のほほん日記

2015年乳がん発見→手術→放射線治療。現在はホルモン治療中。元気すぎて全然のほほんじゃない日記綴ってます。

観音様と銭屋五兵衛

2018年06月23日 20時05分14秒 | おでかけ・旅行

今日は母と約束していた

日本舞踊家の藤間紫穂さんの個展へ。

ワタシがここで勝手にネーミングをつけている

お師範さまのことですね

 

観音様を描かれていて、以前金沢の方でも

個展をされたことがあり

薬師寺の散華にも描かれてる。

 

普段から何かとお世話になっているので

お花を贈らせて頂いたんですが

そのお礼と言うことで、オーナーさんから

大きな紙袋を渡された。

家に帰ってから開けたのですが

中にはお花以上の美しい文字の色紙や

プレゼントやおみやげ、、、そして

「お母さまへ」と書かれた母用の贈り物まで入っていた・・・

 

雲の上の方なのに、この心配り。。

観音様そのものです。

 

 

その後は母とランチをして

以前からものすごく心を惹かれていて

ずーーーっと行こうと思っていた

銭屋五兵衛館へ!

 

 

さて。

銭屋五兵衛とは誰?

という方がほとんどだと思いますが

ざくっとお伝えすると

 

江戸時代末期の海運業者で

北前船に乗じ巨利を得た豪商です。

(全資産は100億とも)

ビンボー加賀藩の執政奥村栄実に登用され

鎖国中にもかかわらず外国と貿易をし

巨額の献上金を奉納。

その見返りとして、黙認されてたんですが

奥村の死後の政治交代で急激に運気が降下。。。

 

あ。ココだけ言うと、悪の豪商に聞こえますが

実際は従業員の話をきちんと聞いて

事業を拡大し、外国との貿易をとても大切に考えた

今でも十分経営学を学びたい人です。

 

話しを戻して・・

そのあとに力を入れた河北潟の開発工事では

埋め立て反対派や地元住民に「毒を流した」と

噂をたてられ、銭五の一族は全て投獄・磔に・・。

(五兵衛は投獄。80歳で獄死)

財産は全て没収。銭屋の名を名乗ることも禁止。

一族は絶えたのです。

(これには、鎖国中の密貿易を黙認していた

加賀藩が幕府にばれるのを恐れたために

口封じをしたとも言われている。)

 

 

そしてその100年後。

明治時代に入ってから銭五の免罪が立証され

銭五の悲願だった河北潟干拓事業は

農林水産業による国営事業として行われ

1985年に完成。

 

こんな感じですが

ずっと現在まで語り継がれる

波乱万丈の人生を送った銭屋五兵衛。

 

ロマンなのです。

 

そして明日は、偶然友人に呼ばれた

北前船船主の家

「蘇梁館」に行ってまいります