しょぼんだま 的 こころ(日記)

ニックネームはテラ。チームしょぼんだま9号です。

未開の地に移住できますか?

2010-03-28 | Weblog
明治の22年に十津川村に壊滅的な集中豪雨があり 人々の生活が奪われた。
それにより住民2600人余が当時の蝦夷地に移住されたらしい。
それも未開の地の開拓である。菱に十の十津川村の戦旗を掲げて北の地まで行かれたらしい。
彼らの覚悟や苦境を垣間見ると今の不況などドンマイのかなと思います。

そもそも十津川村は偏狭の地で江戸幕府から御赦免(無税)なっていたらしく不毛の地で
世間から見捨てられていた。
そのため独立共和国の仕組みが芽生えて、十津川の人は郷士(士族)で兵として自己防衛の為に鍛錬を重ねたので屈強でしかも弓矢などの飛び道具にたけ~鉄砲が入ると猟師として日々の生活を送った。
壬申の乱から~南北朝。そして幕末の3代~4代前の天誅組の暴動などの中央政府の戦には必ず要請があり、また自発的に参加したらしいです。
幕末維新の先駆けに天辻峠に1006人が集結して奈良の高取城(戦国ヒルクライム)に天誅組として攻め行ったらしいです。
寄せ集めの天誅組は統率力がなく戦にはならず負けて飛散したが(東吉野狼ルート) 十津川兵も同じだったらしいです。尊皇攘夷であったが時代よりも先行しすぎたために結果朝廷からも疎んじられた。歴史とは残酷なものですね。


谷瀬地区の人たち38軒でお金を出し合い、昭和29年にあの谷瀬の吊り橋を完成させたらしい。
国や県に頼らず~独立心が強いのは村の歴史から来ているのですね。
司馬遼太郎さんの街道を行く168号十津川街道から~。
サイクリングで行った所ですが 歴史とは人の生き様だと確信いたしたしだいです。

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