goo blog サービス終了のお知らせ 

あっこの『今日はこんな日♪』

主婦:あっこの、日々の出来事などを綴ったblogです。

入院日記番外編 退院後の生活と退院診察

2008年08月29日 17時03分08秒 | 子宮筋腫
12日に退院したその日から、トイレ掃除・風呂掃除とこなし(バテて2時間ほど寝てたが)
退院した翌日には、洗濯しぃの・掃除機&コロコロしぃの・植物の水やりしぃのとフル稼働していた私。
最初の病み上がりの段階で溜まっていた掃除を済ませたので、後はラクチンであった。

と・言うのも、うちでは普段の掃除はモップがけとコロコロ程度で、
週末の旦那が居ない時に掃除機かけ&コロコロという、手抜きっぷり
次に掃除機をかける時には、身体もかなり快復していたので、苦にならなかった。

そして、退院してからの3~4日ほどは、昼・夜の食事作りを旦那が自らやってくれていた

Cooの散歩に出られなかった最初のうちも、旦那が連れてってくれたり・庭の芝生で遊ばせたりとしてくれた

そんな家族の協力の下、大して安静にしなくとも快復しております


最初のうちは、買い物に行って店内を歩くだけで辛くって、背中を丸めてお腹を押さえて歩いていたら、
ふくらはぎや足の裏が痛くて歩けなくなったけど
そのうちにその辛さもさほど感じなくなり、1週間経った頃からはCooの散歩も復活した。

歩けるようになっても貧血がまだあったので、10分程度の散歩でも後半はフラフラ
帰ってきてからは疲れて眠くて、1日ドンヨリと過ごしていた。
でもそれも、さらに1週間経った頃には楽になり、
手術後3週間目には、クシャミも咳も平気になったし便秘でもお腹にチカラを入れられるようになった


入院中は病院食だし、きっと体重はとても減ってるだろうと期待していたが、
退院後に量ってみると1㌔程度しか減ってなかった
でも、退院後もお通じがずっと良く(それまで便秘ぎみだったのよ。以前はナンともなかったのに)、
あれよあれよというまに体重も順調に落ち、手術後3週間目で体重3㌔減
オシッコの回数も、手術前と後ではかなり減っているし、
手術後初にきた月のものも、今までのあのユルイお腹の痛みはどこへ?てな感じだし、
量もかなり減って今までの不安も無い。

何もかもが快適だ
しいて言えば、入院中は献立考えなくてもご飯が食べられたので、毎日のメニューに悩んでいる


今思うと、身体が十分に動かなかった時の家事で、
もしかしたら、かなりのストレスがかかっていたかもしれないナ・と思った。
今回、先生の言った「安静にしなくて良い」の言葉だけ聞いていたら、
頑張って家事しなきゃ~と気張って、ダウンしちゃったかもしれないし、
その前に看護師さんが話していた「パシャマ生活のつもりで…」いようとしたら、
寝転がって床に近い生活をする分、ワンコの毛が気になってイライラしていたかもしれない。
「安静にしなくて良い」けど「ユックリのんびり」させてもらえたので、
精神的にも楽に過ごす事が出来てヨカッタでした



25日の退院診察を前にした21日、ネットで注文していた骨盤ベルトが届き、
早速巻いてみると、これが良い
手術の傷跡をしっかり押さえた方が歩く時も痛くないので、それまでずっと腹帯を巻いていたのだけど、
痛くないように腹帯をきつく巻きたいのだけど、すぐに緩んじゃってきつく巻くことが出来ずにいたのよね。
骨盤ベルトは収縮性があるので、骨盤だけじゃなくお腹部分もしっかり押さえてくれるのでラクチンだし、
お腹を押さえてくれるという事は、お腹の出っ張りも押さえてくれる
美容にも一役買っているようだ


ところが、バンドをつけだしたその翌日に、傷の真ん中部分に血が滲んでいるのを発見
なんで?このベルトで擦れた??
その日、シャワーを浴びた後、傷テープを剥がして見てみたけど、傷がどうかなってるのか分からない。
とりあえず、再度傷テープで保護し、月曜日の診察日に先生に診てもらうこととした。

先生は会っていきなり、「どうですか?傷は開いたりしてませんか?」と訊いてきた。
これ、冗談で言ったのか?それとも、そんな簡単に傷って開くのか??リアクションに困ったが、
とりあえず、血が滲んでる事を話し、
その日も内診(エコー検査)をしたので、その時に傷を診てもらった。
で、特別どうにかなってる訳でもないが、赤く腫れた感じになっていたので、
軟膏を処方してもらい、しばらく傷テープは貼らずに傷を乾かすこととした。

そして、この日で完全に完治した事となった

子宮・卵巣ともあるので、
年に1度のガン検診には、モチロン受けに来るよう言われたが、
今までの半年毎に検査で婦人科に掛かっていたのが、もうそれもない


この後も、まだ暫くはシャワー浴で、温泉などにもまだ当分入れなさそうだけれど、
体力も大分ついてきたので、無理せずリハビリしていこうと思います



連日長文でスミマセン。読んでくださってアリガトウ
(今後は、普通の日記に戻ります)




8月12日 いよいよ退院の日

2008年08月27日 17時21分30秒 | 子宮筋腫
こないだ(25日)は、退院後の診察の日でした。
(この詳細は後ほど…)


帰りにスーパーに寄ってプルーンを購入。
週単位で元気になってきていて、そろそろ身体を動かすことも考えてるけど、
家にいても動く事って家事くらいしかないので、
そうなってくると、来月から少しずつでも太極拳に復帰したい。
このプルーンを毎日オヤツ代わりに数個ずつ食べて、これで貧血も良くなってくれれば…



8月12日火曜日

いよいよ待ちに待った退院の日
この日、旦那は午前中が仕事だそうで、午後1時に迎えに来てもらうこととなっていた。

抗生剤を丸一日完全に止めていたので、夜中にお腹がゴロゴロいう事も無く良く眠れた。
退院間際になって良く眠れるというのも、なんだかな~だが

気になっていた手術痕に乗っかってるようなお腹も、皮膚が麻痺しているせいなのでは?と思えてきた。
と・言うのも、麻痺している部分だけ他の皮膚と違って締りが無いというか・たるんでるというか…
チカラを入れても、麻痺している部分は他の皮膚と違って変わらないし。
いや、きっと麻痺のせいだ!
と、信じたい


午前中、少しずつ荷物をカバンに詰めた。
旅行カバン一杯になるほど荷物を持ってきたが、結局使ったものって半分くらいしか無かった。
洗濯も自分で出来たし、思ったよりも早くにトイレに立つ事も出来たし・シャワーも浴びれたし。

退院前にT先生が顔を見に来る。
次の退院後診察の前に異常があれば、診察しに来るように言われる。
(結局、大した異常は無かった)

お昼ごはんを食べた後、1時過ぎに旦那が迎えに来て、退院する。


支払金額は、前日のうちに計算してもらい聞いていた。
3割負担で165,416円だった。
カード払いの出来ない病院だったので、キャッシュコーナーで下ろさせてもらった。


入院時の手続きの時に、高額療養費請求の話しを受付の方がしていた。
入院前または入院中、社会保険などの各種医療保険窓口に「健康保険限度額適用認定申請書」を提出し、「認定証」の交付を受け病院に提出することで、病院窓口での負担額が自己負担限度額までとなるそうだ(高額療養費の現物給付化)
この認定を受けるまでに1週間程度かかるらしく、
入院期間が5日以上で手術もする場合、高額療養の対象になる事が多いので、
国民健康保険や社会保険(うちの場合は学校のセンセなので共済組合)に申請書を提出して認定証の交付を早いとこ受けて病院に提出すると、退院して支払をするときに、高額医療費分を差し引かれた自己負担限度額だけの支払で済む、という。
(くわしくはコチラ→社会保険庁・高額療養費)

我が家の場合、
高額療養費請求制度の事を知っていたので(現物給付化の事は入院の時に知った)、
8月中に手術・退院と出来るようにと入院日を考え、
入院する日にちが決まった時点で旦那の勤務校の事務の人に「話しといて」と言っていたのだが、
その時には夏休みに入っていたため、仕事で学校に行っても行き違いになる事が多く
結局、入院中に申請書を提出することは出来なく(当然、認定証も交付されない)、
退院時に一旦、全額を支払う事となった。
全額支払った後は、患者の方で高額療養費支給申請手続きをして(と言っても職場の事務の方にお願いするのだが)、
後日(3~4ヵ月後)に払い戻されるそうである。
(共済組合などでは、書類提出しなくても、病院から組合への連絡で自動的に給与に戻されるような事を言っていた)

ちなみに、入院する前に、加入している生命保険会社にも連絡を入れて、
保険請求する際、診断書などどのような書類を用意すれば良いのか確認していた。
私の入っている保険屋さんでは、入院期間が2週間以内であれば診断書は必要なく、入院診療計画書のようなものと領収証(通院特約が有る場合、その領収証も)のコピーでOKだった。
診断書を貰うのにもお金がかかるので(3000円くらい?)、先に確認しておいてヨカッタでした



退院後スーパーに寄り、野菜などを購入してから家に着く。
さすがに買い物中は、歩くのがとても辛かった
そんな私を待っていたものは、9日間使いっぱなしで放置されたトイレと風呂場…

はい。退院早々にお掃除しましたとも…




8月11日 術後6日目

2008年08月24日 22時21分58秒 | 子宮筋腫
8月11日月曜日

昨夜、
そういえば手術した日の夜、寒くてよけいに貰った毛布が足元にあることを思い出し、
その毛布を使って枕の高さを調節して眠ったら、今までに無く良く眠れた。
早くから気づけば良かった…

翌日はいよいよ退院なので、今日は、退院に向けての診察の日。
早朝、そろそろトイレに起きようかしらと思っているところへ看護師さんがやってきて、血液検査と尿検査用の紙コップを置いていく。

抗生剤の薬を止めたので、普通にウ○コが出る。
結構お腹にチカラが入るもんだと安心する。
昨夜飲んだ痛み止めも、どこの痛みが止まっていたのか分からなかったので、この日から完全に飲まない事とする。


病棟内のどこかで赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
どうやら出産があったらしい。
そういえば、私が入院したばかりの時、隣のベッドに居た方も妊婦さんだったっけ。
なんかの機械が入っているようで、胎内の心拍音が聞こえていた。
産婦人科病棟でありながら、別の科の患者さんの方が多くいたので、そんなに気にしないでいたが、
これで全摘出になっていたら、もしかしたら、かなりの喪失感があったのでは?と思えた。
もしかしたら、こんなお気楽な入院生活もおくれていなかったかもしれない
「筋腫のみの摘出」を勧めてくれた旦那と、
「筋腫だけ取りましょう!」と言って手術してくださった先生に感謝


T先生からの退院前の診察で、エコー検査をしてもらう。
その後、手術後の注意事項など説明。
年齢的に子供を産むなら一刻も早いほうがいいのだが、最低4ヶ月は避妊するように言われた。
(子供産む予定は無いんですケド…)
そして出産する時には、必ず帝王切開にすること!だ・そうだ。

それから、手術して初めて分かった衝撃の事実が
なんと、私の知らぬ間に「子宮内膜症」になっていたんですって
子宮内膜症の症状の重さがステージⅠからⅣまであるうちの、ステージⅢと重いもので、
なんでも、腸と子宮が癒着していたんだそうだ
私の場合、生理痛というよりその時になる下痢でのお腹の痛みが酷くて、
でもそれは月経期間のうちの1日間だけで、あとは痛みなど無いものだから気づかなかった。
そうだったんだ…
その内膜症の治療として、
「子宮摘出とか…、他、薬などの治療もありますが、痛みなどの症状が軽いようなので様子をみましょう」との話しだった。
…子宮摘出って…。
せっかく温存してもらったのに、こんなことになってるとは…

朝に採った血液検査の結果は、ヘモグロビンの数値が若干低く貧血との結果が出ていたが、
手術前検査の時にも数値は低くそれと同じ位の数値だったので、
「問題ないでしょう。ご主人に美味しい物を食べさせてもらってください」と言われた。
(旦那にこの話をしたら、「サイフはあっこが握ってるんだから、自分で買ったら良いでしょう」だって)

手術痕の上部分の皮膚を触っても感覚がないので、気になって訊いてみた。
これは、横切りにしたあと皮膚を開くのに、上にベリリと剥がしているから、麻痺したような感覚の無い状態なんだとか。
これが治るまでは2ヶ月くらいかかるらしい。
感覚のある部分と麻痺している部分の境目が、触ると痛いんだよね

退院後の生活の事なども質問すると、先生も看護師(助産師)さんも「特別安静にしなくて良いですよ~」だって。
むむむ?
こないだ他の看護師さんは、「重病人のつもりで…」と言っていたのに。

それじゃあ私は、一体どうすりゃいいんだぃ??



この日は、旦那の年に1度の健康診断の日だった。
人間ドックとオプションで脳ドックも受けるのだそうで、朝一番から出かけたそうだ。
検査の他、2日分の食事内容を記録し、栄養士さんがそれを評価するというのもあったらしい。
私がずっと居なかったので、いったいどんな食事を記録して提出したのだろう
(適当に記入していったそうだが)
1日がかりの検査の予定だったので、Cooは私が入院した日に預けたところと同じお店に預けたそうだ。
ここの店長さん(女性)の事をCooは気に入っているようで、
会ったとたんに顔をペロペロ舐めていたそうな。
この話を聞いたとき、
「…いつまで経ってもおかあさんは帰ってこないし、この人は新しいおかあさんなのかしら?
と、まさかCooは思わなかっただろうかと、気が気じゃあない私であった





8月10日 術後5日目

2008年08月24日 15時29分47秒 | 子宮筋腫
Cooの散歩の時や座っていて急に立ち上がったときなど、クラクラすることが多く、
まだちょっと貧血気味らしい。

一昨日は、そんな私のリクエストに答えて、
いつも給料日後は回転寿司に行くところ、今回は焼肉を食べに行ってきました。
でも焼肉の方が高くつくのよね…
旦那は、組合の会合や同僚の先生達とで焼肉を食べる事は良くあるけど、
私にとっては、何年か振りの焼肉屋さんでした。
予算はかなりオーバーしたけれど、とっても美味しく頂いてきました




8月10日日曜日

ここ数日、夜中にお腹がゴロゴロと動くので、ただでさえ眠れないのに尚更眠れない
ぬいぐるみをアイピローにして寝てるので、何とかなってるという感じ。
枕やベッドが合わないというのもあるけれど、
「合わない」と感じるほど、身体が元気になってきた証拠だろうか?

昼食時に旦那登場。
またCooを連れてきているというので、慌ててご飯を食べてるところへ、
今度はT先生登場
この先生、常勤医といってもどうやら地方から通っているらしく、週末にこの市へやって来ているみたい。
お昼に登場したのは回診ではなく、ただ顔を見に来ただけのようだ。

まだ手術の詳細を教えてもらっていない私(旦那は、手術当日のうちに訊いていた)
月曜日の退院前の診察の時に説明してもらうこととする。

お昼ごはんを急いでかっ込んで、玄関前でCooと面会

ついこの前までは痛み止めを飲まないと、朝方・薬の切れる時間帯に「痛い」と感じていたのに、
あまり痛いと感じなくなってきた。
日中は何かしら動いて気が紛れていて、それで痛いと感じないのか?
寝てるときに痛くなってもイヤなので、夜だけ痛み止めを飲む事とする。

手術後、続いていた少量の出血が治まり、おりもの状になる。
なんで??
これ、ずっと手術の影響で出てるのだと思っていたら、
先生曰く、「子宮は切ってないので手術が原因での出血ではない」とのこと。
「生理のなごりでしょう」だって。
たしかに、手術した日は生理6日目って時でした
次回の月経時期もずれてくるそうだ。


退院してからの行動などを看護師さんからアドバイス頂く。
入院中の今、病人としてはバリバリ元気でも、家に帰って今までどおりの事をしようとしても疲れやすくなってたりして、無理して悪くなる事もあるので、
「暫くは重病人のつもりで、パジャマ生活の気持ちでいないとバテちゃうわよ~」とお話していた。

実際、ユックリすることは出来ないだろうが、これをネタにグウタラさせてもらおうと考える




8月9日 術後4日目

2008年08月22日 16時19分52秒 | 子宮筋腫
昨夜のソフトボール、
勝った瞬間、「やった~」と思わず拳を振り上げて立ち上がってしまった。
その横で、微動だにせず冷静にテレビを観ている旦那…


…なんか…、興奮した自分が恥ずかしくなる一瞬であった…



8月9日土曜日

グルグル眩暈で目が覚める。
起き上がろうとすると、首や肩も痛い。寝違えた??
グルグルで気持ち悪い。
病院の起床時間は6時なんだけど、朝食時間は8時。
いつも、ご飯を食べるとグルグルも多少治まるのに、この状態でご飯までの2時間は辛い…

入院中、ずっとグッスリ眠る事が出来なくて、そんな寝不足が続いて眩暈が出たのだろう。
寝不足対策として、入院中の癒し&アイピローにとぬいぐるみを持ってきていたのだけど。


病室のベッド周りにはカーテンがかかっているけれど、部屋の扉自体は夜中でも開きっ放し。
廊下からの明かりが漏れてどうしても眩しいし、他の病室の患者さん(神経内科)の叫び声は連日聞こえるしで、
集中して眠るためには、このぬいぐるみは欠かせない。
と・このぬいぐるみをアイピローとして乗せて眠っているのを、見回りにくる看護師さんは目にするわけで…。
何人かに、このぬいぐるみを指して「これは何ですか?」と訊かれちゃった

朝食までまったりと過ごし、ご飯を食べたら7割がた落ち着いた。
かえって横になった方が眩暈が辛いので、この日もベッドに座って過ごす事とする。
何かしていた方が気が紛れるので、朝食後、洗濯に


午前中にH先生の回診があり、抜糸。
糸ではなくホチキスの針のような物で、触ろうとしたら(何でも触りたがる)
「今、消毒しますからね~」と、手を看護師さんに除けられた
抜糸後の痕には「傷テープ」を貼ってもらう。
これは、剥がれてきたらまた貼り替えたりして、最低1ヶ月は貼り続けるんだって。
貼るのにもコツがあるようで、傷口をくっつけるように引っ張り気味に貼るのだそう。
こうすることで痕がケロイド状に盛り上がるのを防ぐらしい。
その他、骨盤を締めるようにバンドをつけると良いとの事(約3ヶ月間使用)
暑い時期で、やっと腹帯から開放されると思っていたが、
実際、お腹を締めたほうが楽だったので、抜糸後も腹帯をし続ける。
(退院してきてから骨盤バンドを色々検索していて、昨日やっと商品が手元に届きました。巻くのもラクチン)

今後治ってくると、傷跡の部分は他の皮膚よりも硬くなるのだそうで、何でか訊くと、
一番上の皮膚部分はくっついて抜糸したけれど、まだまだ下には何層ものミルフィーユ状になっている縫合部分があるため、これがくっついてきて硬くなるのだとか。
(ようするに、この厚い腹肉部分は、まだ完全にくっついてないのか)
身体の内側の縫合は、融けて無くなる糸をつかっているらしい。

それはそうとこの傷の上にお腹が乗ってるような状態なのは、今後大丈夫なのか?


この日の体温、36.7℃。やっと37℃を切る。
微熱が長く続く事を看護師さんも気にしていたようで、微熱が下がった事でホッとしていた。
午後から眩暈もほぼ治まった。

H先生からの指示で、翌日いっぱいまで飲む予定だった抗生剤を、昼から止めることとなる。
抗生剤を止めたら、お通じの方は平気だろうか不安だったが、心配なかった


退院予定が火曜日に決定する




8月8日 術後3日目

2008年08月21日 23時06分03秒 | 子宮筋腫
8月8日金曜日

この日の夜中も前日同様、ずっとグルグルお腹が動いてグッスリ眠れない。

朝4時半頃、トイレに行きたくなり目が覚める。
やはりお腹がゆるい。
これは抗生剤が良い菌まで追い出してるせいらしい。
お腹にチカラが入れられないのでゆるくても良いのだけど、まだユックリしか歩けないので、
駆け込むようにならなきゃ良いケド…

尿管が外れた翌日の7日から、オシッコとウン○の回数を聞かれるので記していた。
オシッコの回数が入院前だと、1日10回くらい。風呂上りのビールを飲むと当然それ以上の回数になり、
午前中だけでも毎日6回は行っていたのに、
それが1日6回までに減っていた。
とにかく「トイレに行きたい」と思わない。
これってスゴイと感動する。


手術後、初シャワー
思ったよりも早くにシャワーを浴びれるようになった。
入院用に買ってきていた、身体拭き用のウェットティッシュや洗浄綿の出番が、これで無くなった
(退院の時に、同室で起き上がることの出来ない患者さんに貰ってもらった)
手術痕には、それまでガーゼを貼り付けてあったのを、
シャワーを浴びるために薄いガーゼに替え、その上から大判のテープで全体を覆うように貼り付けた。
翌日が抜糸なので、それまでこの状態のままとし、その上から腹帯をする。
シャワーに入ってお腹を見ると(ガーゼに隠れて痕は見えないが)、
大きな筋腫(9㌢1個・1~3㌢8~9個)を取ったのに、お腹はさほど凹んでなくてガッカリする

この病棟内や2階のエレベーター前までなら、杖代わりの点滴を吊るすポール無しで歩けるようになっていたが、
先生の回診の時に
「T先生が明日来るので、それで診てもらって良ければ週末にも(退院が)イケるんじゃないか…」との話しに、
歩行練習を頑張ろう!と決意
階段の上り下りや、売店(遠いのよ)までも歩いていくようにする。


この日、一緒に太極拳を習っているSさん・Iさん・Aさんが、お見舞いに来てくださる。
アリガトウございます
身体が元気になってくると、本を読むにもテレビを見るにも退屈と感じるようになり、
毎度のご飯の時間が待ち遠しかったり、誰かが来るのを待ち遠しく思ったり…。
きっと我が家のCooも、やたらご飯の時間にはしゃいだり・おとうさんの帰りを待ちわびる仕草をするのは、
日中の生活に刺激がないからなんだろうな…なんて、入院してみてCooの気持ちが分かったりする

夕方旦那が、「るろうに剣心」のマンガ全28巻とミスド4個を持ってやってくる。
このマンガ、以前から「読みなさい」と旦那に言われていて、
退院してからだと、また読まなくなりそうなので、入院中に読破しようと頑張る。
(そうして見事、読みきりました)
車の中にCooが居ると言うので、看護師さんに玄関前までなら出ても良いとの了解を貰い、面会に下りる。
4日ぶりにCooと再会
会うとCooは、尻尾をブン振り回して喜んでくれた


食事制限は無いが、この4個のミスドをいつ食べようかと思い、
とりあえず、夜、2個食べて就寝する。




8月7日 術後2日目

2008年08月21日 16時03分40秒 | 子宮筋腫
お盆も終わり、例年の如く風が涼しくなっていく北海道。
去年はお盆過ぎから暑くなったけれど、今年は順調に秋に移り変わっていくようね。

私が入院している間中、ずっと天気がよかったのに
入院前もずーーーっと・退院してからもお天気が続かない…

思えばこの夏は、ずっと洗濯物の心配ばかりしていた気がするわ



8月7日木曜日

結局、夜中ずっとお腹のガスがグルグル動いてるのが気になって、良く眠れないまま朝になる。

歩けるようになったので、洗面所まで行って顔を洗う。
歩く時は、点滴を吊っていたキャスターの付いたポールを杖がわりにする。
前日は身体を拭くタオルをくれたが今日はくれない
天気も良く暑い日が続いていたので、
持ってきていた身体拭き用のウェットティッシュや洗浄綿で全身拭いておく。
借りてるパジャマも、看護師さんに申告して貰った(着替えなくても入院日数分、請求されていた
元気になった分、看護師さんも気を使わなくなるのか…
(ちょっと楽だが

横になっているより座っている方が楽なため、この日から日中は、ずっとベッドに座り込んで本を読んだりテレビを見ていた。
痛み止めも効いているので辛くも無い。
歩く時は、その振動でお腹が痛むため、お腹を押さえて歩く。

まだ暫くおかゆが続くかと思ったが、この日の朝食から普通のごはんだった。
おかゆだったら、持ってきていたゆかりふりかけを使おうかと思っていたのに。
(結局、入院中にゆかりふりかけは食べなかった)
食欲も出てきて、朝・昼完食

手術後、初のお通じがあった
少しゆるかったので、お腹に力を入れずに済んだ

この日は、午前中から洗濯・洗濯。
乾燥室はあるものの、婦人科のみの病棟じゃなく男の人もいるので、下着などを干すのが気が引ける…
病院で知り合ったお掃除の方にアドバイス頂き、乾燥室で干す事とした。
(バスタオルで隠しただけだけどさーーー

昼食時に旦那が来てくれ、一緒に食事をする。
結婚前にここの病院に入院したことのある旦那、
売店の巻寿司が美味しいんだって言いながら食べていた。
(確かこの時、糖尿病食を食べてたんじゃなかったの???)
入院時に持ってきていたマンガと本は読みきったので、持って帰ってもらう。

洗髪許可が出たので、午後からシャンプー
洗面所に、少し大きめのシンクにシャワーヘッドのついた所があり、そこでシャンプーさせてもらう。
翌日からはシャワーもOKだとか。

熱は、今まで37.5℃くらいはあったのに、この日は37℃まで下がっていた
手術後からあった少量の出血も、徐々に減ってきている。


前日はあんなにゲロゲロで具合が悪かったのに、この日はすこぶる快調で、
とっても快復した気になる




8月6日 術後1日目

2008年08月19日 16時32分06秒 | 子宮筋腫
今日(19日)で、退院から丸1週間が経ちました。

手術痕が攣れて痛むので、かばいながらの姿勢でいると、
腰(背中)は痛いわ・脚は筋肉痛だわ・足の裏はゴリゴリ痛むわ…
ついこないだまで、スーパーで10分程度歩いて買い物するのも辛かったのだけど、
今日は久しぶりにリハビリを兼ねて、Cooの散歩に行ってきました。
足腰はさほど痛くならなかったけれど、ちょっと貧血っぽかったかな。

これから無理せずボチボチと、長距離を歩けるようにしていこうと思います



8月6日水曜日

6時起床。
朝一番で看護師さんが、顔拭きタオルと身体を拭く用のタオルをくれる。
背中も拭こうと思ったら、カテーテルの管が背中に張り巡らされていて、
しかも、ずーーーっと仰向けで身動きできずに寝ていたものだから、背中がバリバリ痛かった。

今朝から水分を摂って良いとの事。
手術中、喉に管を入れられていたせいもあり、ずーっと喉が渇いてカラカラしていたのよ。
昨夜の吐き気の影響もあるのか、横を向くとクラクラ眩暈がするのであまり頭を動かさないようにし、
お腹に何か入ったほうが、吐き気も治まる気がしたので、
手術の前日のうちに買っておいたポカリをストローを使ってゴクゴクと飲んだ。
一気に100mlは飲んだだろうか。

飲んだときはお腹の気持ち悪さも落ち着いた気がしたが、
それから少し経った頃、急に気分が悪くなり吐いてしまい、その後も何度か吐いてしまった
あうぅ。せっかくのポカリが…
せめて少しずつ飲めばよかったのか…
どうやら、背中のカテーテルから入れている痛み止めの中に「吐き気」の起こる作用があったようだ。
で、あまりの気分の悪さに、その痛み止めを一時止めてくれた。

その後、担当のT先生と一緒に手術に立ち会ってくれたH先生が回診に来た。
術後すぐに取った筋腫を見せてもらったが、ちゃんと目が覚めてからもう1回見たいとお願いしていたので、
持ってきてくださった。
でも、1日経った筋腫は、前日のよりも色がグロテスクに思えた。
やはり術後すぐの方が、「採れたて新鮮」だったからか?
「触りますか?」と先生に言われたが、今回は止めておいた

それからは、とにかく具合が悪くて暫く眠っていた。
お昼になり、1日半ぶりの食事の時間となった。
あんなに「ご飯は何時食べられる?」と待っていたのに、こんなに気持ち悪くては食べられない
と・言うか、食べたらまた吐くんじゃないかという気もしてきた。
ベッドの背を少し上げてもらい、何とかおかゆ半分と野菜のおかずを少しだけ頂いた。

食後もベッドの背を上げた状態で休んでいたが、とにかくお尻も腰も痛い。
手術後から尿管は入っているのだけど、なんとなく「トイレに行きたい」気がするし、
(管が曲がってたりしてキチンと流れてなかったりすると、尿意があるらしい)
背もたれに頼らずに身体を起こすと、逆にこの方が楽な事が分かり、
歩いてトイレまで行けるか?との不安もあったが、気合を入れて尿管を外してもらった。
ついでに背中の痛み止め用のカテーテルも外してもらう。
通常だとこの痛み止め、翌日まで続けるらしいが、吐き気があったので止めていたし、
痛み止めは点滴や飲み薬なども使えるらしいので、早めに外してもらった。

さぁ、これからはトイレまで自力で行く事になる。
病室がトイレに近くてヨカッタわ
点滴だけがまだ続いているので、2時間ごとにトイレに行きたくなる。
そのたびに歩行練習だ。
立って歩けるようになったことで、手術寸前から穿いていた弾圧ストッキングから、やっと開放されました

この日、先生より「痛み止め&胃薬」と「抗生剤」の薬を処方される。
「痛み止め&胃薬」は夕食後から、「抗生剤」の方は翌朝から飲むように・とのことだ。

晩ごはんは今までに無く豪華だった(と・思えた)
思えば、この晩ごはんが入院中で一番美味しそうに感じた(ご飯はまだおかゆだが)
が、やはりまだ半分しか食べられず、残念

消灯後、夜10時に点滴も終了。
これで全ての管が無くなった。
12時にトイレに起きた後グッスリ寝るつもりが、管が無くなり身軽になったため寝返りし放題で逆に眠れなかった。

夜中、お腹のグルグル動く感じがあり、術後・初のガスが出る。
腸も正常に動き出したようだ




8月5日 手術当日

2008年08月16日 21時50分05秒 | 子宮筋腫
8月5日火曜日

この日は、朝6時に起床。
ここの病棟には、産婦人科と眼科・神経内科の患者さんが入院しているそうで、
病院側の色々な事情で、神経内科で入院している患者さんが殆どなのよ。
そのせいか、夜中に叫ぶ患者さんが1~2名ほど
枕や寝床が変わって眠れない上に、手術前の緊張もあるし、
おまけに叫び声がうるさくて眠れませんでした

寝不足の頭痛が少しあり、ボーーーーッとしているところへ看護師さん登場。
「今朝はお通じありましまたかーー?」
「先生の指示なので、浣腸しまーす」
ええええ??もうですかぃ
なにやらお腹は動いているようなので、もう少し待って欲しかったが、
看護師さんに言われるままに、トイレがすぐ近くにある部屋(陣痛室だった)に通され、されるがままに…


たいしてスッキリしないまま朝食時間となったが、ご飯抜きだし水分も8時でストップなので、何もすることが無くマンガを読む。
その後、水も飲めないので水分補給のための点滴を打つ(手術の翌日までつけっぱなし)


昼1時過ぎに手術だそうだが、私の前にもう1件別の手術が入っていて、
そちらの方に麻酔科の先生が行っているため、その先生が戻ってきてからの手術となり、
始める時間が不安定だったのよね。
「12時半頃に呼ばれると思います」との話しだったので、その前の12時頃に弾圧ストッキングというのを穿いて待っていた。

この弾圧ストッキングとは?
よく飛行機などに乗る時に「エコノミー症候群」というのを聞くけれど、
これと同じで、手術中や術後に長い間寝ていると下肢の運動が制限され、血液の流れが悪くなり血栓が出来やすくなるそうで、
この血栓が肺の血管をふさいで呼吸困難になったりすることがあるのだそう。
この血栓を防ぐために、手術前に圧の強い靴下(弾圧ストッキング)を着用するのだそうだ。

この弾圧ストッキング、起き上がれるようになるまで穿いているので、この夏の暑い時期だと、正直ムレる…
一応、足の指が出せるようになっていたのでヨカッタでした。


さて、12時半頃呼ばれると言っていたが、予定よりも多少早くに呼ばれ、手術室へ。
服を全部脱ぎ、手術用の服(前身ごろ・後ろ身ごろと分かれていて、肩と脇の部分がマジックテープで止められる風になっていた)に替える。
電気メスを使うそうで、指輪などの貴金属類もこの時に全て外すのよ。
それからストレッチャーに乗って、頭にビニールキャップみたいなのを被り髪の毛を中に入れ、酸素マスクをつけて手術室まで移動。
この移動の間が、なんとも心細い。
しかし、この心細さとは裏腹に、朝・昼の食事を抜いている私は空腹もピークで、
「いつご飯食べられるんですか?」などと看護師さんに尋ねるほど余裕をかましていた

手術室前のドアを入ったところで、別のストレッチャーに移動。
手術する部屋に入ったら、また別のストレッチャーに移動。忙しい…
そのストレッチャーごと、ドラマでの手術シーンで見るあのライトの下まで移動する。

ライトの下へ行ったところで、前日に説明を受けた心電図・血圧計・パルスオキシメータを付け、
横を向いて背中を丸めた姿勢をとり、局所麻酔をするための麻酔注射を背中に打ってもらう。
これが痛い
麻酔のための麻酔がこんなに痛いとは…
その後、局所麻酔も打ってもらう。
この局所麻酔、カテーテル式になっていて、カテーテルの管はどれたけの太さなのか、結局見ることは出来なかったけれど、話しを聞いた想像ではテングスくらい?かと思った。
ここからお腹の辺りに麻酔が効いてくるのね。
手術が終わった後もこのカテーテルはつけっぱなしにしていて、麻酔から痛み止めに流し替えるのだそうだ。

なにやら冷たい物がお腹の辺りに触れ、「感じますかー?」と訊かれたので「冷たいです」と答えた。
麻酔の効いていない肩辺りで同じく「感じますかー?」と訊かれたので、「同じ位冷たいです」と答えた。
今度は脚の付根辺りに触れ、「こちらはどうですかー?」と訊かれたので、「冷たいけどお腹ほどじゃないです」と答えたら、
「それじゃあ麻酔かけますねー」って…。

ええええ??
だって、まだ感覚あるんだよ!?
それでもう麻酔かけちゃうの??
そんな私の不安をよそに、酸素マスクが麻酔用のマスクに替えられる。
これで本当に麻酔がかかるのだろうか…

と・思ったところからは、まるで覚えてません





「手術終わりましたよー」と声をかけられたら、もう全てが終わっていた。
もっと寝起き悪く目が覚めるかと思ったら、結構スッキリと麻酔から覚めたようだ。
前日の説明の時に「取った筋腫を見たい」とお願いしていたので、その場ですぐに見せてくださった。
取ったメインの筋腫は9㌢ほど。その他1~3㌢大の物が8~9個もあったそうだ(私は数えられませんでした)
こんなにあったとは…
手術してくれた先生には、とっても手間をかけてしまった

取り出された筋腫はタッパーの様な容器に入っていて、クリームイエロー系の色で思いのほかキレイだった。
触っていいと言うので、9㌢大のをツンツン触らせてもらった。
多少弾力はあるが、実の詰まった硬い感触だった。


手術室から出ると旦那が待っていた。
病室まで戻り、旦那は先に主治医から手術の内容を説明してもらった。
そうして長居してもする事が無い上、留守番させてるCooが心配だからと、さっさと帰っていった
その後、暫くずっと眠る私…



ある時、痛みで目が覚めた。
時計を見ると、夜の11時30分。
この「時計を見る」という行為で、急に吐き気
あわててナースコールをし、もしも吐いても良いようにと容器をもらい、
微熱もあったので氷枕を作ってもらった。


その後、まどろみながらも静かに眠りについたのでした





8月4日 入院初日だよっ

2008年08月16日 10時32分41秒 | 子宮筋腫
今週の12日火曜日に、無事、退院いたしました。
12日から今日までの間、掃除・洗濯など家の中の事を休み休み片付けて、やっとblog更新できるところまでこぎつけました


入院するにあたって、励ましや心配をしてくださった方達にはモチロン、
退院後も、少しの家事でバテバテの私に代わってご飯仕度をしてくれる旦那様にも、感謝・感謝です


さて、これから少しずつ入院中の出来事などを記事にしていきますんでヨロシク



8月4日月曜日

この日、9時までに隣の市にある病院の婦人科へ行かなくてはならず、
そしてその前に入院手続きを済ませなくてはならなくて、
朝8時15分頃に家を出、旦那に病院まで送ってもらった。
旦那は4日・5日と外せない仕事もある上、私の手術前日の説明や当日の手術の立会いもしなきゃいけないと大忙しだ。
だもんで、Cooを1日家で留守番させることも出来ないため、この2日間の日中は他所へ預けることになり、
一緒に病院まで見送りに来てくれたのでした。

キャスター付の旅行カバンをカラカラ転がし、私一人が病院内へと入っていく。
何度も振り返って「バイバイ」する私の姿を見てCooは、いつもと違う雰囲気を察知したのか、
「くあぅおぉぉううぅぅ~~~」と叫んでいた。

Cooの声で胸の痛い気持ちのまま入院手続きを済ませ、婦人科外来へ。
少し待った後、看護師さんに連れられて麻酔科へ移動。

こちらでは、どのような麻酔をかけるかの説明と手術室に入ってからの手順などの説明を受け、同意書に署名押印をした。
かける麻酔は、全身麻酔と局部麻酔。
手術室へ入ったら、心電図、血圧計、点滴、パルスオキシメータ(指になにやら挟み込み、呼吸や心臓の状態を監視する機械)をつけるのだそう。
その後、硬膜外麻酔という局部麻酔を背中にし、(脊椎麻酔というのもあるけど、私が受けたのは硬膜外麻酔の方)
マスクをはめて全身麻酔するのだそうだ。
全身麻酔で眠っている間に、気道確保のために気管に細い管を入れるという話も伺った(麻酔が切れる頃に抜くので、異物感なし)

一通り説明を受けて、いよいよ入院である。
病室に案内されたのは11時を回った頃。
早速パジャマに着替え、入院~手術~退院までの流れの説明を受け、
その後30分程度で昼食となった。

ご飯を食べ終わった後、またまた看護師さんがやってきてなにやら説明。
と・思ったら、局部の剃毛ですって
も・もう剃るんですかぃ
しまった。心の準備が…
と・言ってる間にバリカンでざざっと剃られ(必要であればヘソも掃除される)、その後、入浴させてもらった。
(これなら風呂場で剃ってもヨカッタわね)

予定していた4時に旦那登場。
二人で主治医であるT先生から、行う手術の説明を受ける。
予定術式は筋腫の核出術。手術予定時間は1.5時間。予想出血量は200ml。
術後入院期間は7日程度だそうだ。
そんな説明を聞き、手術同意書と輸血関係の同意書、検査(手術)同意書にサインした。

と、ここまでやって、もうこの日することは無い。
旦那は1時間程度で帰ってしまい、持ってきたマンガを読んでるうちに夕食となる。
この日、深夜12時以降は何も食べちゃダメなのだそうで、翌朝(手術当日)8時以降は飲み物もダメとの指示があった(術中に食べ物が気管に入るのを防ぐため)
オヤツなど用意もしていないので、この食事の後は手術の次の日の昼食まで食べられないのでした
入院食は量も控えめだが野菜も少なかった(うちで普段食べてる野菜量の方が多いと思った)

そうして9時には消灯となる。
こんな早い時間から、よく眠れるかしら?と思いながら横になったのでした。