しょぼんだま 的 こころ(日記)

ニックネームはテラ。チームしょぼんだま9号です。

最近ビックリした事

2010-03-31 | Weblog
英国のロバート・ハリソン氏は安い気象観測気球とガムテープ、デジカメとGPS装置を組み合わせて宇宙から地球を撮影することに成功したとのこと(氏の flickrギャラリー)。あまりのクオリティの高さにNASAから撮影方法について問い合わせがきたそうだ(NASAは何百万ドルもかけたロケットが使われたのではないかと思っていたとのこと)。

実際には「普通のキヤノンのカメラ」に「5分毎に起動して8枚の写真と動画を撮影した後、電源を切る」ようプログラムを変更する無料のソフトウエアを組み込み、それを気象観測気球にマウントしただけとのこと。また、低温でも動作に支障がないよう断熱材でカメラを覆ったとのことだ。

ヘリウムガスを入れた気球は地上では直径 1mしかないが、高度を上げるにつれて最大直径 20mに達するという。限界を超えると風船は割れ、カメラはパラシュートで地上に戻ってくる仕組みとのこと。地上に落ちたカメラは搭載したGPS装置を使って回収したそうだ。

しかし~ドキドキしたな。

2010-03-29 | Weblog
ブログをしていたら仙台の社長さんからTELが入ってきた。
決まれば30000個の商談。何か?アイデアをお持ちの社長さんです。

先日その社長さんから東京出張で会議の結果 図案が大きく変更するので
試作の木型を止めて!との連絡があった。
携帯の奥で東京駅発OO行きのアナウンスが聞こえてきた!やばい!
その時僕も・・・その東京駅にいたのです。

社長は秘密を守りたいので、彼からすると偏狭の地で作りたいらしい・・・
その心が解っていただけに、ここでお会いするのは避けるが正解との態度を僕はとった。

週明けの今日お電話をいただいたが、何ともおかしくて、バラしたい衝動を抑えての対応でした。
僕は「何を作るのかは社長!聞きたくないです~し」
「あそこのメーカーも関東でばれない為に 金型は東大阪で作られていますよ~」

ふふ~殺し文句を言ってやった。しかし~ドキドキしたな。









未開の地に移住できますか?

2010-03-28 | Weblog
明治の22年に十津川村に壊滅的な集中豪雨があり 人々の生活が奪われた。
それにより住民2600人余が当時の蝦夷地に移住されたらしい。
それも未開の地の開拓である。菱に十の十津川村の戦旗を掲げて北の地まで行かれたらしい。
彼らの覚悟や苦境を垣間見ると今の不況などドンマイのかなと思います。

そもそも十津川村は偏狭の地で江戸幕府から御赦免(無税)なっていたらしく不毛の地で
世間から見捨てられていた。
そのため独立共和国の仕組みが芽生えて、十津川の人は郷士(士族)で兵として自己防衛の為に鍛錬を重ねたので屈強でしかも弓矢などの飛び道具にたけ~鉄砲が入ると猟師として日々の生活を送った。
壬申の乱から~南北朝。そして幕末の3代~4代前の天誅組の暴動などの中央政府の戦には必ず要請があり、また自発的に参加したらしいです。
幕末維新の先駆けに天辻峠に1006人が集結して奈良の高取城(戦国ヒルクライム)に天誅組として攻め行ったらしいです。
寄せ集めの天誅組は統率力がなく戦にはならず負けて飛散したが(東吉野狼ルート) 十津川兵も同じだったらしいです。尊皇攘夷であったが時代よりも先行しすぎたために結果朝廷からも疎んじられた。歴史とは残酷なものですね。


谷瀬地区の人たち38軒でお金を出し合い、昭和29年にあの谷瀬の吊り橋を完成させたらしい。
国や県に頼らず~独立心が強いのは村の歴史から来ているのですね。
司馬遼太郎さんの街道を行く168号十津川街道から~。
サイクリングで行った所ですが 歴史とは人の生き様だと確信いたしたしだいです。

目標は早いうちに

2010-03-27 | Weblog
今日もスクールに行く。昨日の有明コロシアムのサブコートで練習していた
ジュニアの試合が人生を掛けてるかのごとく真剣勝負をしていた事をコーチに伝えると
有明のジュニア達はプロを目指しているので、他とは・・・ち~と違うとの事。
プロになるかどうかは別として2億・・・親はそのぐらいは投資しないといけないらしい。

昨日のジュニア達はテニスをあの年齢からライフワークとして捉えているようでした。

野球
ゴルフ
サッカー
テニス
ピアノ
クラシック・バレー

親も熱いですな~。

僕の友人もイワキテニススクールから樟蔭東のテニス部に入れようと翻弄していた友人がいた。
娘からパパと懇願されると頑張っちゃうよな~
舞洲のスクールのも連れて行っていたな、あそこのジュニアも全国レベルです。