龍神村に越して以来、取材を受ける機会が増え、それに伴って、
記事が伝えることと自分の活動との距離について考える機会が増えた。
そして、その距離感を受けとめるのが難しかった時期もあった。
今は、新聞記事が伝えることと、自分の発信には、
多かれ少なかれ、何らかズレがあるもので、
それはある程度、当たり前のことなんだと受けとめている。
そもそも、新聞記事で伝わるものが全てであれば、
私の作品なんて必要ない。
新聞記事は記者の『作品』なんだと、考えている。
つまり、新聞記事に関しては、書いたのは記者である。
正確には、記事は私の発信ではなく、
私の発信を記者が受けとめ、
紀伊民報という新聞メディアの立場と考えで発信したものである。
なので、例えば、もし記事に共感をいただけたとしたら、
正確には、それは、紀伊民報の記者へ共感なのだろう。
と言っても、これは今回の記事へのクレームではない。
今回、取材は丁寧だった。
その上で、限られた紙面に何を載せるかは、
記者の受けとめと裁量によるということ。
記者は、取材対象である私に配慮はするが、
取材の中から読者に伝えたい内容を選んで書いている。
私としては、記者の「作品」を介して、私が活動していること、
フェスティバルFUKUSHIMA!のことを
知らせていただけるのは、ありがたいことだと思っている。
この記事をきっかけに、私の展覧会に足を運んでみよう、とか、
フェスティバルFUKUSHIMA!ってなんだろう、と調べてみるとか、
興味を持って行動していただけることにつながると、うれしい。