お盆も過ぎたってぇのになんですが、「正力ちゃ誰け?」の知的美人から、万葉集と紫陽花の関連について質問されたので、ちょと調べました。
知的美人は
「昔の紫陽花はガクアジサイで、これを外国人(シーボルト)が故国に持ち帰り、改良を重ねた結果、今のような大きい花房の紫陽花がつくられ、逆輸入されて日本に広まったのよー」
と教えてくれました。
銀シャリは、万葉・古今・新古今の歌の中に、紫陽花を歌ったもの、寡聞にして知らなかったので、調べてみる気になりました。
万葉集には2首のみ、古今・新古今に至っては壊滅、ゼロです。
その中の一首、
言(こと)とはぬ 木すらあぢさい 諸弟(もろと)らが
練(ね)りのむらとに あざむかえけり 」 巻4の773 大伴家持
( 言葉を話さない木ですら あじさいのように色の変わる花があるのに、
ましてや使者の諸弟めの練達の言葉にうまうま乗せられてしまったわい )
どーも、心変わり・不実の花として、嫌われてたらしいです。
ま、恋人に「私のココロは紫陽花よ、暫くすると色変わり」なんて歌、贈るわけも無し、仕える主人に対しても「私はすぐ色の変わる変節漢です」と告白するわけないっすもんね。
一方、百日間も咲き続けることから「百日紅」と呼ばれるサルスベリもまた、古典に出てこない花木でありまます 。
日本に定植されたのが遅かったからじゃないか?と言われてますが、銀シャリにはよく分らんです。
中国では、昔から律詩・絶句の題材として取り上げられました。
「紫薇の花 紫薇の郎に対せり」(白氏文集)
絲綸閣の下
文書静かにして
鐘鼓楼中に刻漏の長し
独り黄昏に坐するに誰か是れ伴なる
独り黄昏に坐するに誰か是れ伴なる
紫薇の花 紫薇の郎に対せり
・・・中書省には、詔勅の文書が積まれ、辺りは静まり返っていて、
鐘鼓楼では、時を告げる水時計の音が長い時間、聞こえてくる。
私が夕方、中書省に一人座している時に、誰が相手をしてくれるだろうか、
紫薇花(さるすべり)だけが、紫薇郎に向かい合ってくれる。・・・
ウーン、いい詩だすな。
夕暮れと百日紅の花の色が溶けあって、晩夏の夕闇が匂い立つようです。
この濃厚さは、日本の俳句・短歌の中には、なかなか見出すことできませんな。
そこここに百日紅の花が咲いていて、夏の終わりを告げています。
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