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Krannert@Purdue Univ.でのMBA留学。 学んだこと、考えたこと、書き綴っていきます。

早期外国語教育と論理的思考能力

2005-02-08 | Community/Family
 ウチの息子(3歳2ヶ月)は1歳6ヶ月で渡米し、現時点で既に人生(笑)の半分以上を米国で過ごしたことになる。 日中は現地のチャイルドケア(保育園みたいなもの)に通っているため、彼は起きている時間の半分強を英語だけの環境で過ごしている。 考えてみれば言葉を話し始めた1歳半から、家では日本語、外では英語の環境にいるのだから、両方の言語をを同程度のスピードで習得しているようだ。 当然、30代になって初めて米国で暮らし始めた父より、発音は比べ物にならないくらいよい。 友達の名前など固有名詞になると、父は何を言っているのか見当がつかないこともままある。 さらに悔しいことに、父の発音を訂正しやがることさえある(rとかthとか)。

 最近、印象深いのは、彼が英語を習得する順序というか、彼の英語の発展のルートが、われわれの学校教育で習得したルートと(当然といえば当然だが)全く異なることである。例えば付加疑問文。It is fun, isn't it?ってやつである。日本の英語教育では、基本的な文法ををマスターした後で登場する代物だが、息子は実に自然にこいつを使う。日頃から友達が遊んでいるときによく使うのだろうが、文法の理屈からこいつを覚えていった父としては、思わず感心してしまう。 あと、助動詞の使い方。あるとき、家の中で僕がドアを音を立てて閉めて、リビングに向かって歩いてくるとき、妻が息子に「あっ誰か来るよ」と話しかけたら、息子曰く「It could be dad!」。could beだって。僕、こんなに自然にcouldを使えません。。。

 さて、ここからが本題。最近、日本でも幼児向けの早期英語教育に関する話題がよく取り上げられているようだ。 なかばブームのようになっている反面、冷ややかな論調も見受けられる。そのなかで、「まずは母国語の習得が大事。母国語が未熟では深い論理的思考を身につけられない」といった批判も目に付く。しかし、である。本当に早期に複数の言語を身につけることは論理的思考能力の育成を阻害するのだろうか?

 そもそも、論理的に物事を考えているとき、日本語で考えるとか、英語で考えるという言い方は当てはまらないように思える。言語化する以前に、抽象的な概念をチャートのように整理しているのではないだろうか。その際、あくまで抽象的な概念に若干の具体性を持たせるために言語を補助的に使っているだけで、英語だろうと日本語だろうとどちらでも使えるように思う。 例えば、僕の場合、ある思考過程を無理やり言葉にしてみると(以下、AとかBとかは英語の名詞句、アとかイは日本語の名詞句)、「AはBという結果を生み出す。ここでA can be classified into ア and イ。ちょっと待て、ア can create result of B without イ。そっか、実はア→Bや」てな具合である。実際は、「という結果を生み出す」なんて言葉にしないで、単に「A→B」という矢印みたいなものを思い浮かべて考えている。

 もちろん、ひとつの言語に習熟することは、1)ボキャブラリーを充実させて、より多くの概念を理解、記憶するため、2)時と場合と相手に応じて、効果的な言い回しを選ぶときの選択肢を広げるため、にとても重要であると思う。 しかし、それと論理的な思考能力とは、あまり関係がないように思える。 極端な例を出せば、5ヶ国語(もっと?)を操るカルロス・ゴーン氏の論理的思考能力の深さを疑う人はいなかろう。

 以上はあくまで言語学に関して全くの素人の考えである。いずれにせよ、息子はあと4ヶ月、英語の読み書きを習得する前に日本に帰ることになるため、何らかの環境を整備しない限り、今覚えている英語など、すぐに忘れてしまうだろう。 日本に帰った後にどんな環境を用意してあげられるか、難しいところである。

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5 コメント

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Outputha (Michelle)
2005-03-01 23:11:07
こんにちは。遅ればせながら、ブログ開設おめでとうございます。高橋さんを知るものの一人、トリリンガルのMichelleです。
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関係あるのでは? (Michelle)
2005-03-01 23:24:08
すみません。先ほどのコメントミス送信してしまいました。削除するなり、お任せします。

こんにちは。遅ればせながら、ブログ開設おめでとうございます。高橋さんを知るものの一人、トリリンガルのMichelleです。さーて、誰でしょう?ふふふふ。

個人的には論理的思考能力は言語習得と関係あると思っています。議論中、自分の思いや考えを話している最中に自分の言いたいことがロジカルになっていくことってありません?アウトプットする言語の表現力や描写能力が論理的思考のサポート的役割を果たしている体と思います。
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Unknown (Akira)
2005-03-22 12:52:11
Michelleさん。コメントありがとうございます。

が、ヤ、ヤバい。。。僕にトリリンガルなんて凄い友人がいたのだろうか???(汗汗汗)。降参です。



たしかに言語習得がサポートしている部分はあるかもしれません。言語の習得度が高いとより複雑な概念を理解し、知識として蓄積することができるので、より深い論理的思考が可能になるという意味で。「関係がない」というのは言い切りすぎですね。自分も、本文で書いているとおり、ロジカルに思考しているときは特定の言語で考えているわけではありませんが、その思考そのものを可能にしているのは日本語の蓄積のおかげかもしれません。 一方、英語でアウトプットもする必要に迫られてから、思考の過程がよりシンプルになった気もします。より純粋にロジックだけを追うようになったというか。。。この意味では「論理的思考能力とひとつの言語の習熟度は関係がない」のではなく、逆に「複数の言語に習熟するほうが論理的思考能力を鍛えるのに適している」となるかもしれません。。。これもロジックが飛躍してますが。。。



今後もお時間があったらこのBlogを覗いてやってください。
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そう思います (Michelle)
2005-03-22 22:27:42
ブログの更新止めてしまったのかと思っていました。継続で安心です!

ご意見に賛成です。英語を解した方が、思考がシンプルになり、自分の言いたいことをより正確に描写するために、言葉を選び、文章を組み立てるようになりました。

ところで、私は現在ロンドン在住です。ふふふふふ。
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バイ・アンド・ハーフ・リンガル (ジェイ)
2005-06-08 01:08:43
日本標準語と日本方言と、あと英語を半分だけ話すバイ・アンド・ハーフ・リンガルのジェイです(正しい文法ではハーフの前にアが入るんだっけ?)。

多分、AkiraさんもMichelleさんも知っていると思います。でも、Michelleさんって、外国に居るっていう話は、ロンドンなんだっけ?



それはそうと、英語に関してはえらそうなことはいえないけど、日本語の標準語を使っているときと方言を使っているときって、思考回路が若干違う気がします。

今はあまりなくなったけど、東京に出てきたばかりの頃は、方言を使っているときのほうがリラックスして思考が自由に飛ぶ感じがしたり、今でも時々、親戚と方言で酒を飲んでいたりすると、東京に出てくる前のやや幼く青臭い思考回路に戻っているような気がすることがあります。



それから、概念の微妙なニュアンスの違いは、言語で突き詰めていかないと、後で思い出そうとしても正確には思い出せないような気もします。

論理的な思考には、言語は大きな役割を果たしていると思いますし、そのために人間は、他の動物よりも脳を発達させることができたんだと思います(ちょっと飛躍しすぎ)。



ただ、僕も早期外国語教育が、論理的思考に悪影響を与えるとは思いません。

僕のように英語がそれほど得意でなくても、日本語での思考中に、日本語には無いニュアンスを持った英語を使うことで思考がスムーズに流れたりするし、さっきの話のように言語ごとに思考回路が違うとすれば、目の前の問題解決に最も適切な言語で思考するということもできるでしょう。

早期外国語教育が母国語の習得に悪いというのは、「どっちも中途半端じゃだめだよね」という程度に聞いておけばいいんじゃないでしょうか。



ところで、私は誰でしょう・・・。ふふふ。
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