら、

故人を慰める必要もないのに。。。

死んだあとは無いよ、と言ったり、

天国に行けると言ってはいても

何か割り切れない深い人間性が死を恐れ、

死後を恐れ、

どの国でもどの民族でも慰霊するのでしょうか。

ところが一方では先祖が禍福を与える力があると信じて

先祖供養にも熱心なようです。

慰めなければならないような苦しい目に遭っている先祖が、

私たちの運命を左右するような偉大な力を有している

というのもこれまた変な話です。

【死んだらどうなるか】

わからん者同士で勝手なことを言っている。

いい加減で、あいまいで、どっちつかずのまま、

曖昧模糊としているのです。

万人の100%必ず行く先なのに...

仏教では、自分の確実な行き先さえまともに考えられない

全人類の実態を「迷っている」と説き、

その人間の世界を『迷界』といわれるのです。


渋沢栄一さんは偉かった。

2016年03月02日 | 日本人よ頑張ろう!

渋沢栄一は、江戸時代の終末期の封建制度のあり方や常識に対抗し、明治時代・大正時代という新しいあり方や常識をつくり、そして、生きました。そういう意味で、高度成長時代が終わり「新しい成長」の時代のあり方や常識を探っている現在に、渋沢栄一が大勢の人々に響くのではないでしょうか。

自分の天命を待つときには姿勢が大事

恭、敬、信をもってせねばならぬものだと信じさえすれば
「人事を尽して天命を待つ」なる語の
うちに含まるる真正の意義も
初めて完全に解し得らるるようになるものかと思う。

「論語と算盤」・成敗と運命】

現代の言葉で言うと......

丁寧で慎んだ姿勢、進歩向上の心、そして、
信用ある行動によって、「人事を尽くして天命を待つ」という
論語の有名な一説が現実味を帯びることになる。

天命とは自分の面のように自分だけでは見えない

 自分の天命は何かと考えたことはありますか。天からの命令なのか。それとも、天から与えられた命そのものなのか。

 ただ、これが天命であるかということは、結局、人間が自分では勝手に決められません。天命とは、人間が意識してもしなくても、四季が訪れるような大自然そのものです。

 何かよくわからないが、自然に自分を助けてくれる力があるように感じられる。このように心が感じることが天命かもしれません。

 あるいは、日常生活を純粋な心で、自分の責任や判断で物事に取り組んでいけば、いずれ自分の天命を感じることができるかもしれない。

 天命とは、自分自身の顔のような存在ですから、自分の視点だけでは見えないのです。ただ、見えないからと、存在していないものと否定したり、意味がないと無視することでもありません。

 必ず存在する自分の天命とは、人や社会という鏡を通じて、やっと見えてくる自分の面なのです。