現在、福島滞在中。
大風呂敷プロジェクトのお手伝いや、オーケストラFUKUSHIMA!への参加など、
なんだか慌ただしい日々の中、いろんなことを感じたり、考えたりする。
大風呂敷プロジェクトでは、福島の地元の方もボランティアに来られていて、
そういう方々と縫い物をしながらのふとした会話の中なんかに、
足を運んだから体験できた「リアル」を感じている。
「遠くからご苦労さまです~」と言ってもらったり、
「福島を気に懸けてもらって、ありがとうございます」と
いってもらったりすると、なんだか恐縮するとともに、
当事者でもない私が福島に出かけることが、
なんだか不遜な気がしていたことが杞憂だったように思った。
(もちろん、私の聴いた声がすべてではないはずだろうけれど、
私にとっての「体験」であることは私の「事実」である。)
ただやはり、これはこのフェスや大風呂敷プロジェクトが
あったからこそ、交わせた会話なのかもしれない。
遠く離れた地での日常にこの「リアル」をつなぐような何か、
もちろん、全く同じ「リアル」は遠く離れた地にはないのだけれど、
なにか、福島の「リアル」と関西の「リアル」が全く別のものではなく、
自分の「リアル」がどこかにつながりを持つものなのだと固く信じられる何か、
そんな何かがあれば、と感じる自分があり、
そう思う自分が、それに対して何か小さな自分の一歩を踏み出そう、と
また自分の日常へ戻っていく中でのことを考えている。
今日も明日も暑い日になりそうだ。
昨日あたりから首が痛い。体調に気をつけつつ、を心がけねば。
大風呂敷プロジェクトのお手伝いや、オーケストラFUKUSHIMA!への参加など、
なんだか慌ただしい日々の中、いろんなことを感じたり、考えたりする。
大風呂敷プロジェクトでは、福島の地元の方もボランティアに来られていて、
そういう方々と縫い物をしながらのふとした会話の中なんかに、
足を運んだから体験できた「リアル」を感じている。
「遠くからご苦労さまです~」と言ってもらったり、
「福島を気に懸けてもらって、ありがとうございます」と
いってもらったりすると、なんだか恐縮するとともに、
当事者でもない私が福島に出かけることが、
なんだか不遜な気がしていたことが杞憂だったように思った。
(もちろん、私の聴いた声がすべてではないはずだろうけれど、
私にとっての「体験」であることは私の「事実」である。)
ただやはり、これはこのフェスや大風呂敷プロジェクトが
あったからこそ、交わせた会話なのかもしれない。
遠く離れた地での日常にこの「リアル」をつなぐような何か、
もちろん、全く同じ「リアル」は遠く離れた地にはないのだけれど、
なにか、福島の「リアル」と関西の「リアル」が全く別のものではなく、
自分の「リアル」がどこかにつながりを持つものなのだと固く信じられる何か、
そんな何かがあれば、と感じる自分があり、
そう思う自分が、それに対して何か小さな自分の一歩を踏み出そう、と
また自分の日常へ戻っていく中でのことを考えている。
今日も明日も暑い日になりそうだ。
昨日あたりから首が痛い。体調に気をつけつつ、を心がけねば。